彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
下関観光検定013
【問題】
彦島本村町にある寺院は、平家が壇の浦で敗れてから平重盛の守り本尊を奉持して堂宇を建立したと伝えられています。
このお寺はなんというお寺でしょうか。
【答え】
西楽寺
【解説】
彦島本村町にある西楽寺は時宗の寺院。
寺伝によれば平重盛の守り本尊を、平家が壇の浦で敗れてから執権植田冶部之進、岡野将監、百合野民部がこれを奉持して彦島に渡り、先住の河野一族と図って迫に堂宇を建立しました。
建治2年、一遍上人の従者・西楽法印がこの島に訪れ、尊像を今の地に移し西楽庵と称し、のち西楽寺と改称しました。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は、市の文化財に指定されています。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
彦島本村町にある寺院は、平家が壇の浦で敗れてから平重盛の守り本尊を奉持して堂宇を建立したと伝えられています。
このお寺はなんというお寺でしょうか。
【答え】
西楽寺
【解説】
彦島本村町にある西楽寺は時宗の寺院。
寺伝によれば平重盛の守り本尊を、平家が壇の浦で敗れてから執権植田冶部之進、岡野将監、百合野民部がこれを奉持して彦島に渡り、先住の河野一族と図って迫に堂宇を建立しました。
建治2年、一遍上人の従者・西楽法印がこの島に訪れ、尊像を今の地に移し西楽庵と称し、のち西楽寺と改称しました。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は、市の文化財に指定されています。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/04/29 Mon. 11:03 [edit]
category: 下関観光検定
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29
白狐の湯
白狐の湯(びゃっこのゆ) ム山口市ム
毎年五月になると、湯田(ゆだ 山口市湯田)で、温泉祭りが行われる。
このまつりには、「白狐おどり」など、白狐にまつわるもよおしがさかんに行われる
この話は、湯田温泉のおこりとして、いまに語りつがれるふしぎな話である。
今から五百年ほどむかしのことである。
湯田の近くに、権現山(ごんげんやま)とよばれる小さな山があった。そのふもとに、ふかい木立(こだち)にかこまれた古いお寺があった。
ある春の夜のことである。
だん家の法事にまねかれたおしょうさんは、ついつい引きとめられて帰りがおそくなった。その家を出たのは、だいぶ夜もふけたころであった。ほろようかげんのいい気持ちであった。あぜ道を通りすぎ、寺の境内(けいだい)にさしかかったときである。
しんとしずまりかえった境内のおくから、ピチャピチャというみょうなもの音が聞こえてきた。おどろいて耳をすますと、ピチャピチャという音が、間をおいては聞こえてくる。
いまごろ、なんの音じゃろう。
おしょうさんは、音のする方へ足音をしのばせていった。池のそばまできて、ふっと足をとめた。
白キツネが一匹、月の光にてらされて、池に足をひたしていたのだ。その白キツネは、ときおり水をかいては休み、水をかいては休みしている。みょうなもの音は、この白キツネの水をかく音だったのだ。
なお、じっと見つめていると、人の気配(けはい)に気づいたのか、すばやく池からはい上がって、あたりをきょろきょろ見まわした。
それから、後ろ足をかばうように、ぎこちない走り方で権現山のしげみの方へ消えていった。
「はて、白キツネが、なぜこんな夜ふけに池の中にはいっているのじゃろう。」
おしょうさんはふしぎに思いながらも、その夜は、そのまま、寺に帰ってねてしまった。
つぎの日の夜なか、ふと目をさますと、また、あのピチャピチャという音が聞こえてきた。
さてはまたあの白キツネかと、おしょうさんはそっと起き出して、月明かりの中を池にしのびよっていった。
やはり、きのうの白キツネであった。白キツネは、ひとしきり池に足をひたすと、ぎこちないあの走り方で権現山の方へさっていった。
その次の晩も、またそのつぎの晩も同じようなことがくりかえされた。
七日目の晩がやってきた。
白キツネは、きまったように池に足をひたし、きまったように権現山へ帰っていった。ただちがうことがひとつあった。
それは、いつもと走る方がちがうことだった。
つぎの日から白キツネは、姿を見せなくなった。
「さてさて、みょうなことがあるもんじゃ。どうして足がよくなったのじゃろう。」
おしょうさんは、ふしぎに思って池に足をひたした。
「やっ、水があたたまっておる。」
池の水が、ちょうどよいあたたかさになっていた。においをかぐと、温泉のにおいがする。
「これでやっとわかった。あの白キツネ、いたむ足をひたしにここへやってきていたのじゃな。」
おしょうさんは、さっそく里の村の人たちにこのこを話し、池の近くをほらせてみた。
すると、思ったとおり、熱い湯がこんこんとわいてきた。
「湯だあ。湯が出たぞうっ。」
村人たちはよろこびの声をあげた。
ほりすすめる手にいっそう熱がこもった。なおふかくほりさげていくと、くわの先に固いものがあたった。ていねいに掘りだすと、どろまみれの仏像であった。おしょうさんが、池の湯でていねいにどろをおとすと、みごとな黄金の薬師如来(やくしにょらい)の像があらわれた。
村人たちはひざまずいて、薬師如来像をふしおがんだ。
その後、薬師如来像は、温泉の守り本尊として、池のほとりにたてられた堂におさめられた。
この仏像をおがんで湯に入ると、どんな難病もたちどころになおるといわれ、湯に入りにくる人が後をたたなかったという。その後、だれいうとなく、「白狐の湯(びゃっこのゆ)」とよばれるようになり、いまに語りつがれている。
題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部
豊徳園ホームページより
毎年五月になると、湯田(ゆだ 山口市湯田)で、温泉祭りが行われる。
このまつりには、「白狐おどり」など、白狐にまつわるもよおしがさかんに行われる
この話は、湯田温泉のおこりとして、いまに語りつがれるふしぎな話である。
今から五百年ほどむかしのことである。
湯田の近くに、権現山(ごんげんやま)とよばれる小さな山があった。そのふもとに、ふかい木立(こだち)にかこまれた古いお寺があった。
ある春の夜のことである。
だん家の法事にまねかれたおしょうさんは、ついつい引きとめられて帰りがおそくなった。その家を出たのは、だいぶ夜もふけたころであった。ほろようかげんのいい気持ちであった。あぜ道を通りすぎ、寺の境内(けいだい)にさしかかったときである。
しんとしずまりかえった境内のおくから、ピチャピチャというみょうなもの音が聞こえてきた。おどろいて耳をすますと、ピチャピチャという音が、間をおいては聞こえてくる。
いまごろ、なんの音じゃろう。
おしょうさんは、音のする方へ足音をしのばせていった。池のそばまできて、ふっと足をとめた。
白キツネが一匹、月の光にてらされて、池に足をひたしていたのだ。その白キツネは、ときおり水をかいては休み、水をかいては休みしている。みょうなもの音は、この白キツネの水をかく音だったのだ。
なお、じっと見つめていると、人の気配(けはい)に気づいたのか、すばやく池からはい上がって、あたりをきょろきょろ見まわした。
それから、後ろ足をかばうように、ぎこちない走り方で権現山のしげみの方へ消えていった。
「はて、白キツネが、なぜこんな夜ふけに池の中にはいっているのじゃろう。」
おしょうさんはふしぎに思いながらも、その夜は、そのまま、寺に帰ってねてしまった。
つぎの日の夜なか、ふと目をさますと、また、あのピチャピチャという音が聞こえてきた。
さてはまたあの白キツネかと、おしょうさんはそっと起き出して、月明かりの中を池にしのびよっていった。
やはり、きのうの白キツネであった。白キツネは、ひとしきり池に足をひたすと、ぎこちないあの走り方で権現山の方へさっていった。
その次の晩も、またそのつぎの晩も同じようなことがくりかえされた。
七日目の晩がやってきた。
白キツネは、きまったように池に足をひたし、きまったように権現山へ帰っていった。ただちがうことがひとつあった。
それは、いつもと走る方がちがうことだった。
つぎの日から白キツネは、姿を見せなくなった。
「さてさて、みょうなことがあるもんじゃ。どうして足がよくなったのじゃろう。」
おしょうさんは、ふしぎに思って池に足をひたした。
「やっ、水があたたまっておる。」
池の水が、ちょうどよいあたたかさになっていた。においをかぐと、温泉のにおいがする。
「これでやっとわかった。あの白キツネ、いたむ足をひたしにここへやってきていたのじゃな。」
おしょうさんは、さっそく里の村の人たちにこのこを話し、池の近くをほらせてみた。
すると、思ったとおり、熱い湯がこんこんとわいてきた。
「湯だあ。湯が出たぞうっ。」
村人たちはよろこびの声をあげた。
ほりすすめる手にいっそう熱がこもった。なおふかくほりさげていくと、くわの先に固いものがあたった。ていねいに掘りだすと、どろまみれの仏像であった。おしょうさんが、池の湯でていねいにどろをおとすと、みごとな黄金の薬師如来(やくしにょらい)の像があらわれた。
村人たちはひざまずいて、薬師如来像をふしおがんだ。
その後、薬師如来像は、温泉の守り本尊として、池のほとりにたてられた堂におさめられた。
この仏像をおがんで湯に入ると、どんな難病もたちどころになおるといわれ、湯に入りにくる人が後をたたなかったという。その後、だれいうとなく、「白狐の湯(びゃっこのゆ)」とよばれるようになり、いまに語りつがれている。
題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部
豊徳園ホームページより
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Posted on 2019/04/29 Mon. 10:02 [edit]
category: 山口むかし話
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29
下関観光検定011
【質問】
彦島と本土を結ぶ二本目の橋として造られた彦島大橋は、昭和50年9月に完成しました。
美しいフォルムを見せるこの橋の工法はディビダーグ工法といわれめものでしたが、別名なんと呼ばれるものでしたでしょうか。
【答え】
やじろべえ工法
【解説】
彦島大橋は、山口県が施工、昭和50年9月に完成しました。
彦島と本土を結ぶ二本目の橋として建設されたものです。
中央径間は236mで当時世界最長のもので、建設費は17億円、工法はディビダーグ工法(別名やじろべえ工法)といわれるものです。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
彦島と本土を結ぶ二本目の橋として造られた彦島大橋は、昭和50年9月に完成しました。
美しいフォルムを見せるこの橋の工法はディビダーグ工法といわれめものでしたが、別名なんと呼ばれるものでしたでしょうか。
【答え】
やじろべえ工法
【解説】
彦島大橋は、山口県が施工、昭和50年9月に完成しました。
彦島と本土を結ぶ二本目の橋として建設されたものです。
中央径間は236mで当時世界最長のもので、建設費は17億円、工法はディビダーグ工法(別名やじろべえ工法)といわれるものです。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/04/29 Mon. 09:49 [edit]
category: 下関観光検定
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