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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

七里七浦をめぐる【彦島海岸】 

七里七浦をめぐる【彦島海岸】


彦島の海岸は「七里七浦」といわれ、およそ28キロメートルにわたって大小の入り江が、島を形づくっています。

彦島は壇之浦の源平合戦のとき、平家の拠点であったため、平家伝説に由来する遺跡もあり、そのなかの幾つかを探訪します。

彦島公民館を出発して、江の浦の古い家並み通り抜け「清盛塚」と「岩刻古墳」を経て、江の浦公園からバス道路と分かれて南へ入ると、やがて海が見えます。

巌流島が手の届くほどの距離に浮かび、遠くに関門橋も望めるのどかな海峡の風景は、すばらしいものです。

江の浦から弟子待への海岸線は、石油などのタンクが林立する珍しい雰囲気があります。

さらに進むと、昭和60年度末の完成をめざして、大規模な造成工事が行われている「田の首公園」があり、海道には、日露戦争に備えて明治35年に造られた「水雷発射場跡」があります。

この発射場から50メートルも海峡へ突出した石組みの上では、釣り人が無心に釣り糸を垂れていました。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/20 Wed. 09:56 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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海峡の水深 

海峡の自然

海峡の水深

関門海峡の水深は、以外に浅く約13メートルです。
関門海峡には、航行する船舶の妨げにならないように常に浚渫作業船の姿が、どこかで見られます。

浚渫作業は、第四港湾建設局が行っているもので、潮流が速く、船舶の往来が激しいことから、一日の作業は四時間以内、平日の潮の流れが4ノット以下の時に行われます。
13メートルの水深で、3万トンクラスの船舶が航行できるそうです。
13メートルは、関門橋のけた下から海面までの高さが61メートルですから、その四分の一にも及びません。

昭和20年に終結した第二次世界大戦では、関門海峡に5500発(日本全土11000発の半数)の機雷が投下され、沈没した船は約400隻を数え、船のマストが海峡に林立していたそうです。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/20 Wed. 09:43 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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東行庵と高杉晋作の墓  

東行庵と高杉晋作の墓

高杉晋作(号「東行」(とうぎょう))の愛人おうのは、晋作の死後、尼となって(谷梅処(たにばいしょ)と改名)、その墓を守り菩提(ぼだい)をとむらうようになりました。
はじめは山形有朋(やまがたありとも)が住んでいた吉田の無隣庵(むりんあん)を僧堂にあてていましたが、明治17年に山形有朋・伊藤博文・井上馨(かおる)らの寄付によって、無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立されました。
早春は梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉の名所として知られています。

四季折々の花情報
[梅] 約200本
見ごろ:例年2月中旬~3月中旬
[桜] 約200本
見ごろ:例年3月下旬~4月上旬
[花菖蒲] 100種10,000株
見ごろ:例年5月下旬~6月中旬
[紅葉]
見ごろ:例年11月上旬~11月中旬
夜間ライトアップも行われます。

所在地 下関市大字吉田1184
交通 JR小月(おづき)駅からバス14分「東行庵入口」下車、徒歩5分/中国自動車道小月ICから車で約15分
駐車場あり(無料/大型可)
お問合せ 東行記念館 083-284-0211


東行記念館(下関市立東行記念館)

東行記念館は、高杉晋作100年祭記念事業の1つとして全国有志の寄付により、昭和41年4月14日に開設。その後、平成22年6月1日、東行記念館の2階部分を下関市立東行記念館として開設しました。
また、高杉晋作と奇兵隊及び下関市吉田地区に関する資料などを収蔵しており、幕末・維新期を中心に展示活動を行っています。

所在地 下関市大字吉田1184
交通 JR小月(おづき)駅からバス14分「東行庵入口」下車、徒歩5分
料金 大人300円(団体、学生割引あり)、大学生200円、18歳以下無料
休み 毎週月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日・年末年始(12月28日~1月4日)
※その他展示替えなどで臨時休館があります
開館時間 9時30分~17時(最終入館16時30分)
お問合せ 東行庵内 083-284-0211
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Posted on 2019/11/20 Wed. 09:11 [edit]

category: 下関あれこれ

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彦島の氏神【彦島八幡宮】 

彦島の氏神【彦島八幡宮】


屋根の銅板が美しい緑色をみせている「彦島八幡宮」は、彦島の氏神として、多くの人々に親しまれています。

平治元年十月、河野通次が自ら祭りの主となって宇佐神宮より、分霊を勧請したものと伝えられ、別の名を「灘八幡」「子安八幡宮」ともいわれ、航海安全、安産の神様として、広く知られています。

秋の大祭には、八百年前から伝えられている「サイ上り神事」が行われます。
「サイ上り」とは「サァ上がらせ給え」と云う言葉が変化したものといわれ、市の無形文化財に指定されています。

この神事は、彦島開拓の十二苗祖の一人である河野通次が、舞子島の海中から、御神体を引き上げた故事に始まると伝えられ、今もなお十二苗の子孫の人達が、武具甲冑を身に付け、祭りに参列します。
この日だけは、日頃通れない、三井東圧の構内を通り抜け、海岸に出ると、そこには古い鳥居があります。

境内には、縄文時代の始めごろの遺跡である「宮ノ原遺跡」があり、この地の古さを物語っています。

また、仲哀天皇が弓を立てられたという松の碑があり、ここにも仲哀伝説がありました。

八幡宮の近くには、海水浴場があり、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/19 Tue. 10:34 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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海峡で釣る 

海峡の自然

海峡で釣る

関門海峡は、急潮のため魚の宝庫です。
なかでもスズキは、全国でも屈指の好漁場でしたが、最近の海峡浚渫や埋め立てによって、釣果も以前ほどではなくなったのが現実のようです。
海峡の漁人は、夜明け前の海峡に船を出します。

キダラ(手のひらの掌紋)がぼんやり見えるころの、「朝マズメ」「朝マジメ」の時がもっとも良いとされ、夕方の「夕マズメ」「夕マジメ」の時が次によい時、といわれています。

しかしながら、海峡には四度び潮の流れが変り、急潮があります。
現在のように船外機を装備していない、手こぎ船の時代は大変な苦労がありました。

手こぎでは、急潮に逆らって上ることができません。
そのため、潮が穏やかな時間帯に早鞆瀬戸を通り抜け、釣り場の近くで仮眠をし、「朝マズメ」の時を待たなければならなかったのです。

その当時壇之浦の子供たちは、小学生になると手伝いで船に乗って漁に出かけ、漁を終えて学校に行ったそうです。
しかし、潮の流れが急で帰れないときは、長府の海岸へ船をつけて上陸、路面電車に乗って帰宅し、学校へ急いだということです。

また、太平洋戦争で、全国に落とされた機雷の数は、11000発。
その内、二分の一が関門海峡に落とされたため、数百隻の船が沈没し、数年間航行出来ませんでしたが、それが幸して、海峡では豊漁が長年続いたそうです。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/19 Tue. 10:30 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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引接寺 

引接寺(いんじょうじ)


明治28年(1895)、日清講和会議が下関で開かれた際、李鴻章(りこうしょう)ら清国の全権一行の宿泊場所にあてられた由緒ある寺院です。
怪物に化けたという伝説の龍の彫刻(左甚五郎作といわれる見事なもの)が三門(市指定文化財、「山門」ともいう)にあります。

所在地 下関市中之町11-9
交通 JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩6分
お問合せ 083-222-0514
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Posted on 2019/11/19 Tue. 09:29 [edit]

category: 下関あれこれ

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急な石段を登る【福浦金刀比羅宮】 

急な石段を登る【福浦金刀比羅宮】


指呼の間に望む北九州。
海峡を東へ、西へとよぎる船は、初夏の光を浴びて純白の航跡を描く、ここ福浦金刀比羅宮からのながめです。

数年前に福浦と荒田を結ぶ海岸道路が開通し、彦島西部地域の道路網が整備されました。
「この道が開通するまでは、彦島緑町を大まわりしなければ行けませんでしたから、随分便利になりました」と、地元の方はよろこんでいます。

海岸道路の取り付け部分、福浦湾の入口、湾と海峡をながめる位置に福浦金刀比羅宮があります。
鳥居から見上げる石段は、天に至るかのように真っすぐ伸び。繁茂する木々のトンネルを抜けたところに、上の鳥居があります。

石段を一気に駆け登ろうとしたものの中ほどでダウン。
胸の動悸を静めるのに数分かかりました。

ここ福浦金刀比羅宮は、吉田松陰が18歳のときに、藩命によって台場視察のため、北浦、下関をめぐったときに立ち寄ったことが「廻浦紀略」に記されているほか、幕末に「都落ち」した七卿のうち五卿が参拝したこともあります。

外国から運ばれてくる材木の荷役作業がみられる福浦港、古い街のたたずまいをとどめる家並みなど、新旧おりなす金刀比羅宮のあたり福浦は、風情に富んだ地でもあります。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/18 Mon. 11:53 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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東流れと西流れ 

海峡の自然

東流れと西流れ

関門海峡の潮流は、一日に四度び流れの向きを変え、東流、西流します。
東流は、東の方向、瀬戸内海へと向かって流れる潮で、西流はその逆、西へ向かって流れる潮のひとをいいます。

潮の干満の関係は、東流は干潮へ向かい「カミジオ」、西流は満潮への潮で「シモジオ」とも呼ばれます。

昭和55年に、電光潮流信号灯ができ、潮流の速さと潮の向きが容易にわかるようになり、船の安全航行ができるようになりました。
「E」の表示が東流れ、「W」の表示が西流れ、「9」の表示のときは、9ノットの潮流を示しています。
13ノットまでの表示が可能で、これまでの最速潮流は、12ノットだったそうです。

ところが、この流れも月の引力の関係で、ほぼ一日近く東流れだけになる現象が起こりました、
平成3年10月17日以来9年振りの日が、同12年3月29日で、午前9時ごろから30日の午前2時までの約17時間、流速の変化はあるものの東流が続きました。
これは地球に対する月と太陽の位置が直角になり、月の引力の作用が弱まるために起こったものとされています。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/18 Mon. 10:59 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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厳島神社(いつくしまじんじゃ) 

厳島神社(いつくしまじんじゃ)


平家一門が安芸の厳島神社の分霊を守護神として、安徳天皇の御座船に祀っていましたが、壇ノ浦の合戦後、磯辺に漂着していた神霊を寿永4年(1185)に社殿を建立し、祀ったことにはじまると言われています。
また、慶応2年(1866)の小倉戦争に勝った戦利品として、奇兵隊 が小倉城から持ち帰った大太鼓が、境内に保管されています。

所在地 下関市上新地町1丁目1-11
交通 JR下関駅から高尾線バス5分「厳島神社前」下車すぐ
お問合せ 厳島神社 083-232-1138


しものせき観光ホームページより
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Posted on 2019/11/18 Mon. 10:44 [edit]

category: 下関あれこれ

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ツツジの見ごろ【老の山公園他】 

ツツジの見ごろ【老の山公園他】


桜前線が北上するといよいよ「ツツジ」の登場です。

ツツジを漢字で書くと「躑躅」です。
むずかしい漢字です。
語源には、あしぶみする、たたずむ、という意味があります。

ツツジの花があまりにも美しいので見とれて立ち止まるという意味かもしれません。

さて、昭和48年に市の花木に指定されて以来、公園・街路にたくさんのツツジが植えられました。
品種は、ほとんどが「平戸ツツジ」で、現在市内には、約10万9千株のツツジが育っています。
この内、公園に、約8万2千株、街路に、約2万7千株あり、ちょうど4月24日の先帝祭あたりから見ごろとなります。

ところで、火の山公園と老の山公園が株数も多く、目を楽しませてくれます。
両公園では、次のとおり花祭りも行われます。

老の山公園「花まつり」は、5月上旬一日を利用して、野外ステージでは、音楽会、平家おどりなどのアトラクションがあり、売店もたくさん出店します。

火の山公園「火の山ツツジ祭り」は、5月上旬の三日間で、当日は苗木の販売、子供スケッチ大会、アトラクションなどがあります。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/17 Sun. 11:36 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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