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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関とクジラの歴史4 

下関とクジラの歴史4

クジラのまち・下関、再来へ

平成13年4月1日に開館した、しものせき水族館「海響館」には、世界で数体しかない、シロナガスクジラの骨格標本が展示されています。
もちろん、日本で唯一の展示です。
同年11月には、南氷洋への調査捕鯨船団が、下関港から連続四回目の出港をし、その基地となっています。

そして、平成14年4月24日から一ヶ月、国際捕鯨委員会の第54回年次会議が下関市で開催されます。
この会議がクジラへ対する理解を、いっそう深めることになることを祈っています。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/07/20 Sat. 09:48 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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下関観光検定092 

【質問】

日本アマチュア選手権では最多の6勝をあげ、日本アマチュアゴルフ界で知る人ぞ知る下関出身のゴルファーはだれでしょうか。

【答え】

中部銀次郎

【解説】

中部銀次郎は、昭和17年2月16日山口県下関市生まれ。
甲南大卒。20歳だった昭和37年、当時マッチプレーだった日本アマに初優勝し、昭和39年・41年・も制しました。
同大会がストロークプレーに変わった昭和42年も勝って、アマチュアno1の座を不動にしました。
さらに昭和49年・53年にも勝って日本アマチュアゴルフ選手権で最多の6勝をあげました。
広野、下関といった名門クラブに所属し、生涯アマチュアで通しました。
昭和42年の西日本オープンではプロを下して優勝しています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/07/20 Sat. 09:34 [edit]

category: 下関観光検定

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仲哀天皇御駐蹕聖蹟の碑と霊木弓 

■仲哀天皇御駐蹕聖蹟の碑と霊木弓
 
 人皇第十四代仲哀天皇(193)は容姿端正身丈十尺に及び体格は自ら人を威圧する感あらせ給ふ。
天皇即位二年三月九州は日向、大隈、薩摩地方に蟠居せる熊襲の僻地を利し皇威に叛くの報いに接し、天皇直に舟師と率いて遠く九州の地へ御親征の議決し給い、聖駕を穴門豊浦に進め給う。神功皇后は天皇の勅に依り、御後を追われ七月五日豊浦津に来りて宮室を興し熊襲平定の策を譲り給へり。天皇即位八年、計畫全く整い春正月船を筑紫に南下の途上筑紫の豪族伊都縣主祖五十跡手と云う者、天皇の御船を穴門の引島の原(現彦島八幡宮所在地)の地に奉迎、八尺瓊、白銅鏡、十握剣を献じて戦勝を祈り、征虜の辛酸を慰め奉れり。天皇大いに其の志を嘉し給い「伊蘇志」の名を忠勤を賞で給う。
(日本書記仲哀記)

此の時天皇の御弓を立て掛け給いし松を「霊木弓立松」と云っております。現在その松の古株と石碑があります。其の後天皇は、橿日宮(香椎宮)に行宮を定め給い、鋭意、熊襲親征に力を注ぎ給いしも成果はかばかしからざる内、俄に陣中に病を得させ給い、橿日の宮に崩御遊され給いき。皇后は大臣、武内宿禰と議って其の喪を秘し皇軍の志気を保ち天皇の素志を続ぎ給い、船路遥に新羅の本城を衝き遂に熊襲の後路を経ち、九州を洽て平定なし給へり。社頭に、英邁果敢なる仲哀天皇の蹕を駐め給へる聖地を持つは当宮又、彦島の誇りなり。


彦島八幡宮HPより
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Posted on 2019/07/20 Sat. 09:32 [edit]

category: 彦島あれこれ

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