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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

たにしの姉妹 

たにしの姉妹


むかし、むかし、あるところに、二人の若い兄弟が助け合って仲良く暮らしておりました。

ある秋の日のこと、田んぼで稲刈りをしていると、弟が二つの小さな、たにしを見つけました。
何ともいえない、かわいいたにしなので、持ってかえって流しのすみで飼うことにしました。

「たにしや、たにし。外に出ると、鳥たちの餌にねらわれるぞ。ここにじっとしているのじゃぞ」
兄弟は口ぐちにそういって、田んぼへ働きに行きました。

その日の夕方、弟が夕飯の支度に帰ってみますと、驚いたことに、夕飯の用意がちゃんとできあがっておりました。
誰が用意してくれたのかと、不思議に思った弟は、あくる日の夕方、前の日よりも早く帰ってきて、そーっと家の中の様子をうかがいました。
ご飯やみそ汁のおいしそうなにおいがしましたが、やはり誰の姿も見えません。

弟は兄にこのことをすっかり話すと、そのまたあくる日の夕方、兄弟そろって家のそばの柿の木にのぼり、様子をじっとうかがいました。

しばらくすると
「お姉さん、夕食の支度をはじめましょうか」
という声がして、おいしいみそ汁のにおいと、きれいな娘の歌声が流れてきました。
「いったい、誰じゃろう」
兄弟は急いで木からおり、そーっと家の中にはいってみますと、二人の美しい娘が、流しもとでせっせと働いておりました。

「あんたたちは、いったいどこの誰なのだい」
兄弟の声に、はっと振り返った二人の娘は、どうしようかと互いに顔を見合わせていました。
やがて、娘たちは、
「わたしたちは、あなたたちに助けていただいた、たにしの姉妹です」と、こたえました。

驚いた兄弟がいろいろたずねますと、この姉妹は、山ひとつ越えた里の裕福な家の娘たちでした。
しかし、ぜいたくに育てられたのでわがままになり、夕飯の手伝いもしない有様でした。
あまりいうことを聞かないので、つい、母親が
「いうことを聞かないと、たにしになりますよ」と、いったところ
「たにしになってもええわいな」と、姉妹は口ごたえしました。
すると、みるみるうちに、たにしの姿になりかわってしまい、姉妹は、この村の田んぼにやってきて、鳥たちにいつ食べられてしまうかとおびえていたところを、兄弟たちに助けられたということでした。

どうしたわけか夕方だけは人間に戻れるので、姉妹は恩返しに、夕飯を作っていたということです。

これを聞いた兄弟はあわれに思い、村の恵比須さまに、姉妹をもとの姿に返していただけるよう願いました。

すると、ちょうど満願の日に
「お前たち兄弟の仲の良さ、けなげな働きに免じて、姉妹をもとの人間の姿にかえしてやろう」
と、恵比須さまの夢のお告げがあり、たにしの姉妹はもとの美しい姿にもどりました。

それから姉妹は、まじめに働くようになり、やがて、それぞれ兄弟のお嫁さんとなって、末長く幸せに暮らしたということです。

(熊毛・都濃・佐波郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載
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Posted on 2019/05/31 Fri. 11:37 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定045 

【質問】

宝永7年7月11碑、豊田町浮石の農民たちが凶作に対する年貢の減租を訴え、幕府の巡見使に直訴しました。
このとき、直訴した場所はどこでしょうか。

【答え】

内日亀ヶ原

【解説】

この頃は、凶作と豊作が交互に起こっていました。
当時の浮石村は長府藩家老の給領地で、度重なる凶作にもかかわらず納米(年貢)の増量を押し付けられていました。
そこでついに農民たちが怒り、代表で庄屋、畦頭たち五名が7月1日、下杢路子の豊田渡瀬で巡見使一行を待ち受けていましたがうまくいかず、翌11日内日村の亀ヶ原で直訴を決行しました。
結果的には、ご法度破りということで、彼らは長府松小田の刑場で処刑さけました。
しかし、この直訴によって年貢の増量は免除されるなど事件は「義挙」として後世に語り継がれ「浮石義民顕彰会」が組織され、浮石の亀尾山神社境内に「義民碑」、内日亀ヶ原には「浮石義民直訴の地」の石碑が建てられています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/05/31 Fri. 11:25 [edit]

category: 下関観光検定

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