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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

長者が原と長者 

長者が原と長者 ~山口市徳地~


 昔々、長者ヶ原にたいそう金持ちで、とても広い屋敷をもつ長者が住んでいました。
 その長者は、ばく大な金銀財宝をもっていたにもかかわらず、たいそう欲が深く、その上いつも、自分は金持ちの長者だということを鼻にかけていばりかえっていました。

 その長者は、いつも自分の金銀財宝を奪われてはたいへんと思っていましたが、ある日、だれにも見つからないように、夜中にこっそりと蔵の中の宝物を全部運び出し、屋敷の裏庭の白いなんてんの木の下に埋めました。
 これで宝物を盗まれることもないわいと、長者は一人でほくそえんでいました。

 それから幾年か過ぎたある日、突然長者ヶ原の山が噴火しました。
 付近の村人たちはみんな大慌てで避難してしまいましたが、欲深い長者は宝物が気にかかって、そこから離れようとはしませんでした。
 山がうなり、地がほえ、屋敷は崩れんばかり揺れましたが、長者は必死で柱にしがみついていました。
 そして、屋敷もろとも、長者も宝物も無残に灰の中にすっかり埋まってしまったのです。
 長者の宝はいまだに土の中に埋まったままになっているということです。

 「おんつぼ」と「めんつぼ」という二つのつつみは、その時の噴火でできたものですが、今でもその当たりの土を掘り起こしたり、花を摘んだりすると、病気にかかるなど、何か災難がふりかかってくるそうです。
 それは欲深い長者の執念のためだといわれています。


(出典:「徳地の昔ばなし」(徳地町教育委員会編集)) 
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Posted on 2019/05/12 Sun. 10:20 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定026 

【質問】

俵山を源流とし豊田町、菊川町を通って吉田に流れ出る木屋川の名前は、どのようにして付けられたのでしょうか。

【答え】

河口に近い所に木屋という船着場があったから。

【解説】

木屋川は、古くは豊田川、豊浦川といわれていました。
河口に近い所に「木屋」という船着場があり、古い記録に「木屋の河口まで」とあり、これをいつりまにか「木屋川口まで」というようになり、江戸時代後期に木屋川通船が開通してからは「木屋川」が全線の川の名前になりました。
ところによっては吉田川とも呼んでいますが、現在は木屋川に統一されています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/05/12 Sun. 10:09 [edit]

category: 下関観光検定

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こびんおおひと 

こびんおおひと


 むかし、世界旅行に出かけたおおひとが彦島をまたごうとした時、連れていたお転婆でヤンチャな一人娘が
『おなか、へったあ』
 といって座り込んでしまった。
 父親のおおひとは驚いて、
『すぐそこの海まで行きゃあ、好きなだけ魚が泳ぎよるけえ、もうちっと元気出せ』
 と、なだめすかしたが、娘はもう、テコでも動かなかった。やむなく、おおひとは、すぐ近くの浜辺でタコ、サザエ、エビ、イサキなどの海の幸を手掴みで採っては娘に食べさせた。

 だから、娘がへたばって尻もちをついた浜辺を『江尻』といい、南風泊から西山へかけての海辺には、『タコ岩』『サザエの瀬』『エビタ』『イサンダ』などという地名が残った。

 たらふく食べて、ようやく元気になった娘は『ヨイショ』と立ち上がり、そばにあった石に足をかけ『ヤッ』と玄界灘めがけて旅立って行った。
 父親のおおひとは大慌てで海に入り波をヒザでかき分けて娘のあとを追うたが、その時の波音があまりにも大きかったので、響灘と呼ばれるようになったという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2019/05/12 Sun. 09:51 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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