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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島の年表7 

彦島の年表7

享保二年 1717年

異国船六連島に来泊。
長府・小倉・福岡各藩協力して追い払う。


享保三年 1718年

引島・六連島など六ヶ所に砲台を築く。


享保六年 1721年

長府藩家臣細川志津満ら数十名検地のため来島。
長江浦を名合浦、江合の浦を江の浦、小福浦を福浦、山の尾を山郷、伊佐木の浦を伊佐浦、麻植山を老の山とそれぞれ改称する。


明和四年 1767年

幡生八幡の分霊を勧請し、六連島八幡宮を創建する。


享和元年 1801年

六連島の「お軽」誕生。
のち浄土真宗の「妙好人伝」にお軽同行としてあがめられる。


文政三年 1820年

竹の子島に金刀比羅神社を讃岐から勧請する。


文政十三年 1830年

福浦甲山に忌宮末社金刀比羅神社を勧請する。
福浦金刀比羅神社境内に小田南核、富観台之記碑を建立。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/03/18 Mon. 11:14 [edit]

category: 彦島の年表

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干る珠・満ちる珠 

干る珠・満ちる珠


長府の沖に浮かぶ、美しい二つの島も、神功皇后さまにゆかりがあります。

神功皇后さまが神様のおつげで三韓征伐をされることになり、長府に豊浦の宮をおかれ、いろいろと作戦をねったり、準備をすすめました。

三韓は遠い国です。皇后さまは、天地のあらゆる神さまに、お力添えとおまもりをお願いしました。
もちろん海の神さまである龍神にも海路の無事と戦の勝利を願われました。
ちょうど満願の日です。それまで、おぼろ月のしたに静まりかえっていた瀬戸の海が、にわかに潮鳴りをおこし、渦を巻いてたけ狂いはじめました。そのどよめきの中から、
「皇后さま、皇后さま、わたしは瀬戸に住む住吉明神の化身でございます」
と呼ぶ声、皇后さまの耳に聞こえてきました。
みると、一番大きな渦の中に、白いひげを潮風になびかせながら、住吉明神が立っていました。そして、
「三韓はいずれも強い国です。ぜひ龍神のおたすけをかりなさい。それには、安曇の磯良という者を召されて、これを使者として、干珠・満珠の二つの珠をかりうけられ、そのご神徳によって戦を勝利にすすめられるがよいでしょう」
と、おつげになりました。

そこで皇后さまは、この海岸に住む安曇の磯良という若者を召して、龍神のもとに使わされ、二つの珠を借り受けてこさせました。

いよいよ新羅の大軍が攻めてきましたが、皇后さまは、まず潮干る珠を沖の方へ投げられました。
すると、見る間に潮が引いていって海底があらわれましたので、しかたなく新羅の軍隊は船を降りて海底を歩いて攻め寄せてきましたが、もう少しで陸へ上がろうとという時、こんどは潮満つ珠を岸の近くに投げられると、たちまちまた潮が満ちてきて、新羅の軍隊はおぼれてしまいました。

そののち、皇后さまは、軍船をととのえて、いよいよ三韓へわたり、敵を打ち破り、やがて皇后さまの軍船はいさましく長門の海に凱旋してきました。


皇后さまは、干珠・満珠のあらたかな徳をたたえられ、それをもとの龍神におかえしになるに先立って、お祝いの儀式をとりおこないました。

その日は、軍船が幾組みも組をつくって、壇の浦から長門にかけて、にぎやかなまつりの行事をくりひろげました。
そして、その先頭のひときわ大きい軍船から、皇后さまは、声を高くして、
「わたくしたちが、このたびのいくさに勝利をおさめ、ここにめでたく凱旋できたのは、みなの勇敢な働きによるものであることは申すまでもない。しかし、それにもまして、龍神より借り受けたこの干珠と満珠の二つの珠のご神徳である。いまここに、お礼を申すとともに、この珠をお返ししたいと思う」
と、おつげになり、静かに二つの珠を海に沈められました。
つわものたちも軍船の上から、二つの珠が沈められた海のあたりを、深い感謝の心をこめて、いつまでもふり返りふり返り見守っていました。

すると、二つの珠が沈められたあたりの海の上に、見るもあざやかな美しい緑の島が、ふたつぼっかりと浮かび上がってきたのです。

この不思議な出来事に、皇后さまをはじめ、つわものたちは感動の目をもって眺め入りました。皇后さまは、
「みなのもの、龍神はいまこの海に二つの島をつくりたまわれた。永遠に長門の浦を鎮めたまうのである。この平和の波はいつまでも干珠・満珠の岸を洗うことであろう」
と申されました。

これを聞いたつわものたちは、いっせいによろこびの声をあげ、そのこだまは海峡にひびき、干珠・満珠の美しい島をつつみました。


(注)
長府の沖合いに、夢のように浮かんでいる島影は、どちらが満珠・干珠だろうと、よくいわれますが、この島の樹林が天然記念物に指定されたとき、沖の方を干珠、陸に近いほうを満珠としており、いまでは、そのとおりに呼ばれています。
また二つの島は、忌宮神社の飛地境内になっています。

島をおおう、うっそうたる樹林は、千古の原始林で、植物目録によると、きょう木17種、かん木30種、草木41種があげられ、大正15年10月22日に、天然記念物に指定され、さらに昭和31年5月1日に、火の山とともにこの二つの島をふくめて、海面区域が瀬戸内海国立公園に編入されました。

なお、船の航海に必要な世界中の海図には、燈台のある沖の島が満珠島、手前の陸に近いほうが干珠島となっており、どちらの島の名前が本当なのかと問題になったことがあります。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/03/18 Mon. 10:54 [edit]

category: 下関の民話

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金の弦(きんのつる) 

金の弦(きんのつる)


 彦島の南端、田の首には『カネガツル』という岬があるが、少し東よりの弟子待がわにも『金の弦岬』と呼ばれる岩山がある。

 むかし、この岩山に一本の桂の木が枝を伸ばしていた。春になれば紅色の花を咲かせたが、その実は不思議にも金色に輝いていた。
 浦びとは、この桂の木を、月からの贈り物に違いないと喜び、木の回りに、しめ縄を張ってお供え物を欠かさなかった。
 ところが、ある年の秋、この付近を襲った台風が、桂の木を根こそぎ抜いて海に流してしまった。
 浦びとたちは、嘆き悲しんだが、
『わしらの信仰が足りなかったから』
 と、同じ場所に、もう一本の桂の木を植えて、以前にもまして、日夜おがんだ。

 あくる年の春、三日月がだんだん円くなりかけたある夜のことである。桂の苗木が金色に輝いているのを一人の浦びとが見つけて、みんなを呼び集めた。
 あの浜この村から多くの人びとが集まって来た時は、桂の苗木はぐんぐん大きく伸びはじめていた。
 あれよあれよと浦びとたちが驚きの声をあげている間に、桂は三日月のように半円を描きはじめ、やがて、スポンと音がして、根が抜けた。それから、そのままゆっくりと宙を舞い、浦びとたち一人一人の肩にそっとふれて、ゆっくりと空高く昇っていった。

 それからというもの、浦びとたちは三度び桂の木を植えないことを話し合い、岩山にしめ縄だけを張って『金の弓弦の岬』と呼び信仰をおこたらなかった。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2019/03/18 Mon. 10:37 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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