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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

ホラふき和尚 

ホラふき和尚
山口県の民話


 むかしむかし、あるお寺に、村人たちから『ホラふき和尚』と呼ばれているお坊さんがいました。
 この和尚さん、あんまりホラばかりふいているので、村人たちは和尚さんの言う事を全く信用していません。

 ある日の事、和尚さんは村人たちをおどろかせてやろうと思い、お寺の門前にある大きな池のほとりに、こっそりとこんな立て札をたてました。
《明日のお昼、この池から竜が天に登るであろう。池の主の竜より》
 さあ、この立て札を見た村人たちはびっくりです。
 むかしからこの池には竜が住んでいると言われているので、みんなはこの立て札を信じました。
 ですから次の日の朝には、池のまわりは黒山の人だかりです。
 それを見て、和尚さんはうれしそうに笑いました。
「あっはははは。村の者たちめ、わしのいたずらに、まんまとひっかかったわい。さて、お昼になったら出ていって、わしの仕業だと話してやろう。みんなのあきれた顔が、見ものじゃわい」
 やがて、お昼が近づいてきました。
「よし、そろそろ行くとするか」
 和尚さんが出かけようとすると、空がにわかに曇って暗くなってきました。
 そして目の前の池から、なんと本物の竜が姿を現して、銀色のうろこを光らせながら黒い雲の中へ消えていったのです。
 村人たちは驚きましたが、もっと驚いたのはいたずらをした和尚さんです。
「なっ、なんと! まさか本当に竜がいるとは・・・」
 しばらく呆然としていた和尚さんですが、すぐに村人たちの前に駆け出すと大声で言いました。
「おーい、よく聞け! あの立て札はな、実はわしが立てたんじゃ。わしが立てたおかげで、竜が現れたんじゃ!」
 けれども、村人たちは、
「ほれ、またいつもの和尚のホラが始まった。竜が現れたのを、自分の手柄にしよるぞ」
「ほんに、しようのない和尚じゃ」
と、誰も信じなかったという事です。

おしまい
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Posted on 2019/05/17 Fri. 09:20 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定031 

【質問】
下関市の市の花木は二つあります。
ツツジともう一つはなんでしょうか。

【答え】

サクラ

【解説】

下関市の市の花木は、ツツジとサクラです。
ツツジとサクラは市民投票で多くの票を集めました。
下関市のいたるところで目にすることができ、広く親しまれている花木です。
なお、ツツジ、サクラに関しては、個別の品種ではなく、総称としての名称を採用しています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/05/17 Fri. 09:18 [edit]

category: 下関観光検定

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六人武者 

六人武者


源平合戦で敗れたのち、平家再興を願っていました中島四郎太夫正則の子と、その家来は、小門王城山に隠れていましたが、その希望も消え、ついに海賊となって彦島の竹ノ子島を襲い、ここを占領してしまいました。
その時上陸したところを今でも“六人武者の江良”と呼び、この島を“鬼が島”ともいいました。

六人武者の海賊は次第に力を持ち、近くの土地や舟を襲うようになりました。
そこでとうとう攻め撃つことになり、九州豊前から兵百五十人、船六十三隻が福浦の江良に上陸しました。
福浦に“六十三隻江良”という地名が残っていますが、これはその時、船が着いたところをいいます。
また南風泊の“きかんが藻”という地名は、戦が始まる前、六人武者の様子を調べに来た豊前の兵が、一隻の漁船に、
「竹ノ子島に海賊はいるか」
と、たずねたところ、その漁師は後の祟りが恐ろしいので、何をたずねられても“聞かぬ、聞かぬ”というふうに首を振って答えなかったところからつけられたといわれます。

さて、いよいよ竹ノ子島の戦となりました。
百五十人対六人でしたが、六人の武者は、いろいろな戦法で敵を引っ掻き回し、さんざん懲らしめ、豊前側の死傷者はみるまに増えていきました。
“鶴の江良”“仁蔵の江良”という地名は、その時六人武者から殺された、鶴五郎、仁蔵の死んだ場所といわれます。
こうして総崩れした敵兵は、あわてふためいて田の首の岬まで逃れ、ようやく豊前方の助け舟に乗り、九州に逃げ帰りました。

六人武者は、これ以上追い討ちはしませんでしたが、この戦で勇敢に戦って死んだ、鶴五郎、仁蔵の首をこの地に埋め、手厚く供養しました。
“田の首”の地名はそこからきているといわれます。

その後、六人武者は、ひとまず王城山に引きあげましたが、今度の戦で、平家残党ということが知れたため、必ず大きな逆襲のあることを予想し、五人の家来は、それぞれ姿を変えて、遠くの地へ別れ別れに離れていき、四郎太夫の子だけが、この地に残り、のちついに漁師となって一生を送ったということです。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/05/17 Fri. 08:49 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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