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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

カッパと寿円禅寺(じゅえんぜんじ) 

カッパと寿円禅寺(じゅえんぜんじ)
山口県の民話


 むかしむかし、ひどい日照りが続いて、田んぼも畑も枯れ果ててしまいました。
 こまったのは、人間だけではありません。
 竜が淵(りゅうがふち)に住んでいたカッパも、日照りで魚が死にたえてしまったので食べる物がありません。
 空腹にたえきれなくなったカッパは、悪いとは思いつつ、近くの自住禅寺(じしゅうせんじ)の放生池(ほうしょういけ)のコイを一匹、食べてしまいました。

 この頃、近くの鐘乳洞(しょうにゅうどう)に自住禅寺の寿円禅師(じゅえんぜんじ)が入って、苦しむ百姓(ひゃくしょう)たちを救うために雨乞い(あまごい)のお祈りをはじめていました。
 これを見たカッパは、
「わしが池のコイを食べたので、のろい殺そうというのじゃな」
と、勘違いして、あれこれとお祈りのじゃまを始めました。
 しかし禅師(ぜんじ)は気にもとめず、一心にお祈りを続けました。
「この坊さん、他人のためにここまでするとは」
 心をうたれたカッパはいつしか禅師の弟子となり、禅師のお手伝いをするようになりました。
 そしていよいよ満願(まんがん)の朝、禅師の祈りが天に通じたのか、どこからともなく黒雲が姿を現して、雷をともなう大雨となったのです。
「御仏(みほとけ)は、わたしの願いをお聞きくだされた!」
 禅師は、よろめく足で鍾乳洞から出て行きました。
 弟子となったカッパも、
「これで、わしの罪(つみ)もゆるされよう」
と、禅師に続いて出てみると、禅師が竜が淵の一枚岩(いちまいいわ)の上に立っていたのです。
 実は雨乞いの願いがかなえられた禅師は、そのお礼に自分の命を天にささげようとしたのです。
(あぶない!)
 カッパは駆け出しましたが、禅師はそのまま淵に身を投げてしまいました。
 カッパは禅師をお助けしようと淵に飛び込みましたが、さすがのカッパも大雨の濁流(だくりゅう)ではうまく泳げません。
 カッパは濁流にのみこまれながらも、禅師を助けようとがんばりました。
 岩肌に体をぶつけ、大切な頭の皿も割れてしまいましたが、カッパは最後の力をふりしぼって禅師の体を何とか川岸に引き上げました。
「禅師さま! 禅師さま、ご無事ですか!」
 しかしすでに、禅師は息絶えていました。
「そんな・・・」
 そしてカッパも力つきて、そのまま川下に流されてしまいました。

 やがてこの事を知った村人たちは、禅師の遺体(いたい)を荼毘(たび)にふすと共に、このけなげなカッパを『禅師河童(ぜんじかっぱ)』とたたえて、手厚(てあつ)くとむらったそうです。

おしまい
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Posted on 2019/04/01 Mon. 14:38 [edit]

category: 山口むかし話

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白蛇の家 

白蛇の家


白蛇は、日本全国でも岩国だけに生息しており、天然記念物に指定されていますが、その珍しい白蛇が、吉田の埴生口、木藤という家におりました。

木藤さんの家は、吉田で三軒の中に入る大きな農家で、下男下女を十人も使っていました。
この木藤さんの納屋の石垣に白蛇がいて、夏になると、時々姿を見せるので、人々は木藤さんの「金の神」と云っておりました。
そんな大金持ちの木藤さんでしたが、毎日朝早くから田畑に出で、使用人と一緒に汗を流して働いておりました。

その木藤さんに一人の道楽息子、愚太郎兵衛がおりました。
愚太郎は畑仕事はせず、毎日料理屋にいりびたり、
「酒に肴は、よいしょこしょ、仕事に麦飯や、嫌のさっさい」
と三味線にあわせて踊っていました。
「おやじなど金に使われている。だが、俺は違う。金は使うためにあるのじゃ。…ウンンあの白蛇が金の神か、あんなのは迷信ちゅうもんじゃろう…」
というわけで、二十歳が過ぎても親の意見を耳に入りませんでした。

そして、親が亡くなると、じき田畑を売りはじめました。
ある日、下男の小四郎が牛馬に餌をやっていると、主人の愚太郎が、白蛇のすんでいる納屋の石垣に湯水をかけています。
石垣からは、白蛇がぞろぞろ逃げ出しました。
「金の神様に、どうしてそんなことを」
と、小四郎が云うと、愚太郎は、
「金の神様か、フン、おれは蛇が大嫌いじゃ、あの目を見ると一日中飯に味が無い。あんな蛇が好きなら、どうぞ連れて行っておくれ…」
と、云ったので、小四郎は逃げ出したたくさんの白蛇をかますに入れて、自分の住んでいる掘立小屋に運びました。

小四郎はその後、主人の愚太郎から独立して、一生懸命働き大金持ちになりました。
小四郎の子孫は、代々金回りが良かったということです。


(注)
このお話は、浦上豊著「下関昔話・吉田の巻」の中にのっている、吉田地区に語り伝えられてきたお話です。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/04/01 Mon. 12:36 [edit]

category: 下関の民話

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瓢六ばなし 

瓢六(ひょうろく)ばなし


 福浦金比羅宮の下の港は、むかしから天然の良港として栄えて来ました。江戸時代末期には船宿が何十軒も並び、遊女は二百五十人以上も居たといわれています。


 これは、そのころの話です。

 ある船宿に瓢六という生まれつき少し脳の弱い息子が居ました。船宿の主人は、あと取り息子がこんなことでは、と心配のあまり夜も眠れない日がつづきました。

 瓢六が十五歳になった春、主人は息子を呼んでこう言いました。
『お前ももう十五、いつまでも親に甘えていては大成しない。この船宿を継ぐ為には、もう少し勉強しなきゃあ駄目だ。番頭をつけてやるから、都へ行ってみっちり学問を仕込んで来い』
 もともと少し足りない瓢六、勉強ということよりも、何彼とうるさい父親のそばを離れる喜びで上機嫌。胸をふくらませて福浦を発ちました。

 都は、話に聞く以上のにぎわいで、見るもの聞くものみな珍しく、瓢六はキョロキョロ。ウロウロ、浮き浮きの毎日でした。だから、ともすれば都に来た目的など忘れがちでしたが、時々、尻を叩く番頭さんの忠告で、しぶしぶ聞き覚えの言葉を紙に書き留めました。

 都に着いた夜、宿に入った瓢六に、女中さんがにこにこして、むつかしいことを聞きました。
『お客さん、どこから上洛しやはりましたん』
 瓢六は、キョトンとして番頭さんを振り返りました。すかさず、番頭さんが答えてくれました。
『ヘイ、馬関からです』

 夜、寝床に入ってから、瓢六は気にかかってならないことを、番頭さんに訊ねました。
『上洛って、一体、何や』
『のぼる、つまり、都にのぼることです』
 番頭さんは、ただそれだけ言って眠ってしまいました。瓢六は、ごそごそ起き出ると紙を取り出して『のぼること 上洛』と書きました。

 あくる日、町を歩いていると、大きな屋敷の門前に人だかりがあって、みんな、オイオイと声をあげて泣いています。
『あれは何で、泣くんやろう』
『誰方か亡くなったんでしょうな。これから葬儀が始まるようです』
 と、番頭さんが答えました。瓢六は、紙を出して『泣くこと 葬儀』と書きました。

 少し歩いて行くと、大きな卸問屋の前で、一人の乞食が、何やらぶつぶつ言いながら、店の中をのぞき込んでいました。
『あの、ゴニャゴニャ言いよる男は、何をしょるんやろう』
『何か食べるものを貰おうと思って、ああして、ぶつぶつ独り言を言ってるんですよ。あんな人間を乞食と言います』
 瓢六は、また、紙を出しました。そして、下手くそな字で書きました。『貰うこと ゴニャゴニャ』

 宿に帰り着いて、裏木戸から入ろうとすると、女中さんが、イリコの頭ばかりをざるに入れているのが眼につきました。
『それは、何ですか』
『煮出しです。おつゆを作った残りかすですよって、もう捨てようと思いまして』
 瓢六は部屋に帰って大急ぎで書きました。『頭のこと 煮出し』

 さて、楽しい夕食です。昨晩と同じように赤いお椀、赤いお皿、そして赤いお膳に、おいしそうなご馳走が並べられていました。
『きれいやなあ。この茶碗は何というんですか』
『それは茶碗ではありません。赤いでしょう。だから、朱椀といいます』
 番頭さんは、やさしく教えてやりました。ご飯がすんで、瓢六は『赤いもの 朱椀』と書いて、ニーッと笑いました。

 そのまたあくる日、町を歩いていると、十人ばかりの男女が、牛ほどもある大きな石に網をかけて、
『エンヤラヤ、エンヤラヤ』
 と引っぱっていました。瓢六は眼をパチクリさせて、
『都ちゅう所は、面白い所じゃのう。あんな石にまで、別の呼び名があるんじゃけえ』
 と、ぶつぶつ言いながら『石のこと エンヤ』と書きました。

 また、ある日、いつものようにぶらぶらと町を見物していると、道ばたで母親が五、六歳くらいの男の子の尻を叩いていました。
『痛いよう、痛いよう』
 と、しきりに男の子は泣いていましたが、母親はなかなか許そうともしません。瓢六は、珍しそうに口を開けたまま眺めていました。すると番頭さんが寄って来て、そっと小さな声で言いました。
『あまり見るものではありません。あの子は何かいたずらをして叱られているのですよ。あれほど折檻しなくても良さそうなものを』
 おしまいのほうは独り言のようでしたが、瓢六は耳ざとく聞きつけて『痛いこと 折檻』と書きました。
 どんなことを書いても、番頭さんはもう諦めているのか、ただ笑うだけで、何も言いません。

 そして何ヶ月かが夢のように過ぎて、いよいよ都ともお別れの日が来ました。瓢六は番頭さんに連れられて、名残惜しそうに宿を出ました。二人は川舟に乗って、だんだん遠くなってゆく都を、悲しそうにじっと眺めていましたが、ふと思い出したように瓢六が紙を取り出しました。
『のぼることの反対は、くだること。うん、よし、解ったぞ、上洛の反対やから下洛やな。わしも偉ろうなったもんや』
 小声で、そんなことをつぶやきながら『くだること 下洛』と書いて、ふところに入れました。


 さて、久し振りに福浦の港に帰って来た瓢六は、風待ちで停泊中の千石船がひっくり返るような大声で、
『おとっつあん、ようけ勉強して、今帰ったぞっ』
 と、叫んで家に入りました。ちょうど屋根にあがって、瓦の手入れをしていた父親はその声に驚いて、思わず足を踏みはずし、すってーん、と裏庭に落ちて頭を打ちました。

 さあ大変、瓢六は、駆け寄ろうとする番頭さんを蹴飛ばして医者を呼びに走りました。あわてふためいて医者の玄関を大きな音を立てて開けると、見たこともないような美しい娘さんが出てきました。
 とっさに瓢六は、せっかく勉強して来たから、都の言葉で話してやろう、と思い、ふところから紙を出して、ゆっくり拾い読みをしながら娘に言いました。

『お父さんが、屋根に上洛し、下洛して、エンヤに煮出しを砕き、朱腕かっかと散り、折檻、折檻と葬儀ゆえ、くすり一服ゴニャゴニャ』

 すると、さすがは利口そうな美しい娘さん、都の言葉が通じたのか、ニコッと笑って、ていねいに頭をさげました。
『わかりました。少々お待ちを…』
 そう言って奧に消えましたが、とたんに、廊下をころぶように走って叫びました。


『先生、大変です。船宿から借金取りが来ました。それもポルトガル人で、オランダ語をしゃべり、急いで払えと怒鳴っています。ふところには証文も持っていますので、もう駄目です。どうしましょう』


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2019/04/01 Mon. 12:19 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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