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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

狐をだました話 

狐をだました話


むかし、むかし、うららかな春の日のことです。太吉という若者が、一生懸命に畑を耕しておりました。

そろそろ昼飯にしようと、木にかけておいた弁当をとりに行くと、どうしたわけか弁当が見当たりません。

次の日も、またその次の日も弁当がなくなるので、不思議に思った太吉が、狸寝入りをしながら草むらから様子をうかがってみると、ひょっこりあらわれた一匹の狐が、器用に弁当をとって行きました。

「ははん、狐がいたずらしちょったんか」
と、うす目をあけて、また様子をうかがっていると、そこへ一匹の狸がやってきました。

「狐さん、わしにも少々わけてくれんかいや」と、狸がいうと、狐は
「わけてやってもええがの。それより、わしと一緒に、明日、村の馬市でひともうけせんかいの」と、いいました。

「どんなことかいや」と、狸がたずねると、狐は得意げに話しはじめました。
「わしが馬に化けるから、お前さんは、それそこに寝ちょる太吉どんにばけて、明日の馬市に馬を売りに行くんじゃ。」

狐と狸は、太吉がこの話を聞いているとも知らず、たがいにうなずき合いながら山へ入って行きました。
太吉は、こっそりその後についていき、狐と狸が住んでいる穴を確かめると、一人ほくそ笑いをしながら家へ帰って行きました。

あくる日の朝、太吉はまっすぐに狸の穴に行き、大きな石で穴をふさいで、出られないようにしました。そして、つぎに狐の穴へ行くと
「おいおい、狐さん、早く馬市へ出かけよう」と、狸のふりをして声をかけました。
穴から出てきた狐は、太吉をみると
「うまく化けたもんじゃわい」と、感心し、自分もさっそく見事な仔馬に化けました。

「それじゃ出かけよう」と、太吉は何くわぬ顔で、狐が化けた仔馬をひいて、馬市に出かけました。

たくさんの馬飼いたちが仔馬に値をつける中、太吉は
「ええ馬じゃが、こいつは気が荒い馬での、こうして後ろ足をしばっちょかんとあぶないんじゃ」
と、仔馬をぎゅうぎゅう荒縄でがんじがらめにしばりました。

そのうちに一人の馬飼いが七両の値をつけたので、太吉は喜んで仔馬を渡すと、さっさと帰ってしまいました。
狐も逃げようとしましたが、しばられているので動けません。
そうこうしているうちに苦しくなって、ヒヒンと鳴くのを、うっかりコンコンと鳴いてしまい、とうとう、馬飼いたちにばれてしまいました。

「こりゃあ、狐じゃわい」と腹をたてた馬飼いたちに狐は驚いて
「お助けください」と、ひらあやまりにあやまりました。
すると、太吉から仔馬を買った馬飼いが
「さっきの七両を太吉からとりもどすまでは、ゆるされんわい」といいました。

これを聞いて狐はいっそう驚き
「ひゃあ、あれは太吉どんじゃなく、わたしの仲間の狸が化けたもんです。お金は必ずとりもどしますけえ、お助けください」と、泣いてあやまりました。

これを聞いた馬飼いたちは
「太吉どんに迷惑のかかるところじゃった」と、あっけにとられてしまいました。

こうして太吉は、まんまと大金をもうけ、狐に仕返しをすることができた、ということです。

(都濃・佐波郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載
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Posted on 2019/05/02 Thu. 09:44 [edit]

category: 山口むかし話

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下関観光検定016 

【質問】

明治4年に建設された我が国初の立標(浅瀬を知らせる標識の一つ。当時は暗礁)に由来する灯台が役割を終えながらまだ残っています。
なんという名前の灯台だったでしょうか。

【答え】

金ノ弦岬灯台

【解説】

旧金ノ弦岬灯台は、明治4年関門海峡に西洋の技術で造られた国内初の立標(浅瀬を知らせる標識の一つ。当時は暗礁と呼ばれていました)に由来するものです。
日本の灯台の父と呼ばれる英国人技師ブラントンの設計したこの立標は、大正時代に市内最南端の今の場所(大字彦島金ノ弦岬)に移されました。
石造りで高さは8.1メートル。
立標の面影を残すこの灯台は、我が国の海上交通上、下関が重要な地であったことを示す貴重なものです。
平成16年4月13日に、下関市の有形文化財に指定されました。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/05/02 Thu. 08:45 [edit]

category: 下関観光検定

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