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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

ツツジの見ごろ【老の山公園他】 

ツツジの見ごろ【老の山公園他】


桜前線が北上するといよいよ「ツツジ」の登場です。

ツツジを漢字で書くと「躑躅」です。
むずかしい漢字です。
語源には、あしぶみする、たたずむ、という意味があります。

ツツジの花があまりにも美しいので見とれて立ち止まるという意味かもしれません。

さて、昭和48年に市の花木に指定されて以来、公園・街路にたくさんのツツジが植えられました。
品種は、ほとんどが「平戸ツツジ」で、現在市内には、約10万9千株のツツジが育っています。
この内、公園に、約8万2千株、街路に、約2万7千株あり、ちょうど4月24日の先帝祭あたりから見ごろとなります。

ところで、火の山公園と老の山公園が株数も多く、目を楽しませてくれます。
両公園では、次のとおり花祭りも行われます。

老の山公園「花まつり」は、5月上旬一日を利用して、野外ステージでは、音楽会、平家おどりなどのアトラクションがあり、売店もたくさん出店します。

火の山公園「火の山ツツジ祭り」は、5月上旬の三日間で、当日は苗木の販売、子供スケッチ大会、アトラクションなどがあります。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/17 Sun. 11:36 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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ヒヨドリの渡り 

海峡の自然

ヒヨドリの渡り

司馬遼太郎の「街道をゆく」に、関門海峡が登場します。
「私は日本の景色のなかで馬関(下関)の急潮をもっとも好む」と記しています。

この急潮の場所が、寿永4年3月24日、源氏と平家の最後の合戦が行われた「壇之浦」で、一日に四度び流れを変える潮を読んだ源義経が勝利し、御年八歳の幼帝「安徳天皇」を擁する平家は、滅亡の場所となったのです。

急潮が巴の渦を巻くところから「早鞆の瀬戸」と名づけられた最狭部の距離は、わずかに670メートル。
司馬遼太郎の描いた自然の風景です。

この関門海峡を取り巻く自然のいとなみのなかに、感動するものがいくつかありますが、その一つ「ヒヨドリの渡り」を紹介しましょう。

秋、この海峡を北から南、本州から九州へ、そして春になると、南から北へと帰るヒヨドリの数万羽が演じる壮大な自然のドラマです。

9月の半ばから10月にかけて、北海道から南下してくるヒヨドリは、対岸に九州を望む渡海の地、下関市彦島の最南端に全てが集結します。

この地に至るには、決まったルートがあり、拙宅の上空もその最終日のコースで、出勤時におよそ百羽ほどの群れが、ピーヨピーヨと鳴きながら、薄い布を広げたり、細めたり波形を描きながら、次々と飛び行く多くの群れが毎朝見られ、秋の到来を告げる海峡の風物詩となっています。

年によってその群れ数には差異があり、少ない年は自然の異変に心を痛め、多い年にはその繁栄に安らぎを覚えることになります。

ともあれ、遠路を南下して来たヒヨドリは、危険な海峡を無事に渡って、暖かい九州の地へたどり着かなくてはなりません。

疲れた羽を休める暇もなく、晴天の、八時から九時にかけて、天敵ハヤブサを襲来をうかがうことから、渡りの序章が始まります。

およそ百羽のヒヨドリは、椎などの繁る森からピーヨピーヨと鳴きながら飛び立ち、幾つかの群れが集合、合体し、大きな群れをつくり、その数は、みるみるうちに千羽にもなります。
それは大きな集合体となって、小さな体を大きな一つの物体に見せる知恵なのでしょうか。

海峡の対岸、南方約3キロに見える北九州市小倉北区を目指すのですが、決行するまでには、森から飛び立ったかと思うと、森へと帰る行動を三度、四度と繰り返します。

それは、森に潜むハヤブサの襲来の有無を、うかがっての所作であろうと思われます。

決行するかのように勢い良く飛び立ったのち、上空で旋回するハヤブサの勇姿にあわてて引き返す群れもしばしば見られ、一日のうちには、運悪く、群れの一羽を失うこともあります。

ようやくにして九州を目指して飛翔を決行した群れは、海上に出ると海面に突っ込むかのように、急降下で高度を下げ、海面すれすれを龍の行くかのように、群れの波形を右に左にと大きく揺らしながら、ときにはひとかたまりの球形となったりして進みます。

海上を渡るときに見せるこうした奇異な所作は、追撃して来たハヤブサが、ヒヨドリの群れを目指し急降下すると、勢い余ってそのまま海中に突入し、没することからの安全策だといわれています。

しばらくの間、渡る群れに目を凝らしていると、視界から消えようとする間際、九州の海岸近くから急上昇し、その姿は視界から完全に消えてゆきます。

10月半ばの最盛期には、一日に約一万羽のヒヨドリが九州へと渡りますが、その飛翔の姿をながめていると、無事に渡ってくれることを祈らずにはいられません。
ヒヨドリの繰り広げる、感動のひとときなのです。

春、九州から本州へと帰って来るヒヨドリのルートは、彦島から約10キロ東の北九州市門司区の東端、部崎灯台の地が渡りの地で、南下と北上の地は違っていますが、その理由は、解明されていません。

何日間もかけて、本州北部から飛来する距離からすると、ほんのわずかな距離の関門海峡ですが、危険は最大の海峡なのであろうと思うと、渡りきったヒヨドリの群れに拍手を送りたくなります。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/17 Sun. 11:33 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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どっちが満珠? 

どっちが満珠?


下関市長府沖にある満珠(まんじゅ)・干珠(かんじゅ)島。
いずれも無人島で長府にある忌宮(いみのみや)神社の飛び地境内になっています。
ここは、源平壇之浦合戦の際に源氏軍がこの島の周辺に兵を集結させたとされています。

実はこの島、国土地理院発行の地図によると陸に近い方が干珠、沖の方が満珠となっています。
しかし、1926年に両島の樹林が国の天然記念物の指定を受けたときは陸側が満珠、沖側が干珠となっています。

他にも海上保安庁の海図では陸側が干珠、沖側が満珠、忌宮神社の土地台帳では陸側が満珠、沖側が干珠となっており、いったいどっちが満珠でどっちが干珠なのかはっきりしていません。

そこで下関では、2島をまとめて「満珠・干珠」と呼ぶことにしています。
どちらかわからないことが返って神秘的な雰囲気を漂わせているのではないでしょうか。


しものせき観光ホームページより
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Posted on 2019/11/17 Sun. 11:05 [edit]

category: 下関あれこれ

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