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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

輝く海辺を行く【田の首】 

輝く海辺を行く【田の首】


潮の香りに囲まれた彦島の海辺は、人の通行をかたく拒んで、寄せつけないところもあります。
弟子待から田の首への海岸線も、通り抜けができません。

そこで、日露戦争当時、海軍の兵舎があったことから「海軍山」とよばれる高台を経て、田の首へと向かいます。

途中、昭和57年4月開校した向井小学校や、田の首八幡宮、造船所の巨大なクレーンをながめながら下って行くと彦島田の首町で、小さな船溜まりがあります。

波打ち際には、完成間近な貨物船の壮大さを、一層強調するかのように、小さな漁船がつながれていました。

運輸省の検潮基準点の標識を後に、家並みを通り抜け、再び海へ出ると、彦島の最南端です。

近くに、昭和46年12月に完成した南霊園の墓標がアベリアの可憐な花に囲まれて、静かな秋の光をいっばいに受けたやすらかな光景を見せてくれます。

ここからは塩浜町へは、干潮の時のみ探訪することができますが、海岸線コースの中でも難所の一つです。

大小の岩伝いにえよそ1キロメートル。
海峡の流れを隔て、戸畑、若松の工場群がせまってくる眺めを左に、岬をまわると、福浦金刀比羅宮の森、入り江に浮かぶ輸入木材の群列、福浦町の連なる甍が、眺めを一変させてくれます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/23 Sat. 09:52 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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最古級の六連島灯台 

海峡の安全を守る

最古級の六連島灯台

六連島灯台は、お雇い外国人灯台技師R.H.ブラントンが、明治元年、日本に着任して間もなく、関門海峡の西に六連島灯台の必要を進言し、明治3年10月29日に起工、翌4年11月28日に完成しています。

六連島灯台の点灯は、明治4年8月の伊王島灯台、11月の佐多岬灯台に次ぎ、西日本では三番目のことです。

明治5年6月12日、19歳の明治天皇が、西郷隆盛の先導で行幸しています。
わざわざ六連島灯台へ行幸、というのは、当時、最先端の灯台であったことを物語っています。
灯台近くには、行幸記念の碑も建っています。

このとき、明治天皇の宿泊所となったのが、春帆楼下にあった伊藤家で、お世話したのが白石正一郎でした。
西郷隆盛は、安政4年11月12日、白石正一郎邸を訪れており、すでに顔見知りであったことからと思われます。

関門海峡の東には、部崎灯台が明治5年1月22日に点灯しています。

いずれも、国内最古級で、関東地方の灯台が関東大震災で破壊したことから、原型をとどめる洋式灯台として貴重な存在で、それぞれ下関市、北九州市の指定文化財となっています。

灯台は、15秒に一回、あるいは10秒に一回などの閃光の間隔がそれぞれ違っています。
船舶はその閃光間隔によって、どの場所の灯台かを確認できるようになっています。

関門海峡から北に約50キロ、角島灯台は全国でも有数の大型灯台で、その姿も美しく、明治9年3月1日に初点灯し、現在も、当時設置された巨大なレンズがつけられています。

これらの灯台や浮標・信号所などは、下関市彦島塩浜町二丁目の第七管区海上保安本部の関門航路標識事務所・関門浮標基地が管理し、敷地内には灯台の貴重な資料を保管する灯台資料館があります。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/23 Sat. 09:40 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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侍町 

侍町


文治元年(1185)に、壇之浦合戦で敗れた平家の残党追討の命を受けた土肥次郎実平(どいじろうさねひら)が人封し、この辺りに居住していたため、こう呼ばれるようになりました。
藩政期には、家老格以上の上級家臣の役宅がならんでいました。


しものせき観光ホームページより
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Posted on 2019/11/23 Sat. 09:26 [edit]

category: 下関あれこれ

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