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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

果報者(かほうもの)と阿呆者(あほうもの) 

果報者(かほうもの)と阿呆者(あほうもの)
山口県の民話


 むかしむかし、長門の国(ながとのくに→山口県)の北浦のある里に、とても貧しい夫婦が住んでいました。
 二人はわずかな田んぼをたがやし、山から拾ってきた薪(たきぎ)を売って、ようやくその日の暮らしをたてていました。

 ある日の事、だんなが女房にこんな事を言いました。
「毎日毎日、汗水流して働いているのに、わしらの暮らしは少しも良くならんな。わしは、もう働くのにあきてしもうた」
 すると女房が、こう言いました。
「確かに、そうですね。
 そう言えばこの間、大寧寺(だいねいじ)の和尚さんが説教で『果報は寝て待て』と言っていましたよ。
 あわてずに寝て待っていれば、良い事は向こうからやって来るんだそうです。
 あなたもひとつ、果報を寝て待ってはどうですか?」
「なるほど、寝て待てばいいのか。そいつは楽だ」
 そこでだんなは、その次の日から寝てばかりいました。
 しかし果報は、いつまでたってもやって来ません。

 そんなある満月の夜、寝ながら果報を待っていただんなが大声で叫びました。
「おい、こっちへ来てみろ。ほれほれ、この天井窓から、お月さんのウサギが餅をついとるのがよく見えるぞ」
「あら、ほんとうね」
 確かに、天井窓からお月さんのウサギがはっきりと見えました。

 さて、この話がたちまち村中に広がり、月夜の晩には大勢の村人たちが夫婦の家へ集まって来て、天井窓から月をのぞくようになりました。
 それがやがて、
「あの家の天井窓からウサギの餅つきを拝んだ者には、果報が来るそうだ」
と、言ううわさなって、だんだん遠くからも人が集まって来るようになりました。
 そしてお月さんを見に来た人々がお礼のお金やお供物を置いて行くので、夫婦はたちまち大金持ちになったのです。
 ついに、果報がやってきたのです。

 喜んだ二人は、ぼろ家をこわして立派な家を建てると、もっとお金がもうかるようにと、十も二十も天井窓を取付けました。
 しかしどうしたわけか、新しい天井窓からはいくらお月さんをのぞいても、ちっともウサギの餅つきが見えないのです。
 やがて夫婦の家には、誰も来なくなりました。
 それどころか雨が降ると天井窓から雨もりがして、雨水で家が腐り始めたのです。
 困った二人は、大寧寺の和尚さんのところへ相談に行きました。
 すると和尚さんは、大声で笑いながら、
「あはははははは。人間は欲を起こすと、果報者も阿呆者になるという事じゃ」
と、言ったそうです。

おしまい
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Posted on 2019/04/14 Sun. 10:43 [edit]

category: 山口むかし話

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和布刈祭 

和布刈祭


長門一の宮住吉神社では、旧正月の一月一日に、壇の浦の海岸で和布刈神事を行います。

住吉神社で営まれるおまつりの中では、大切なおまつりの一つで、昔からこのおまつりは秘密になっていましたので、いろいろな言伝えがあります。

わかめを刈る時期は、子の刻すぎから丑の刻の間とされていますが、神事がはじまる三十分前までは、波は渦巻き荒れ狂い、いよいよわかめを刈りに入ると不思議に波はおさまって、潮は左右に開き、二十段の石段があらわれます。
神官は宮殿の宝剣を胸にあて、松明をともし、その石段を降りて一握りの“わかめ”を一鎌だけ刈って陸にあがる。
と、たちまち左右に開いていた潮がもとのように合流し、海上は荒れに荒れるといいます。
もし、そのとき一鎌でなく、二鎌刈れば、みるみるうちに左右の潮にはさまれて溺れるといわれています。

では、実際の神事はどうなのでしょう。“下関民俗歳時記”をみてみましょう。

この和布刈祭のおこりは、住吉神社がおかれたとき、神功皇后のおことばによって、践立の命が、壇の浦のわかめをとって、元旦のお供え物にしたことからはじまるといわれます。

その様子は、大宮司、神官二人、氏子六人が定められたしたくで、その朝につかれたお餅を持ち、神鉾を先頭に松明を連ねて壇の浦に行きます。
松明はオダケとメダケを割ったものをまぜて束ねたもので、二人で担ぐくらいに太くて長いものです。
壇の浦へは、和布刈道という昔からの特別な道を通りますが、長年の間に、土地の様子が変り、小道になったり、あるいは畦道となったところもあり、しかも、帰りは行くときと違った道を通らなければならない掟があって、往復にたいへん苦心します。

壇の浦へ着くと、火立岩に注連縄を張り巡らし、かがり火をたいて、持参したお餅を供え、神事を営みます。
やがてしたくを整え海に入り和布を刈ります。
これが終わると、すぐさま別に用意した草鞋にはきかえ、再び松明の行列をつくって住吉神社へ帰ります。
そして新年のわかめは、神殿に供えられ祭典がおこなわれます。

儀式が終わった後の和布は、むかしは朝廷に、中世になると大内氏や毛利氏などの武将へ贈ったといわれますが、いまでは参拝者に分け与えられます。


厳かな儀式なので、この和布刈祭は次のような、してはいけないことがあります。

一 和布刈祭のお供をしたものは、この神事のありさまを絶対人に言ってはいけない。

二 一般の人は、この行列の火を絶対に見てはいけない。そのため和布刈祭の夜は早くから戸を閉めて寝ることになっている。もちろん、この夜の外出はしてはならないが、事情によってどうしても外出し行列の火を見た場合は、すぐさま物陰に隠れ、行列の方は絶対見ないようにしなければならない。もし見たときはめくらになるといわれる。

三 壇の浦の漁夫たちは、和布刈祭がすむまでは、和布をとって売ってはならないとかたく戒められている。しかし長年の間には、漁夫の生活上、この戒めも破らねばならないこともあり、そうした場合には、これを和布といわず、とくに「名いわず」といって売り歩いたといわれる。

四 この地方には、その日ついた餅は、焼いて食べてはならないという戒めがあるが、これは祭事の中にその日についた餅を焼いて食べる行事があるところからきたものである。


この日、住吉神社はたくさんのおまいりの人で賑わいます。
境内から参道へかけて、物売りの店が並び、とくに農具、苗木の市は有名です。


(注)
門司の和布刈神社でも同じ日に、和布刈祭を行いますが、このほうは住吉神社のように、してはいけないことを別にあげてはいません。
むしろ多くの人々に見せるための観光的な行事になっています。
それに対し、下関の住吉神社では、今でも秘密の神事としてのしきたりを守り、和布を刈る行事などは、人に見せないようにしています。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/04/14 Sun. 10:26 [edit]

category: 下関の民話

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