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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

赤間関・馬関・下関 

赤間関・馬関・下関

本州の最西端、三方を海に面しているせいか海岸線の長さは日本一と言われる下関は、人口約二十七万、中国地方では広島、岡山に次ぐものの、中程度の上位にランクされる都市。
といっても、明治二十二年、わが国に初めて市制が布かれた時にはその仲間に入っていたから、日本で一番古い都市の一つだと言うこともできる。

昔は、赤間ヶ関と呼んだ。
赤目の魚がいたからだとか、赤馬の関だとか、海の汐水、つまり閼伽だとか、その由来は諸説分分。
赤目の魚は鯛のことで、赤馬は大きな船という意味だが、ここでは詮索はすまい。

幕末になって赤間ヶ関は何故か、馬関と呼ばれるようになる。
赤間ヶ関とか赤馬が関と書いていたものを、六字から三字の呼び名に縮めてしまう感覚は、現代の若者に通じるものがある。
それは永い鎖国の夢がようやく覚めかけた頃でもあった。

この馬関の呼び名は、テレビや小説で馴染み深いが、演ずる役者たちは必ずと言ってよいほど、馬関のバにアクセントを置く。
テレビを見ていてこれほど不愉快なことはない。
自分の住んでいる土地がとんでもない語調で呼ばれたりすれば、そのドラマ内容が薄っぺらなものに見えてくるのは当然だろう。

馬関は、どこにもアクセントを置かないバカンである。
つまり馬関戦争とか馬関海峡と呼ぶ場合と同じ調子のバカンで発すれば、地元の人々も満足してくれる。
馬関という呼称は現在でも下関の旧市内以外の山村漁村地域の古老の間で生きていて「明日は馬関に行ってくる」という会話もしばしば聞かれる。
かえって馬関に住んでいる下関市民のほうが、バカンの存在をすでに忘れかけているのかもしれない。

ところで下ノ関という呼び名も本当は、かなり古いが赤間関市を改めて正式に市の名称を下関市としたのは明治三十五年のことである。


冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2019/09/19 Thu. 11:02 [edit]

category: ぶらたん

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みもすそ川公園 

日本の歴史が動くとき、舞台はいつもこの海峡でした。
中世から近世へ、近世から近代へ。日本が大きく変わるとき、いつもスポットライトを浴びてきた下関、関門海峡。時代を動かす熱いエネルギー。
それは、日に4度も流れを変える急潮がこの地に育んだものかもしれません。
いまも一日に大小700隻の船が行き交う関門海峡。風景を優しく彩る潮騒と汽笛の音は環境庁選定の「日本の音風景百選」にも選ばれています。


みもすそ川公園


公園前の海は関門海峡の一番狭まったところで早鞆(はやとも)の瀬戸といわれ、潮流も一番速く、代表的な関門海峡の景色を見ることができます。
ここはまた、源平壇之浦合戦の古戦場であるとともに、幕末の攘夷戦で外国船に砲撃した砲台跡でもあります。

公園内には源義経・平知盛両雄の像(夜はライトアップされます)とともに、像の除幕式に参加された滝沢秀明さん(NHK大河ドラマ「義経」の義経役)中越典子さん(同 建礼門院役)をはじめ、大河ドラマ「義経」出演者の手形が設置されています。
また、長州砲のレプリカ5門も関門海峡をにらんで展示され、うち1門は音と煙の演出がお楽しみいただけます。

下関市みもすそ川町1番
JR下関駅からバス12分「御裳川(みもすそがわ)」下車すぐ。/下関ICより車で約5分。
下関市観光施設課 083-231-1838


しものせき観光ホームページより
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Posted on 2019/09/19 Thu. 10:45 [edit]

category: 下関あれこれ

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