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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

青海島(おうみじま)の猿亀合戦 

青海島(おうみじま)の猿亀合戦
山口県の民話


 大むかしの事、山口県の青海島(おうみじま)と仙崎(せんざき)は陸続きだったので、歩いて行き来が出来ました。
 そのころ青海島にはたくさんのサルたちがいて、仙崎に行っては畑にいたずらをしてお百姓さんたちを困らせていました。

 ある、五月の昼下がりの事です。
 一匹のサルが仙崎への道を歩いていると、畳一畳敷もあろうかという大きな海ガメが気持ちよさそうに昼寝をしていました。
 いたずら好きなサルは、海ガメのこうらに乗って海ガメの首を引っぱると、
「こら、おきろ! おきろ!」
と、わめきました。
 すると目を覚ましたカメがびっくりして首を引っ込めたので、サルは手をこうらの中にはさまれてしまったのです。
「あいたた! あいたた! ウキー! ウキー!」
 サルはキーキーと泣いて、仲間に助けをもとめました。
 するとその声を聞きつけて、二百匹ものサルたちが集まって来ました。
「みんな、力をあわせて仲間を助けるんだ! それ、手をつなげ!」
 集まったサルたちは手をつなぐと、つな引きの様に手をはさまれたサルを引っ張りました。
「よいしょ! よいしょ!」
 しかし大海ガメの力は強く、サルたちはずるずると海に引きずられていきます。
 手をはさまれたサルは、もう少しでおぼれそうです。
「後ろのやつ、あの松の木につかまるんだ!」
 一匹のサルが言うと、後ろにいたサルたちが岩からしっかりと生えている松の木に抱きつきました。
「絶対に、放すなよ。放したら、海に引きづり込まれるぞ!」
 サルたちは松の木にしがみついてがんばったので、ここでようやく大海ガメの動きが止まりました。
 急に動けなくなった大海ガメは、何だろうと思って首を伸ばすと後ろの方を見ました。
 その時、こうらにはさまれていたサルの手が、すっぽりと抜けたのです。
「抜けた! わっ、わわわわー!」
 ドシーン!!
 バランスをくずしたサルたちは尻もちをついて、いやというほどお尻の皮をすりむいてしまいました。

 この事があってから、青海島のサルのお尻はほかのサルよりも赤くなったのです。
 また、青海島が今のように仙崎から遠く離れてしまったのも、サルたちが尻もちをついたはずみで動いてしまったのだと言われています。

おしまい
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Posted on 2019/04/08 Mon. 11:30 [edit]

category: 山口むかし話

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みもすそ川 

みもすそ川


長門本平家物語の巻十八の“先帝二位殿入海給事”によると…

二位の尼が、八才になられる幼い安徳天皇をしっかりと胸に抱き、三種の神器のうちの宝剣を腰に、勾玉をを脇にはさんで一歩、二歩、歩まれると、幼帝は、
「いまからどこへ参るのか」
とおたずねになりました。すると二位の尼は、
「わが君さま、いまからやさしい仏さまがたくさんいらっしゃる弥陀の浄土へおつれいたしましょう」
と申し、決死の覚悟を決め、いよいよ身を投げようとされるとき、

  今ぞしる身もすそ川の御ながれ
   波の下にもみやこありとは

と最後の歌を残されて海底深く沈まれていかれました。

この残された歌から、むかしの人たちは、安徳天皇と二位の尼が身を沈められたところは“みもすそ川”であったと言い伝えてきました。しかし、実際には“みもすそ川”は小川であり、とても身を投げることのできる川ではありません。
みもすそ川についてのもう一つの説は天皇の血統が一筋に長く続いていることをさすのだというのです。

ところで、この川で遊女が衣類をせんたくすると“あか”がよく落ちるといわれました。うわさをきいた馬関の町屋のものがせんたくものを抱えてきましたが、さっぱり“あか”は落ちなかったということです。
つまり遊女は平家の官女が身を落とした姿であり、とうぜん遊女のせんたくするものだけに効き目があったのでしょう。


(注)
みもすそ川は、古い本に“御裳濯川”と書いてありますが、いつのころからか“御裳川”と書くようになりました。
大正十五年八月に架けられた木橋「御裳橋」がありましたが、いたみがひどく、また道路の拡張工事などで、昭和十六年三月補修されました。
なお、二位の尼は平清盛の妻ですから、安徳天皇は二位の尼にとって孫にあたります。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/04/08 Mon. 11:13 [edit]

category: 下関の民話

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佛の瀬 

佛の瀬


 昭和の初めのころまで、小戸の身投げ岩から海士郷寄りのゆるい坂道をくだり切った浜辺に位牌の形をした岩が建っていました。
 この岩のことを彦島の人びとは、むかしから『ほとけ岩』と呼んで、いつも花を絶やさなかったといいます。

 むかし、壇ノ浦合戦のあと、平家の落人は、小門の王城山や彦島などに隠れ、平家の再興をはかっていました。
 しかし、やがてその望みも絶たれてしまいましたので、ある者は漁師となり、ある者は百姓になり、またある者は海賊に身をやつしてゆきました。

 その中に一人だけ、かつての栄華の夢が忘れられず、武人の誇りを守り通そうとする男が居ました。その武士は、百姓、漁師などに身を落としてゆく一門を見つめながら、日夜、悶々として生きていましたが、ついに自分の生きる道をはかなんで、小瀬戸の流れに身を投げてしまいました。

 浦びとたちは、その武士の死をいたみ、大きな墓石を建てて、霊を慰めました。すると小瀬戸の急流に押されたのか、大小いくつもの岩石が墓石のまわりに寄せ集められて、いつのまにか大きな岩礁が出来ました。
 そこで誰いうことなく、墓石のことを『ほとけ岩』と呼び、その周囲の岩礁を『佛の瀬』と呼ぶようになりました。

 ところが、不思議なことが起こりはじめました。というのは、そこを通る漁船から、少しでも白いものが見えたりすると、急に潮流が渦巻いて荒れ狂うようになったのです。
 だから漁師たちは、船に赤い旗を立てて小瀬戸の海峡を航行するようになりました。

 今、船に色とりどりの旗と共に、大漁旗などを立てる風習は、この赤旗のなごりだそうです。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2019/04/08 Mon. 10:36 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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