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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

農業者の団体組織と生産進歩の過程6 

農業者の団体組織と生産進歩の過程6


彦島が工業地帯となり、人家が増加するため田畑が減少するのは、農民にとっては非常に寂しい感じはいたしますが、地元の発展のためやむを得ないので、集約農業に切り替えつつ農業生産をやっているのであります。
無論地理的にも都会地の付近でありますので、現在の年間生産量は野菜で百万貫を上回り、花卉は年間を通して市場に出荷できるようになっており意を強くしております。

農業者の団体組織としましては、明治・大正・昭和と三代にわたり農民の拠り所となっておった農業会を忘れてはなりません。
この農業会は行政機関が、村役場あるいは町役場の中に事務所を置いて農業技術員をして指導させたのであります。
この指導員の指導を受けて彦島の農業も発展してきたのであります。

昭和8年3月、下関市と彦島町が合併することになりましたが、下関にはこの農業会がなかったのであります。
したがって彦島の農業会そのものが下関の農業会になったので、彦島の方からその時の会長・副会長が出ておったのであります。
そのうち下関市も次々に近接の町村を合併したため。農業会の規模が大きくなってきました。
ところが彦島はご承知の通り工業化が進み、農業の割合が少なくなってきましたまで、ついに彦島の農業会は幡生と一緒になったのであります。
そして、戦争中は幡生農業会の支所となって僅かに生きておったのであります。
その時の役員も彦島から理事が一人か二人しか出ない惨めな有様でありました。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/03/01 Fri. 11:15 [edit]

category: ひこしま発展誌

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ボロ吉奉公 

ボロ吉奉公


 むかし、福浦の船宿に、宗吉という一人息子がいた。宗吉は大変ノロマで、何をしても人の五倍も十倍も時間を費やしたので、人びとは宗吉と呼ばすノロ吉と呼んでいた。
 しかし、ノロ吉はとても気のやさしい男で、ある日のこと、金比羅様に参詣して、その境内で傷ついたフクロウを見つけ、連れて帰り手厚く介抱した。やがてフクロウの傷は元通りに良くなったが、山に放してやっても、すぐにノロ吉のそばに戻ってきて、そのうち、とうとう船宿に居ついてしまった。

 そんなある日、西国の海賊が彦島を襲い、福浦を根城にして近海を荒らしはじめた。船宿の人びとは慌てふためいて下関へ避難したが、ノロマのノロ吉は逃げおくれた為、海賊に殺され、海に捨てられてしまった。

 何年かたって、海賊は退治され、人びとも戻って来たが、空き家となっていたノロ吉の家からフクロウが飛び出て来た。毎日、ノロ吉を探しまわっていたことに気づいた人びとは、その姿があまりいじらしいので、
『おぅ、おう可哀そうに、お前はたった一人で留守番しちょったんかい。ノロ吉はのぅ、下関からそのまま都へ奉公に行ったんじゃ、当分は帰って来れんじゃろう』
 と、フクロウに告げた。
 フクロウは首をかしげて『ホウ、ホウ』と、その話を聞いていたが、その日からどこともなく飛び去ってしまった。
 その夜から、彦島のあちこちで啼くフクロウの声は、『ノロキチホウコウ』と聞こえたが、人びとはフクロウのことを『ボロ吉奉公』と呼ぶようになったという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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Posted on 2019/03/01 Fri. 10:31 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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沈んだ王国 

沈んだ王国


下関市の町並みを抜け、国道191号線を10キロほど北上すると安岡の地。
西側は響灘に面した美しい松林と砂浜が続く。
この沖合い2キロの海中に、久留見瀬と呼ばれる小さな瀬がある。
いつも海面の下で見えないが、干潮になると平らな岩が頭を出す。
かつて大きな島国だったのが沈んだのだという。


いまから何千年も昔のこと、この島を玄海王という王様が支配していた。
王は城の一角に高い望楼を築くことを思い立ち、島中の若者をかり出した。
島に結婚して間もない若夫婦がいた。
妻の久留見は、毎日城のほうをにがめながら、人夫として連れ出された夫の帰りを待った。
やがて望楼は雲をつくばかりの高さに完成した。
しかし、夫は帰ってこなかった。
久留見は城に行ってみたが門の中に入れてくれない。
城門の前で夫の名を呼び続けて泣き伏す久留見に、一人の老人が「夫は望楼の人柱になった」と教えた。
悲しみにくれる久留見の美しい顔を望楼から見た玄海王は、家来に連れてこさせ、自分の妻になるよう命じた。
久留見は「私の夫を王様と同じような手厚い礼で葬ってくださるなら」と承諾した。
王はさっそく盛大な葬儀をし、久留見も涙をこめて参列した。
式が終わると久留見はスキをみて逃げ出し、望楼にのぼった。
びっくりしてあとを追う王らの前で久留見は青い海に身をひるがえした。

それ以後、この島は一寸刻みに沈みはじめ、玄海王も立派な宮殿も海底に没してしまった。
ただ山頂だけが、いまも波に見えかくれする瀬となり、久留見の悲しい物語をとどめている。


下関郷土会が出した「下関の伝説」などに収録されている。
久留見は来留見とも書く。
ただ、「地元の漁師でさえ、そんな話は知らず、民俗採取の際にも聞かなかった」と下関市安岡資料室の吉村次郎さん。
安岡資料室は近くの綾羅木遺跡などの出土品をまとめ、整理研究している。
考古学的な立場から吉村さんは、伝説は「まゆつばもの」としながら「久留見の瀬は百年ほど前には島で、松の木が残っていたという。北西の季節風で岩が風化され、なくなったのだろう」と話す。
その自然現象を「島が沈んだ」として、伝説が生まれたのだろうが、「土地に残る遺物や不思議な自然現象に神秘を感じて、一つの話にまとめるのは楽しい」というのは下関市綾羅木の郷土作家瀬戸口久子さん。
久留見瀬には、ほかに安岡の悪代官が島に渡って密議をこらしたなどの話もあるという。
綾羅木の古代遺跡を背景に、波間にひそむ久留見瀬のほのかな姿に王国の面影をみるのはそれほど困難ではなかった。


防長紀行第三巻 民話の里 マツノ書店刊より
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Posted on 2019/03/01 Fri. 10:14 [edit]

category: 下関の民話

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