彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
猿地蔵
猿地蔵
むかし、むかし、あるところに、正直で働き者のおじいさんとおばあさんが、まずしいながらもなかよく暮らしておりました。
ある日、おじいさんは、いつものように山へ木をかりにでかけました。
やがてお昼になったので、弁当を食べ、木の切りかぶにすわって休んでいました。
と、そのうちに、おじいさんは眠くなって、いつのまにか眠ってしまいました。
すると、そこへ、山から猿たちが出てきて、眠っているおじいさんをみつけました。
「あれ、こんなところにお地蔵さまがいてござる。もったいないことじゃから、みんなで川向こうの山のお堂へおまつりしよう」
こうして、眠っているおじいさんをお地蔵さまとまちがえた猿たちは、みんなで手車をくんで、おじいさんをかつぎました。
おじいさんは起きていましたが、だまって猿たちのするようにさせておきました。
そして、川を渡るとき、猿たちは
「流れははやく水深く たとえわしらは流されようと お地蔵さまだけは流すまい」
と、はやしたてました。
おじいさんは、おかしくてしかたがありませんが、じっと目をつぶってこらえていました。
やがて、猿たちは、おじいさんをお堂にかつぎこむと、どこから持ってくるのか、かわるがわるに
「お地蔵さまにしんぜましょう」
と、たくさんのおさいせんやおもちやお米を、おじいさんの前にそなえました。
猿たちがいなくなると、おじいさんは、おそなえ物を集めてお堂をでました。
それから町へ出かけ、おばあさんにきれいな着物を買って帰りました。
そのあくる日、おじいさんとおばあさんが、猿たちにもらったごちそうを食べているところへ、となりのばあさんがやってきて、
「二人ともきれいな着物を着て、どねえしたのかいな」
と、うらやましそうにたずねました。
そこで、正直なおじいさんは猿たちのことを、となりのばあさんに話しました。
それを聞いたとなりのばあさんは、大いそぎで家に帰ると、さっそくとなりのじいさんを山へ出かけさせました。
山についたじいさんは、聞いたとおり、お地蔵さんのようにじっとすわりこみました。
すると、猿たちがきて、じいさんを運びはじめました。
そして、川をわたるとき、猿たちはまた、同じようにはやしたてました。
これを聞いたじいさんは、おかしくてなりません。
ぐっとおなかに力を入れてがまんしましたが、力を入れすぎてプッとおならをしてしまいました。
すると、猿たちは
「あれまあ、お地蔵さまがおならをするなんぞ、これはにせものじゃ、にせものじゃ」
と、じいさんを川に落としてしまいました。
じいさんは、ずぶぬれになって家に帰りました。
一方、ばあさんは、きれいな着物が手にはいると思い、古い着物をみんな燃やしてしまいました。
こうして、欲の深いじいさんとばあさんは、とうとう大かぜをひいてしまった、ということです。
(大島・玖珂・熊毛郡)
山口銀行編纂 山口むかし話より転載
むかし、むかし、あるところに、正直で働き者のおじいさんとおばあさんが、まずしいながらもなかよく暮らしておりました。
ある日、おじいさんは、いつものように山へ木をかりにでかけました。
やがてお昼になったので、弁当を食べ、木の切りかぶにすわって休んでいました。
と、そのうちに、おじいさんは眠くなって、いつのまにか眠ってしまいました。
すると、そこへ、山から猿たちが出てきて、眠っているおじいさんをみつけました。
「あれ、こんなところにお地蔵さまがいてござる。もったいないことじゃから、みんなで川向こうの山のお堂へおまつりしよう」
こうして、眠っているおじいさんをお地蔵さまとまちがえた猿たちは、みんなで手車をくんで、おじいさんをかつぎました。
おじいさんは起きていましたが、だまって猿たちのするようにさせておきました。
そして、川を渡るとき、猿たちは
「流れははやく水深く たとえわしらは流されようと お地蔵さまだけは流すまい」
と、はやしたてました。
おじいさんは、おかしくてしかたがありませんが、じっと目をつぶってこらえていました。
やがて、猿たちは、おじいさんをお堂にかつぎこむと、どこから持ってくるのか、かわるがわるに
「お地蔵さまにしんぜましょう」
と、たくさんのおさいせんやおもちやお米を、おじいさんの前にそなえました。
猿たちがいなくなると、おじいさんは、おそなえ物を集めてお堂をでました。
それから町へ出かけ、おばあさんにきれいな着物を買って帰りました。
そのあくる日、おじいさんとおばあさんが、猿たちにもらったごちそうを食べているところへ、となりのばあさんがやってきて、
「二人ともきれいな着物を着て、どねえしたのかいな」
と、うらやましそうにたずねました。
そこで、正直なおじいさんは猿たちのことを、となりのばあさんに話しました。
それを聞いたとなりのばあさんは、大いそぎで家に帰ると、さっそくとなりのじいさんを山へ出かけさせました。
山についたじいさんは、聞いたとおり、お地蔵さんのようにじっとすわりこみました。
すると、猿たちがきて、じいさんを運びはじめました。
そして、川をわたるとき、猿たちはまた、同じようにはやしたてました。
これを聞いたじいさんは、おかしくてなりません。
ぐっとおなかに力を入れてがまんしましたが、力を入れすぎてプッとおならをしてしまいました。
すると、猿たちは
「あれまあ、お地蔵さまがおならをするなんぞ、これはにせものじゃ、にせものじゃ」
と、じいさんを川に落としてしまいました。
じいさんは、ずぶぬれになって家に帰りました。
一方、ばあさんは、きれいな着物が手にはいると思い、古い着物をみんな燃やしてしまいました。
こうして、欲の深いじいさんとばあさんは、とうとう大かぜをひいてしまった、ということです。
(大島・玖珂・熊毛郡)
山口銀行編纂 山口むかし話より転載
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Posted on 2019/04/24 Wed. 12:34 [edit]
category: 山口むかし話
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24
下関観光検定006
【質問】
彦島大橋から水門にかけて、古くから魚の宝庫で、昭和10年ごろまでは篝火を焚いて魚をとり、船の上で調理され、酒のさかなとして出されていました。
これは関門の名物の一つでしたが、なんと呼ばれてているでしょうか。
【答え】
小門の夜焚き
【解説】
関門海峡の大瀬戸に対し、現在の彦島大橋から水門にかけては小瀬戸と呼ばれ、古くから魚の宝庫(イナ、タイ、チヌ、タコ、サヨリ、イワシなど)で、篝火を焚いて魚をとり、船の上で調理され、酒のさかなとして出されました。
これが小門の夜焚きといわれ、下関の観光名物でしたが、埋め立てにより大和町などができ、昭和10年ころから姿を消しました。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
彦島大橋から水門にかけて、古くから魚の宝庫で、昭和10年ごろまでは篝火を焚いて魚をとり、船の上で調理され、酒のさかなとして出されていました。
これは関門の名物の一つでしたが、なんと呼ばれてているでしょうか。
【答え】
小門の夜焚き
【解説】
関門海峡の大瀬戸に対し、現在の彦島大橋から水門にかけては小瀬戸と呼ばれ、古くから魚の宝庫(イナ、タイ、チヌ、タコ、サヨリ、イワシなど)で、篝火を焚いて魚をとり、船の上で調理され、酒のさかなとして出されました。
これが小門の夜焚きといわれ、下関の観光名物でしたが、埋め立てにより大和町などができ、昭和10年ころから姿を消しました。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2019/04/24 Wed. 11:41 [edit]
category: 下関観光検定
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24
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