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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の民俗 民間治療法27 

民間治療法27


《子供のひきつけ》

柿のヘタの黒焼きと黒砂糖を煎じて飲ませる。
(彦島・内日)

ユキノシタをもんで汁を飲む。
(旧市内・秋根・彦島)

現在または過去に使ったことのあるキセルの吸い口を子供の口に差し込み、水を吹き込んでやる。
(蓋井島)

《赤子の体毒下し》

生まれてすぐ、授乳前にフキの根を煎じて飲ませる。
(吉田・清末・彦島・内日・六連島・蓋井島)

授乳前にフキの根を煎じたのを親が飲む。
(小月)

神田の善勝寺の家伝薬「五香」を産後、母子とも第一番に煎じて飲む。
(秋根)

海人草の煎じ汁を飲ませる。
(蓋井島)

《ハゼまけ》

油揚げで患部をこすり、後でその油揚げを食べる。

《ホロセ》

ホウセンカの白い茎を干したものを煎じて飲む。
(秋根)


「下関の民俗知識」中西輝麿著より
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Posted on 2019/08/29 Thu. 12:47 [edit]

category: 下関の民俗

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三蓮寺・海晏時・利慶寺 


三蓮寺・海晏時・利慶寺

蔀戸は平安時代の貴族建築の一種で、寝殿造りの「跳ね上げ式の建具」である。
一般住宅としては引き違い戸ができる安土桃山時代頃までに造られたが、江戸時代に入ってからは神社仏閣以外では使われなくなったといわれている。
その蔀戸は戦前には市内のあちこちで何軒か残っていたが、今ではここ伊崎と彦島福浦の一軒くらいのものだろう。

時代の流れと共に玄関や引き戸が次々とアルミサッシに変えられていく昨今、その風潮を拒否して蔀戸が生き続けているということは何よりも嬉しい。

三連寺は文久三年五月の攘夷決行に際して。萩本藩から下関入りした正規兵たちの一部の宿舎にあてられたお寺である。
しかし、本堂は最近、鉄筋造りに改装されて当時の面影はない。
その本堂の横から裏手へかけては墓地になっているが「権中僧正随空上人の碑」とか、「諸魚諸餌供養塚」が建っている。
裏面には嘉永五年とあるが横には安政四年十一月となっていて、この意味は判らない。

供養塚には鯛の絵が浮き彫りされてある。
「諸魚」はここが漁師町である関係からで、「諸餌」は人間にとってのあらゆる食べ物という意味であろうか、それとも魚を釣るための単なるエサであろうか。
いずれにしても供養塚は宗教的な匂いの他に、日本人らしいやさしさが感じられて心なごむ。

下関の河豚供養は俳句歳時記にも収録されていて全国的にも名高いが、その他にも雲丹供養もあれば包丁供養もあり、長門市には鯨の墓まである。
なんというあたたかさであろう。

三連寺の少し東よりの石鳥居は伊崎の鈴ヶ森さんと呼び親しまれている鈴ヶ森稲荷神社。
約九十段登ってあとの四十段は男坂といい右へそれて登る坂道は女坂という。
しかし、この男坂を登った正面の社殿は厳島神社である。
だから本当は伊崎の厳島さんと呼ぶべきところだが、新地にも同じ呼び名の神社があるので隣り合わせのお稲荷さんの名前をとって鈴ヶ森さんと呼びならしてきたのだ。

このお宮の裏山は、おどろ山とか茶臼山と名付けられた王城山で、平家の砦、つまり、お城があった丘陵だと伝えられる。
だから厳島神社は安芸の宮島と同じく平家の守護神だと古老たちは言う。

ところで鈴ヶ森という名は幡随院長兵衛と白井権八を思い出しそうだが、ここでは関門海峡の別名「硯の海」がなまったものとか、「鈴ふり海」が転じたものだとか、その伝えられるところは多い。
そんな古くからの話を聞くだけでも石段を喘いだ甲斐はあろうていうもの。
そして、もっと詳しく知りたいとお思いなら「下関二千年史」や「長門国志」「下関御開作風土記」などを繙けばいい。

くだりはお稲荷さんの朱塗りの鳥居をくぐろう。
石段を降りたところの駐車場を左に折れてしばらく行くと海晏寺の参道下に出る。

山門のそばに「禁不葷酒」と書いてあるが、現在では「ネギを食べて」どころではなく、境内にニンニクを植えたり酒場を経営したりしても誰もとがめはしないに違いない。
これもご時世か、と言っても禅宗のお寺には「禁葷酒入山門」と大きく刻んだ石柱はふさわしい。
そのそばに「小笠原流 盛花 瓶花教授」の看板がさがっているが、ここのお花教室の歴史は古い。
昔から多くのお嬢さんが花束を提げてこの山門をくぐっては花嫁修行に勤しんだ。

石段を登ると正面が本堂。
その屋根瓦や「海晏寺」と書かれた扁額、そしてふすま絵などに毛利家の定紋が描かれたり浮き出ていたりする。
殿様の厚い庇護を受けていたのだろう。
そういえばここの仏様は平家の守護仏だと伝えられている。
下関市内では彦島西楽寺の阿弥陀様が平重盛の守護仏だといわれているので双璧ということができようか。
その本堂には達磨大師の軸や驚くほどデカイ木魚などもあって、外に出ると墓地の前に豊川稲荷が祀られている。
神仏合体がここでも生きているわけだ。
そして、そばに聳え立つ大イチョウは当然のことながら下関市の保存樹木に指定されている。

鐘楼は、参道を登った右手にある。
その奥に建っている顕彰碑は約二百年前に詩や俳句や茶道の世界に広く名を知られ、寺子屋を開いて庶民教育にも力をつくした鈴木由己を讃えるものである。
この碑文は長府藩の儒学者、小田亨叔が書いたが、それは由己と亨叔の学問的なつながりを示すものとして貴重な資料となっている。
由己は寛政七年に八十七歳で歿し、亨叔は寛政十三年に五十五歳で入寂。

さて、海晏寺の参道を下って左の小路へ入ろう。
子供達の歌声などが聞こえて浄土真宗本願寺派の利慶寺が近い。
本当は「リケイジ」と読むのだが、市内の古い人々の中には「リキエイジ」と呼ぶ人も多い。
東の赤間神宮の古刹「阿弥陀寺」を「アミダイジ」と呼ぶのに似て、利慶寺の呼び方も懐かしいものの一つに数えられるべきだろう。

子供達の明るいはしゃぎや歌声は境内の一角に建てられた慈光保育園で、その右に本堂と庫裏が並んでいる。
山門は本堂の真正面にあるが、狭い境内に下関市の保存樹木に指定されている大イチョウが繁っているためか、いつ来てもイメージはなんとなく暗い。
それを救ってくれるのは園児たちの底抜けな明るさだろう。
お寺と保育園…和尚さんと子供達…
それは、実に日本的な情景で心がなごむ。


冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2019/08/28 Wed. 11:53 [edit]

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下関の民俗 民間治療法26 

民間治療法26


《指のさかむけ》

ハゼの葉の乳をすり込む。
(小月・王司・内日)

《寝小便》

オンドリのトサカを黒焼きにして飲む。
(清末)

ミミズを煎じて飲む。
(王司・秋根・吉母・内日)

真宗の墓の苔を取って、煎じて飲ませる。
(彦島)

《ハシカ》

伊勢海老の殻を煎じて飲む。

麦の穂を煎じて飲む。
(蓋井島)


「下関の民俗知識」中西輝麿著より
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Posted on 2019/08/28 Wed. 11:11 [edit]

category: 下関の民俗

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28

竹崎の渡し場と伊崎(下) 


竹崎の渡し場と伊崎(下)

だから先ほどの報済園あたりまで引き返してみよう。
その少し竹崎よりの空き地には石灯籠などなどが幾つも雑然と置かれていて阿弥陀寺町、神宮司町、外濱町などと彫った御影石が放置されている。
ここは赤間神宮の先帝祭における御旅所で、かつては網掛けの松とよばれる名松があったが、今はない。

御旅所は、源平合戦の翌日、ここに住む中島という漁師たちが安徳幼帝を網で引き上げたという伝説によって設けられたものだ。
その隣は観音堂と呼び名だけが残っているが、ここにも観音堂の松という枝振りの美しい松があったという。

その少し東側の小路を 山手に折れて入ると、そこからは往時の伊崎の本通り、約二メートルの狭い路地をはさんで古い家並みがどこまでも続く。
その突き当たりの白塀は天台宗の古寺、雲海院で、地元の人々にはゼンカイさんとか、デンカイさんなどと呼ばれ親しまれている。

雲海院の東側の急坂は文洋中学や無線中継所の丘へと続くが、今は伊崎の漁師町を味わった方が楽しい。
たとえば、ここには格子戸の家や、ベンガラ色の出格子の家、狐格子などが建ち並び、たこつぼや船の櫓などが玄関先にころがっていたりするのだ。

しばらくそのような町並みを楽しみながら歩いていると蛭子神社がある。
「急傾斜地崩壊危険区域」と書かれた看板が立っているが、これは竹崎町や丸山町などと共に伊崎町の特色で、この付近一帯、至る所に危険区域の標識が見られる。
何年か前の大豪雨でも、かなり広い範囲の崖が崩れて、多くの犠牲者を出した。

この辺り、時折磯の匂いが漂ってきて、軒先からは焼き魚の煙も鼻をついてくる。
珍しく共同水道が残っていて、玄関の表札のそばには「英霊の家」とか「水道専用」などの札も貼られたままであるところもなんとなく懐かしい。
こんなところが伊崎散策の良さでもあろうか。

しばらく行くとこの通りにはふさわしくない六階建ての大きなビルがあり、その角から山手に大きな岩と赤い鳥居や社が見える。
登ってみよう。
真下からの直登はかなり古い石段に頼ることになるが、登りきったところは文洋中学へ通ずる車道だ。
そこに建つ赤鳥居は福徳稲荷で海峡の眺めは実に素晴らしい。

福徳稲荷の足元の岩陰にも「正一位鈴ヶ森」と書かれた祠がある。
ここへは、岩にくっつくようにして家が建てられているため、蟹の横這いですり抜けるようにしなければ詣ることもできない。

もう一度、伊崎の町筋に下るには、先ほどの石段を戻ってもいいし、車道を鼻歌でも唄いながらのんびり歩いてもいい。
下りきった少し東側には三蓮寺がある。
そして、よく注意して歩けば、珍しい蔀戸を見つけ出すこともできる。


冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2019/08/27 Tue. 10:14 [edit]

category: ぶらたん

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27

下関の民俗 民間治療法25 

民間治療法25


《ハチ・毒虫に刺されたとき》

朝顔の葉をもんで汁をつける。

歯くそをつける。
(王司・秋根・内日・蓋井島)

ムカデの油を塗る。
(秋根・内日・彦島)

玉葱の切り口でこする。
(彦島)

ツワブキの葉をもんで貼る。
(彦島)

よもぎの汁をつける。
(安岡)

柿のシブを塗る。
(内日)

アンモニア水をつける。
(蓋井島)

刺されたところを水道でよく洗うと、蚊や虫さされのときは痒みが軽くてすむ。

小便をかける。

《ムカデに刺されたとき》

ドクダミの汁をつける。
(吉田・小月・彦島)

朝顔の汁をつける。
(蓋井島)

茶の葉を火にくべ煙をあてる。
(秋根)

柿の汁をつける。
(内日)


「下関の民俗知識」中西輝麿著より
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Posted on 2019/08/27 Tue. 09:19 [edit]

category: 下関の民俗

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