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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関観光検定070 

【質問】

大正7年下関市小月と豊田町西市を結ぶ18.2kmに鉄道が開通しました。
現在は廃止されていますが、なんと言う鉄道だったでしょうか。

【答え】

長門鉄道

【解説】

大正7年小月と西市間を結ぶ長門鉄道が開通し、旅客だけでなく石炭、木材、竹材、米などの輸送で地域の発展に大きく貢献しました。
昭和31年にバスの方が至便だという理由によって廃止されました。
今もいろいろな思い出話で語られています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/06/25 Tue. 11:26 [edit]

category: 下関観光検定

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かっぱとひょうたん 

かっぱとひょうたん


むかし、むかし、ある山里におじいさんと娘が住んでおりました。

おじいさんの田んぼは、家からずっと離れたところにあり、毎日山道を通ってその田んぼで働いていました。

ところがある日のこと、不思議なことがおっこったのです。
それは、田んぼに苗を植えてから数日後に、田んぼの水がすっかりなくなっていたのです。
今までにこんなことは一度もなかったことです。

おじいさんは娘と二人で、山の田んぼへせっせと水を運びました。
山の下の堤から田んぼまで水を運ぶのは大変な仕事でした。
二人は毎日、毎日続けましたが、とうてい間にあいません。

疲れたおじいさんが、田んぼのあぜにしょんぼりと座っていると、一匹のかっぱがあらわれて、おじいさんに語りかけました。
「おじいさんや、いったい何をそんなに沈んじょるんかいの」
おじいさんは答えました。
「この田をみんさいや、はよう水を入れんけりゃ枯れてしまう。誰か水を引いてくれんじゃろか、お礼にゃなんでもやるんじゃが」

これを聞いたかっぱは喜んで言いました。
「わしが引いちゃるで、お前さんの娘を嫁にくれるかの」
おじいさんは、こんな小さなかっぱにできるはずもないと、つい約束をしてしまいました。

あくる日、おじいさんは田んぼに行ってびっくりしました。田んぼいっぱいに水がはってあるではありませんか。

おじいさんは、水の引き主を神さまと思いこみ、かっぱの言ったことなどすっかり忘れて、娘と大喜びしました。

そのとき、ぴょこんとかっぱがあらわれて言いました。
「おじいさん、わしのいうたこと忘れてはいまいな。この水はわしが引いたんじゃぜ」
おじいさんは言いました。
「お前の力でできるもんかいの。こりゃあ、神さまがお引きくださったんじゃ」
かっぱは腹をたてて、田んぼの水を一滴もなくしてしまいました。

かわききった田んぼをみて驚いているおじいさんに、かっぱが言いました。
「どうじゃ、これでもまだ、お前はこのわしを信ぜりゃせんかい」

こうなっては、おじいさんの負けです。
「信じる。じゃから、もういっぺん水を入れてくれ」と、かっぱに頼みました。
すると、かっぱは得意になり、
「引いちゃるかわりに、約束を忘れんようにな」と言って、田んぼいっぱいに水を引きました。
おじいさんはとうとう娘をかっぱにやる約束をしてしまいました。
これを聞いて、ようやく娘も決心をし、ひょうたんを三つ持って、お嫁に行くことにしました。

あくる日、かっぱは朝早くから待ちかねていました。
かっぱが娘を水の中へ連れて行こうとすると、娘は言いました。
「先にこのひょうたんをはこんでおくれ」と、かっぱの背中にひょうたんをくくりつけました。

さて、かっぱは水の中へ帰ろうとしてもぐりましたが、ひょうたんが軽くて浮きあがってしまうのです。とうてい水の底へたどり着くことができません。
何度も何度もくりかえしましたが、どうしてもたどりつけず、とうとう力つきて、のびてしまいました。

そしてよわよわしく言いました。
「お前さんの願いは何でも聞いちゃるから、はよう、このばけもんをのけちょくれ」
そこで娘は、かっぱに水のもりを頼みました。
そして背中のひょうたんをとってやると、
「はあ、そのばけもんはおそろしい。そないなもん持っちょるお前さんもごめんじゃ」と言って、かっぱは水の中へ帰って行きました。

それからというものは、田んぼにはいつも水がたまり、おじいさんと娘の苦労はなくなりました。
そのかわりかっぱにはお礼にと、夏がくるといつも、かっぱの好きなきゅうりを淵に流してやることにしたそうです。

(都濃・佐波郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載
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Posted on 2019/06/25 Tue. 11:03 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定069 

【質問】

明治34年5月27日神戸~赤間関間の山陽鉄道は、全線開通しました。
路線の決定には難しい問題があったと思われます。
たとえば、長府駅は長府市街地から離れた場所に開業しました。
これは騒々しい蒸気機関車に城下町を通過されるのはごめんだという地元からの要望もあったといわれています。
路線は長府駅から内陸部に入り、滑石トンネルを通り、一の宮から幡生を経由して下関駅に着きました。
地元住民の要望の他にもう一つ理由があり、その結果この路線になったのですが、その理由とは何でしょうか。

【答え】

要塞地帯をさけるため

【解説】

長府駅から海岸線を走り、火の山下を通って下関駅に入れば、最短の距離となり理想的といえるのですが、明治23年下関要塞砲兵大隊が設置されました。
このため西日本における国防の拠点である下関の火の山砲台の下を通る鉄道路線は考えられないことでした。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/06/25 Tue. 10:53 [edit]

category: 下関観光検定

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彦島簡単年表 

彦島簡単年表


養老4年 720年 日本書紀の中で「引島」として彦島が文献に出る。
平治元年 1159年 光格殿(彦島八幡宮)創建。
寿永元年 1182年 安楽寺(今の専立寺)が創建。
寿永3年 1184年 新中納言平知盛が彦島に築城。本営とする。
建治2年 1276年 西楽庵(今の西楽寺)を建て、島の本寺とした。
慶長17年 1612年 宮本武蔵、佐々木小次郎の決闘。
明治4年 1871年 廃藩置県により豊浦県に属す。
明治22年 1889年 市町村制施行により、彦島村となる。
明治35年 1902年 赤間関市を下関市に改称。
大正10年 1921年 町制施行により、彦島町となる。
昭和8年 1933年 下関市へ合併。


彦島商店会発行「もっと知りたい! 彦島」より
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Posted on 2019/06/25 Tue. 09:45 [edit]

category: 彦島あれこれ

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