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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

紙すき毛すき 

紙すき毛すき

 むかしむかし、周防や長門(すうお・ながと→山口県)の農家では、楮(こうぞ)と言う植物で紙をすいて、それを米の代わりに年貢として納めていたそうです。

 ある山里(やまざと)に弥兵衛(やへえ)という若い百姓がいて、とても美しい女房と二人で紙をすきながら暮らしていました。
 その頃、代官所(だいかんしょ)には勘場(かんば)といわれる所があって、そこに年貢などの検査する役人がいたのですが、その役人が弥兵衛の美しい女房に心を奪われて、毎日の様に弥兵衛の家へ来る様になったのです。
 もちろん役人の目当ては弥兵衛の美しい女房でしたが、実は他にもう一つの目的がありました。
 その目的とは、
「やれやれ、毎日の様に通ってやっているのに、今日も茶と茶菓子だけか。
 他の者なら、わしがこれだけ訪れれば、
『どうぞ、これをお納め下さい』
と、いくらか金を包んで渡してくれるものじゃが。
 ・・・弥兵衛の礼儀知らずめ、今に見ておれよ」
と、賄賂(わいろ)の要求だったのです。

 そんなある日、勘場から弥兵衛に呼び出しがありました。
「はて? 何事だろう」
 弥兵衛が勘場に行くと、代官が怖い顔で納めた紙を突き返したのです。
「この頃、お前が納める紙は、どうしようもなく質が悪い。すぐに納めなおせ」
「はて、そんなはずは?」
 弥兵衛がその紙を見ると、それは自分が納めた紙とは全く別の、とても質の悪い紙だったのです。
(どうして、こんな事に?)
 弥兵衛は首を傾げましたが、ここで言い訳をしても信じてもらえそうにないので、
「わかりました。すぐに代わりを、持って来ます」
と、新しい紙を納めなおしました。
 するとまた、弥兵衛は勘場から呼び出されたのです。
「弥兵衛! 前にも増して、質の悪い紙を納めるとは何事だ!」
 そう言って突き返されたその紙も、自分が納めた紙ではありませんでした。
 そこで弥兵衛は、代官に言いました。
「お代官さま。おそれながら、申し上げます。この紙は、わたしがお納めしました紙ではございません」
「言い訳をするな! 見苦しいぞ!」
「・・・・・・」
 こんな事が、それから何度も繰り返されました。

 ある日、代官が弥兵衛にたずねました。
「お前は毎度毎度、納めた物と違うと言うが、何か証拠でもあるのか? 証拠でもあれば、わしも何とか出来るのだが」
「証拠ですか」
 するとその時、弥兵衛に一つの名案が浮かんだのです。
 弥兵衛は自分の髪の毛を切って、それを紙のすみに一本ずつすき込み、自分の紙の目印としたのです。
 そしてまた、弥兵衛は自分の物とは違う質の悪い紙を突き返されたので、代官に言いました。
「お代官さま、おそれながら、これはわたしがお納めしました紙ではございません。わたしがお納めしました物には、確かな目印がありますので」
「目印とな?」
「はい、わたしの紙のすみには、わたしの物である確かなあかしに、わたしの髪の毛を短かく切った物を一本ずつすき込んであります。どうか、お調べ下さい」
「わかった。待っておれ」
 そこで代官が家来に命じて調べさせると、確かに髪の毛をすき込んでいる紙がありました。
 しかもそれは、一番出来が良いと評価された紙だったのです。
 この時、代官は、これが全て勘場の役人の仕業であると気づきました。
 しかしそれを認めてしまったら、代官所の信用が落ちる事になります。
 そこで代官は、口封じにこう言ったのです。
「その方、御上納(ごじょうのう)の紙に、けがらわしい髪の毛をすき込むなど、まことにふとどきな奴じゃ! すぐに引き立てい!」
 そして弥兵衛は女房に会う事も許されないまま、次の日の朝早くに首を斬られてしまったのです。

 その後、代官が調べてみると、弥兵衛の家に毎日訪れていた役人が、賄賂を出さない弥兵衛をおとしいれようとして、弥兵衛の納めた紙を別の悪い紙とすり替えていた事がわかりました。
 そしてその役人は弥兵衛が首を斬られたその日から謎の熱病にかかり、髪の毛をかきむしりながら苦しみ続けて、数日前に死んでいたという事です。


山口県の民話 福娘童話集より
http://hukumusume.com/douwa/index.html
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Posted on 2019/05/05 Sun. 11:14 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定019 

【質問】

下関出身のプロ野球選手、藤本(中上)英雄は、日本発の完全試合を成し遂げました。
それはどこの球場だったでしょうか。

【答え】

青森市営球場

【解説】

大正7年に下関の彦島に生まれた藤本英雄は、下関商業学校の野球部で活躍。
明治大学卒業後、昭和17年に東京巨人軍に入団。
昭和25年、青森市営球場での対西日本パイレーツ戦で、日本初の完全試合を達成しました。
平成6年には青森市営球場のある合浦公園「プロ野球初完全試合記念碑」が建立されています。
平成9年、78歳で亡くなりました。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/05/05 Sun. 11:02 [edit]

category: 下関観光検定

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左眼が細い 

左眼が細い


 今から八百年も昔の話。

 ある秋風の身に沁む夕刻、里の西南の海から、一筋の光が立ちのぼっているのを漁師が見つけた。漁師は早速、島の人びとに知らせ、人びとは河野通次にも報告した。
 大急ぎで駆けつけた通次は、矛を片手に海中に飛び込み、光を指して泳いだ。そして、その中ほどに矛を突きさすと、八幡尊像があがって来た。尊像の背面には、河野八幡、と刻まれていたが、いたわしいことに、矛は尊像の左眼を貫いていた。

 さっそく通次は舞子島に祠を建て、光格殿と名付けて島の守り本尊にしたが、そり以来、彦島の十二苗祖と呼ばれる人びとは、代々、現在に至るまで左眼が細いといわれている。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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Posted on 2019/05/05 Sun. 11:01 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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