06 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 08

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

地名の読み方 

地名の読み方


彦島の地名には、約八百年近い歴史と、それにまつわる開拓の物語が秘められている。
地形的に見て実にふさわしい地名もあれば、素直には読めそうにない難解な名もある。
現在すでに安易な読み方に変えられつつある所もあって、そのような土地は、まず最初に勝手な名に改められるのではないかと思えば、やはり気が気でなくなる。

下関でいえば『阿弥陀寺』が『あみだじ』と変り、『外浜(とぱま)』が『そとはま』と呼ばれはじめたように彦島でも『武者田(びしゃで)』は最近、『むしゃだ』と呼ばれるしまつ。
そこで新住居表示に何かの参考になるのではないかと、難解な地名や、誤読され易いものを少しばかり拾ってみた。


小戸(おど)
海士郷の西寄り一帯で下関側の小門と相対し、小瀬戸の略。

海士郷(あまのごう)
彦島七浦の一つで古老は「あまにごう」と呼んでいる。

老(おい)
海士郷と本村との間で、戦前まで老村と呼んだ。老ノ山がある。

本村(ほんむら)
本町、新町、中町、卯月町、後山、長崎町を包含する。

石ヶ原(こがばら)
現在、本村小学校が建っている付近一帯。

藤ヶ迫(ふじがさと)
本村小学校裏山から第一高校付近一帯。

脇田(わきんた)
老町の貴船神社と、その裏山付近。

名合浦(なごーら)
本村本町の山手、百段の峠付近の住宅地。

東山(ひがしやま)
本村本町、卯月町と迫町に挟まれた丘陵地帯。第二中学予定地。

里(さと)
卯月峠を西山へ向かって下り切った辺りの左側一帯。彦島開拓発祥の地。

迫(さこ)
本村と西山に挟まれ、荒田方面に急速に伸びている。

西山(にしやま)
迫の西、彦島の最西端で、波高(はたか)、渡瀬(わたせ)、栄螺瀬(さざえのせ)などがある。

南風泊(はえどまり)
西山の一角で、国際漁港。現在はフクの水揚地で有名。

竹ノ子島(たけのこじま)
西山の最西端から橋によって陸続きとなっている。

絞(しぼり)
荒田と本村長崎町との中間で、昔はロータリーからここまで海だった。

武者田(びしゃで)
本村長崎町の一部で福浦を結ぶ谷あい一帯。

江向(えむか)
ロータリー付近から彦島中学辺りまで。

塩谷(しゅうや)
彦島中学付近から江の浦小学校へ至る一円。

福浦(ふくら)
硴崎(かけざき)安舎(あんじゃ)鋤崎(すきさき)中ノ浜などを包含する。

塩浜(しおはま)
福浦の対岸。大山(おおやま)沖塩田(おきのしおた)陸塩田(やかのしおた)竜宮島を含む。

角倉(すまくら)
福浦口から段地堤(だんじつづみ)へ至る角倉小学校一帯。

田ノ首(たのくび)
彦島の最南端。山床鼻(やまとこはな)神田(じんで)雁谷迫(かりやがさこ)などを含む。

弟子待(でしまつ)
田ノ首と江ノ浦に挟まれた海岸で、姫の水(ひめのみず)も含んでいる。

杉田(すぎた)
江ノ浦の一部で、弟子待、山中への分岐点一帯。鯉ノ巣(こいのす)も含む。

江ノ浦(えのうら)
杉田(すぎた)鎌崎(かまさき)堀越(ほりこし)塩谷(しゅうや)などを包含する。

六連島(むつれじま)
下関の西、彦島の北西五キロの海上に浮かぶ島。

船島(ふなしま)
古くは舟島と書き、今は巌流島の方が通りが良い。


以上が彦島の主な地名とその呼び方であるが、小字として残っているもので、比較的誤読され易いものを少しばかり拾って羅列してみよう。

牛ヶ鼻(うしがはな)棚田(たんだ 丹田とも書く)峠(たお)打石(うつし)伊無田(えびた)伊佐浦(いさうら いさんだ とも言う)沖ノ通(おけんた 桶無田とも書く)笠石(かさし)遠磯(とうそ)海賊泊(かいぞくどまり)生板(まないた)金弦(かねがつる)

これらの地名について、それぞれ考証を記述すべきかとも考えたが、スペースが許さないので、それは後日、稿を改めて『彦島地名考』とでも題して発表したいと思う。


彦島の地名を古記録や伝承などをもとにいろいろ調べてみると、いずれも二度、あるいは三、四度と呼び名が変っている。
それは、八百年前の開拓時代から、藩制に於ける埋め立てや造成を積み重ねる度に地名を変えたものと考えられ、そこにも血の通う歴史が感じられるのである。


冨田義弘著「彦島あれこれ」より抜粋
関連記事

Posted on 2019/07/25 Thu. 10:26 [edit]

category: ぶらたん彦島

TB: --    CM: 0

25

下関の民俗 食事のこと3 

食事のこと3


食事の時はきちんとした服装をする。
(吉田・王司・長府・北九州)

食事の時はあぐらをかいたりせず正座をする。
(小月・王司・長府・秋根・安岡・旧市内・彦島・吉母・北九州)

食事に時間をかけず、早く済ませる。
(王司・長府・内日・彦島・安岡・吉母・北九州)


「下関の民俗知識」中西輝麿著より
関連記事

Posted on 2019/07/25 Thu. 10:18 [edit]

category: 下関の民俗

TB: --    CM: 0

25

下関の地名2 彦島地図 

chizu001.jpg
クリックすると詳細がごらんになれます。

関連記事

Posted on 2019/07/25 Thu. 09:53 [edit]

category: 下関の地名

TB: --    CM: 0

25

彦島のいわれについて 

■彦島のいわれについて
 
 彦島という地名は、その昔に日本書紀の仲哀記に「引島」とある。
歌人源俊頼朝臣(1124~?)の「袖中妙」(しうちゅうしょう)にも「ひくしま」と読んでいる。
吾妻鏡(あずまのがかみ)(1260~1266)に初めて「彦島」とあり、源平盛衰記(げんぺいせいすいき)(1250~)に「長門の国彦島という所に白を構えたりこれをば引島とも名づけたり」とあって「彦島」とも「引島」ともいっている。
 島は一時豊前領であったが、元和六年(1620)長府藩主毛利秀元と小倉城主小 笠原忠政の協議によって、長府領であった「門司」と小倉領であった「引島」とを交換したともいわれ、その後、文久年間(1861~1863)に毛利藩主は「引」は 武事に忌むとして「彦島」に改められた。

■引島と彦島
 
◆引島
  古代は、関門海峡は、門司と下関の間は陸続きで、下の方に小さな穴があいていて 外海と内海の潮が行き来していた。
いわば洞穴(ほらあな)のような状態で、それで穴の門と書いて、「穴門」と呼んだ。 日本書紀の仲哀記にも「穴門の国 引島」と記載されている。 後に山口県の西半分を長門の国というようになりますが、それは、この「あなと」が「ながと」になまったのだと云われている。
約千八百年前、九州に向われるため長府の豊浦宮を出発された仲哀天皇と神功皇后がのお船が穴門にさしかかると、不思議な事に下関と門司の間の山が突然海に落ち込んで水路が出来たといわれている。 このとき、海に落ちた下関と門司の間の山は、激しい急流に押し流されて西へ流れ一つの島になった。 ちょうどそのありさまが、海峡を作るために山が引きさかれたように見えたのでそひくしまの島を「引島」と名づけたそうである。

◆彦島
 今一つの説は、神代の昔、ヒコホホデミノミコトという神様が天から降られてお兄さんから借りた大切な釣り針で魚釣りをしていたところ、その釣り針を魚に取られてしまいしまった。
それを探すために海士(あま)になって海に潜り、龍宮へ行かれたという神話があります。
 このヒコホホデミノミコトが天から降られて海士になったところが彦島の海士郷(あまのごう)だといわれるし、ヒコホホデミノミコトゆかりの島という事で彦島と呼ばれるようになったという説もある。


彦島八幡宮HPより
関連記事

Posted on 2019/07/25 Thu. 09:45 [edit]

category: 彦島あれこれ

TB: --    CM: 0

25