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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

漁業者の団体組織と漁業発達の影響1 

漁業者の団体組織と漁業発達の影響1


ただいまより彦島の漁業のことにつきまして吉岡英雄氏からお話をいただきます。
吉岡氏は永らく彦島漁業組合の専務理事として、また市議会議員として三期にわたって市政に参画された方でございます。


ご紹介を受けました吉岡であります。
私は皆さんのように彦島に生まれ、彦島で育っていないため、遠い昔のことは存じておりません。
大正4年山口市から彦島村に転入いたした者でありますから、ご参考になるようなお話もできないと思いますが、若干聞き及んだなかから申し上げようと思います。

まずもって現在の大和町の生い立ちから簡単にお話ししてみたいと思います。
彦島の地は昭和8年下関市と合併いたしまして、彦島地先に継子扱いにされておりました「沖の洲」が大々的な埋め立てにより現在の大和町に姿を変えました。
過去を思い出しますと、じつに夢のような感じがするのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/03/07 Thu. 10:41 [edit]

category: ひこしま発展誌

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吉母 

吉母


三韓征伐を終えられた神功皇后さまは吉母で、応神天皇さまをお生みになりました。
そのとき、浜の“藻”を“よせ”あつめて体に巻かれ、身をあたためられたというところから、“よせも”が「吉母」になったといわれています。

近くの乳母屋神社は応神天皇に乳をお飲ませした神様で、杜屋神社は天皇をお守りした神様であり、また若宮神社は、天皇をおそだてになった神様といわれています。

それから、綾羅木の浜のことを“時の浦”といっていましたが、それは皇后さまの軍隊がこの浜で“ときの声”をあげられたことからきています。
また、安岡の地名も、最初は“やすらが丘”といっていたそうです。
それは皇后さまが、この地方でひと休みされたことから、やすらが丘と呼ばれ、“やすらが丘”が“安岡”と次第に変ってきたのだといわれています。


(注)
下関だけでなく、山口県には神功皇后さまと地名の関係の伝説がたくさんあり、それだけでも一冊の本になるほどです。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/03/07 Thu. 10:39 [edit]

category: 下関の民話

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舟島怪談 消える血のり 

舟島怪談 消える血のり


 おらが心と巌流島は
  他に気がない待つばかり

 と、俗謡に唄わ すれるこの島が、『ほかに木がない、松ばかり』であったころは、まだ多くの松ノ木を青々と繁らせていました。

 ある年の、春浅い日のことです。近くの漁師が、舟島の沖合いで魚を釣っていると、
『オーイ』
 松林の中から呼び声が聞こえてきました。漁師は、あたりを見回しましたが、自分のほかには舟も人影もありません。しかし、呼び声は何度も繰り返されて聞こえてきます。
 漁師は不思議に思いながら、声のするほうへ舟を漕ぎ寄せ、舟島にあがってみました。
 すると一本の松の大木に、色白の若者が寄りかかるような形で死んでいました。よく見るとその額は、ぱっくりと割られています。
 驚いた漁師は、それでも気丈な男で、若者の死体を舟に乗せ、あわてふためいて浦に帰りました。ところが、さて死体をおろそうと菰を取ってみると、いつのまにか消えてしまったのか死体がありません。しかし、舟板にはベッタリ血のりがついていました。
 漁師は、舟が大波にゆられた時にでも、海に落としてしまったのだろうかと、いぶかりながら陸にあがり、仲間を集めて戻ってみますと、今度は、そこに付いていた血のりさえも、いつのまにか、かき消されてあとかたもありません。

 浦の漁師たちは、毎年、春が近くなると、必ず誰かがそんな経験をもっていましたので、
『ああ、また今年もか』
 と、恐れおののいて、その翌年からは、冬が去りはじめたころ、舟島からどんな呼び声が聞こえてきても、決して島に近づかなかったといわれています。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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Posted on 2019/03/07 Thu. 10:03 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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