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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島の氏神【彦島八幡宮】 

彦島の氏神【彦島八幡宮】


屋根の銅板が美しい緑色をみせている「彦島八幡宮」は、彦島の氏神として、多くの人々に親しまれています。

平治元年十月、河野通次が自ら祭りの主となって宇佐神宮より、分霊を勧請したものと伝えられ、別の名を「灘八幡」「子安八幡宮」ともいわれ、航海安全、安産の神様として、広く知られています。

秋の大祭には、八百年前から伝えられている「サイ上り神事」が行われます。
「サイ上り」とは「サァ上がらせ給え」と云う言葉が変化したものといわれ、市の無形文化財に指定されています。

この神事は、彦島開拓の十二苗祖の一人である河野通次が、舞子島の海中から、御神体を引き上げた故事に始まると伝えられ、今もなお十二苗の子孫の人達が、武具甲冑を身に付け、祭りに参列します。
この日だけは、日頃通れない、三井東圧の構内を通り抜け、海岸に出ると、そこには古い鳥居があります。

境内には、縄文時代の始めごろの遺跡である「宮ノ原遺跡」があり、この地の古さを物語っています。

また、仲哀天皇が弓を立てられたという松の碑があり、ここにも仲哀伝説がありました。

八幡宮の近くには、海水浴場があり、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/19 Tue. 10:34 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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海峡で釣る 

海峡の自然

海峡で釣る

関門海峡は、急潮のため魚の宝庫です。
なかでもスズキは、全国でも屈指の好漁場でしたが、最近の海峡浚渫や埋め立てによって、釣果も以前ほどではなくなったのが現実のようです。
海峡の漁人は、夜明け前の海峡に船を出します。

キダラ(手のひらの掌紋)がぼんやり見えるころの、「朝マズメ」「朝マジメ」の時がもっとも良いとされ、夕方の「夕マズメ」「夕マジメ」の時が次によい時、といわれています。

しかしながら、海峡には四度び潮の流れが変り、急潮があります。
現在のように船外機を装備していない、手こぎ船の時代は大変な苦労がありました。

手こぎでは、急潮に逆らって上ることができません。
そのため、潮が穏やかな時間帯に早鞆瀬戸を通り抜け、釣り場の近くで仮眠をし、「朝マズメ」の時を待たなければならなかったのです。

その当時壇之浦の子供たちは、小学生になると手伝いで船に乗って漁に出かけ、漁を終えて学校に行ったそうです。
しかし、潮の流れが急で帰れないときは、長府の海岸へ船をつけて上陸、路面電車に乗って帰宅し、学校へ急いだということです。

また、太平洋戦争で、全国に落とされた機雷の数は、11000発。
その内、二分の一が関門海峡に落とされたため、数百隻の船が沈没し、数年間航行出来ませんでしたが、それが幸して、海峡では豊漁が長年続いたそうです。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/19 Tue. 10:30 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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引接寺 

引接寺(いんじょうじ)


明治28年(1895)、日清講和会議が下関で開かれた際、李鴻章(りこうしょう)ら清国の全権一行の宿泊場所にあてられた由緒ある寺院です。
怪物に化けたという伝説の龍の彫刻(左甚五郎作といわれる見事なもの)が三門(市指定文化財、「山門」ともいう)にあります。

所在地 下関市中之町11-9
交通 JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩6分
お問合せ 083-222-0514
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Posted on 2019/11/19 Tue. 09:29 [edit]

category: 下関あれこれ

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