彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
ぶらり歩けば
ぶらり歩けば
日曜日…多くの人が街にあふれる。
デパートやスーパーはふくれあがり、駅には人の波が高くうねる。
お隣の町、小倉や黒崎、博多にまで買い物に出かける人、リュックを担げば九州にしか山はないとでも言いたげな足取りで闊歩する人、遊園地や温泉などの観光地めざしてうきうきと改札口を走り抜ける人、人、人、
いつの頃からか、私たちはレジャーに踊らされるようになった。
日曜日…。
出かけるには些か億劫だし、それに金もない。
中にはそんな人もいる。
何の目的もなく雑踏に紛れ込んでうろつき、ただ時間を潰して帰ってくる。
そんな人もいるに違いない。
日曜日だから…。
どこかへ出かけなければ気が済まないという子供が、近頃は多いという。
子供同士で遊ぶ方法を知らない現代っ子たちは休日を待ちかねて、デパートや行楽地へ「行こうよ」「連れてってよ」と親にねだる。
パパゴン、ママゴンと呼ばれる親たちもまた、子供達を放任することが出来ず、急に相互を崩して一緒に出かけることになる。
日曜日…。
前夜から降り続いていた雨が昼過ぎに上がる。
新聞を隅々まで読み尽くして、あとは何をするでもなく退屈を囲っていた顔が、からりと晴れた青空を見上げて明るくなる。
だが、もう改まって出かけるような時間ではない。
そんな時、下駄をつっかけてぶらっと歩く近くの小路や小丘を歩いてみる気にはならないものか。
すみからすみまで、下関のことは何でも知り尽くしているという人は多い。
しかし、そんな人は大抵、赤間神宮、住吉神社、功山寺、水族館などを頭に描いているだけに過ぎない。
パンフレットで紹介され、絵葉書で売り出されたそれらも、下関の一つの顔であろう。
常に上品ぶって心の内奥を見せてくれない他所ゆきの顔だ。
だが、本当の姿はそんなところになんぞあろうはずがない。
下関の、もっとも下関らしい顔は、街を歩いていてふと眼に止まった路地に何気なく入ってみることにより接することができる。
一人通れば、野良犬でさえも避けなければならないほど狭い急坂を登ってみよう。
石垣の途切れたあたりに遠く海峡の波が光っていたりすると、私たちは永い間忘れていた下関の生き様をそこに見る思いがするに違いない。
ベンガラ色の出格子のそばに昔ながらのお地蔵さんが新しいよだれ掛けを貰って嬉しげであったり、響灘に落ちる太陽が真っ紅に染まってくるくる回るさまが谷あいの家並みを通して眺められたり、思わぬところに素晴らしい風景が私たちのまわりにはあるものだ。
何も考えずに、気軽に歩いてみるのもいい。
お寺の境内に佇んで天を衝くような古木を見上げるのも楽しいだろう。
墓地に入って歴史で名高い人の名前を見出しても、それがどんな人であったかなどは考えまい。
とにかく、自分の住んでいる町を歩くことから始めよう。
何度も何度も、暇をみては歩き続ければ、やがてそれらの路地や神社仏閣についても、いろいろ知りたいと思うようになる。
お墓の人物の事蹟を調べるのは、それからでも良いわけだ。
だから、ぶらたん氏も、むつかしいことはあえて考えず、ひたすら関の町を歩くことにした、とまあこういう訳である。
冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
日曜日…多くの人が街にあふれる。
デパートやスーパーはふくれあがり、駅には人の波が高くうねる。
お隣の町、小倉や黒崎、博多にまで買い物に出かける人、リュックを担げば九州にしか山はないとでも言いたげな足取りで闊歩する人、遊園地や温泉などの観光地めざしてうきうきと改札口を走り抜ける人、人、人、
いつの頃からか、私たちはレジャーに踊らされるようになった。
日曜日…。
出かけるには些か億劫だし、それに金もない。
中にはそんな人もいる。
何の目的もなく雑踏に紛れ込んでうろつき、ただ時間を潰して帰ってくる。
そんな人もいるに違いない。
日曜日だから…。
どこかへ出かけなければ気が済まないという子供が、近頃は多いという。
子供同士で遊ぶ方法を知らない現代っ子たちは休日を待ちかねて、デパートや行楽地へ「行こうよ」「連れてってよ」と親にねだる。
パパゴン、ママゴンと呼ばれる親たちもまた、子供達を放任することが出来ず、急に相互を崩して一緒に出かけることになる。
日曜日…。
前夜から降り続いていた雨が昼過ぎに上がる。
新聞を隅々まで読み尽くして、あとは何をするでもなく退屈を囲っていた顔が、からりと晴れた青空を見上げて明るくなる。
だが、もう改まって出かけるような時間ではない。
そんな時、下駄をつっかけてぶらっと歩く近くの小路や小丘を歩いてみる気にはならないものか。
すみからすみまで、下関のことは何でも知り尽くしているという人は多い。
しかし、そんな人は大抵、赤間神宮、住吉神社、功山寺、水族館などを頭に描いているだけに過ぎない。
パンフレットで紹介され、絵葉書で売り出されたそれらも、下関の一つの顔であろう。
常に上品ぶって心の内奥を見せてくれない他所ゆきの顔だ。
だが、本当の姿はそんなところになんぞあろうはずがない。
下関の、もっとも下関らしい顔は、街を歩いていてふと眼に止まった路地に何気なく入ってみることにより接することができる。
一人通れば、野良犬でさえも避けなければならないほど狭い急坂を登ってみよう。
石垣の途切れたあたりに遠く海峡の波が光っていたりすると、私たちは永い間忘れていた下関の生き様をそこに見る思いがするに違いない。
ベンガラ色の出格子のそばに昔ながらのお地蔵さんが新しいよだれ掛けを貰って嬉しげであったり、響灘に落ちる太陽が真っ紅に染まってくるくる回るさまが谷あいの家並みを通して眺められたり、思わぬところに素晴らしい風景が私たちのまわりにはあるものだ。
何も考えずに、気軽に歩いてみるのもいい。
お寺の境内に佇んで天を衝くような古木を見上げるのも楽しいだろう。
墓地に入って歴史で名高い人の名前を見出しても、それがどんな人であったかなどは考えまい。
とにかく、自分の住んでいる町を歩くことから始めよう。
何度も何度も、暇をみては歩き続ければ、やがてそれらの路地や神社仏閣についても、いろいろ知りたいと思うようになる。
お墓の人物の事蹟を調べるのは、それからでも良いわけだ。
だから、ぶらたん氏も、むつかしいことはあえて考えず、ひたすら関の町を歩くことにした、とまあこういう訳である。
冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2019/09/15 Sun. 15:30 [edit]
category: ぶらたん
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平家滅亡と長門国嚴島神社
平家滅亡と長門国嚴島神社
平安時代末期、平家の政権が傾くに従い、以仁王の平家追討の令旨に応じた諸国の源氏に平氏は都を追われ、一ノ谷、屋島と合戦を重ね西国に下って行きました。
そして最後の雌雄を決したのが壇ノ浦の合戦であります。
この合戦に敗れた平家は散り散りになり、「嚴島神社記録帳」によると、安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後磯辺に放棄されていたのを里人に神託があって、「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と、ふしぎに思いながらそこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物をみつけ、文治元年(西暦1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請しました。
長門国嚴島神社は、歴史の大きな転換点に創建され、安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりし、平家終焉の地に鎮座ましました。
このことは、長門国嚴島神社は、平家の滅亡という事実を物語る重要な神社といえます。
また、壇ノ浦の合戦の後、各地に落ち延びた平家の武者たちは、隠れ住みながらも、嚴島三神を祀りました。
そして、勝者である源氏においても、嚴島三神の神威を尊び、斎き祀ることを咎めることなく丁重な対応をとりました。
長門国嚴島神社ホームページより
平安時代末期、平家の政権が傾くに従い、以仁王の平家追討の令旨に応じた諸国の源氏に平氏は都を追われ、一ノ谷、屋島と合戦を重ね西国に下って行きました。
そして最後の雌雄を決したのが壇ノ浦の合戦であります。
この合戦に敗れた平家は散り散りになり、「嚴島神社記録帳」によると、安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後磯辺に放棄されていたのを里人に神託があって、「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と、ふしぎに思いながらそこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物をみつけ、文治元年(西暦1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請しました。
長門国嚴島神社は、歴史の大きな転換点に創建され、安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりし、平家終焉の地に鎮座ましました。
このことは、長門国嚴島神社は、平家の滅亡という事実を物語る重要な神社といえます。
また、壇ノ浦の合戦の後、各地に落ち延びた平家の武者たちは、隠れ住みながらも、嚴島三神を祀りました。
そして、勝者である源氏においても、嚴島三神の神威を尊び、斎き祀ることを咎めることなく丁重な対応をとりました。
長門国嚴島神社ホームページより
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Posted on 2019/09/15 Sun. 15:10 [edit]
category: 下関あれこれ
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