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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

大つごもり長者 

大つごもり長者


むかし、むかし、ある山里に、たいへん情け深いおじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしておりました。

ある年の暮れのこと、お正月のおもちを買うために、二人は雪よけ笠をつくって町で売ることにしました。
しかし、まだ十二しかできないうちに、大つごもりになりました。
もうあすはお正月です。
おじいさんは、できたての笠をもって、雪の山道をくだって町の方へ出かけました。

その途中のことです。
石の地蔵様が頭から雪をかぶって、寒そうに立っておられました。
おじいさんは気の毒に思い、地蔵様の頭や肩の雪をはらって、持っていた笠を一つ、かぶせてあげました。

それから少し行ったところに、またお地蔵様が寒そうに立っておられました。
おじいさんは、また一つ笠をかぶせてあげました。
「あと十も残っているから、まあええ」と思いながらまた、歩きはじめました。

こうしてとうとうおじいさんは、持っていた十二の笠を、みんな途中に立っていた地蔵様にかぶせてあげました。
そして売る笠がなくなったおじいさんは、町へ行くのをやめて、家に帰ることにしました。

その帰り道のことです。
雪の降る中を笠もかぶらずに、ひょろひょろと今にも倒れそうな、とても気の毒なおばあさんに出会いました。

情け深いおじいさんは、おばあさんに
「もしもし、どうなされたかや」と、声をかけました。
すると、そのおばあさんは、きのうから何も食べていないと答えました。
おじいさんは気の毒に思い、自分の弁当とかぶっていた笠をおばあさんに渡しました。

すると、おばあさんは、一つの小さな袋を取り出し、
「これは宝袋という不思議な袋じゃそうです。お礼にどうぞうけてくだされませや」と、おじいさんに渡しました。
おじいさんは不思議に思いながらも、家へ帰りました。

その夜明けのこと、「えいやさあ、よーいやさあ」という掛け声に、どさりと何やら物音がしました。
おじいさんとおばあさんが、そっと戸を開けてみると、つきたてのおもちがたくさん置いてありました。
二人は驚いて向こうを見ると、笠をかぶった十二人の地蔵様たちが帰って行くところでした。

「ありがたや」と二人がふしおがんでいると、おじいさんのふところから、ぽろりと、気の毒なおばあさんにもらった宝袋が落ちました。
おじいさんが開けてみると、小判が一枚はいっていました。
不思議に思って、もう一度開けてみると
二枚、四枚と、開けるたびに小判はどんどん増えていきます。

次の日の朝、二人は、気の毒なおばあさんに小判を返そうと探しましたが、どこにも見当たりません。

おじいさんとおばあさんは
「これも神様がおさずけくださったのじゃろう」
と、大喜びし、たちまち大金持ちとなって幸せに暮らしたということです。

(阿武郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載
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Posted on 2019/05/03 Fri. 08:06 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定017 

【質問】

吉田松陰先生が石段を数えながら上った、福浦の金刀比羅宮。
地元の人が日本一急だというこの石段を、子供の頃だれよりも素早く駆け上がった、下関生まれの有名人は誰でしょうか。

【答え】

小暮実千代

【解説】

小暮実千代(本名・和田つま)は大正7年彦島福浦で出生。
梅光女学院に江の浦から岬之町まで渡船を利用して通学しました。
梅光には昭和5年4月入学、昭和10年3月卒業です。
かぞえ18歳まで福浦に住んでいました。
子どものころはとても活発な子で、水泳は上手で走るのも速かった。
生家近くの金刀比羅宮の急な石段(勾配約60度、現在269段)は誰よりも素早く駆け上がったといいます。
女優として活躍した他「マダム・ジュジュ・クリーム」や「サンヨー夫人」のコマーシャルでも有名になりました。
さらに女優として初めて厚生省から保護司に任命されたほか、「鐘の鳴る丘少年の家」後援会長を勤めるなど、社会奉仕活動にも熱心に取り組みました。
「小暮実千代 知られざるその素顔」黒川鐘信著によれば、彼女が亡くなる一週間前、病室で「福浦へ帰りたい」と弱い声で言い、目に涙をうかべたそうです。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/05/03 Fri. 07:58 [edit]

category: 下関観光検定

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