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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

白い福ネズミ 

白い福ネズミ


 むかしむかし、ある村に、働き者のおじいさんが住んでいました。
 毎日毎日、一生懸命働いているのですが、暮らしはちっとも良くなりません。
 そんなある年の一月二日、おじいさんは不思議な初夢をみたのです。
 まぶしいお日さまの光の中から、杖をついたおじいさんが現れて、
「わしは神さまの使いじゃ。お前さんは実によく働いておる。だが、このままでは駄目じゃ。というのも、お前は食べ残しの野菜の切れはしなどを、台所の流しへ捨てたままにしておる。それがつまって、実に汚い。ドブをきれいに掃除してみよ。さすれば、良い事がおこるであろう」
 神さまのお使いはそう言って、消えてしまいました。
 目を覚ましたおじいさんは、さっそく台所の流しやドブをきれいにしはじめました。
 すると、一匹のネズミが出てきました。
 よく太った、まっ黒なネズミです。
 ネズミは家の中に入り込むと、奥の部屋の神棚へと飛びあがりました。
 そして供えてあるお餅の裏に逃げこむと、しばらくしてお餅と同じようなまっ白い姿になって、顔を出しました。
 その日から畑へ行くと、白ネズミはあとからついてきて、小さな手で畑の土を掘り返したりして手伝ってくれます。
 おかげでおじいさんの仕事がはかどり、少しずつですが、お金もたまるようになって、暮らしも豊かになっていきました。
 さて、それをうらやましく見ていたのが、となりのおじいさんです。
 となりのおじいさんは白ネズミを借りてくると、お餅をまき散らしたとなりの部屋に入れました。
 そして夜になるとふとんに入り、ふすまのすきまから様子を見ていました。
 カリカリお餅をかじっていた白ネズミは、夜になるとたくさんの糞をしましたが、気のせいか、その糞が白くかがやいているように見えました。
「そうか。あのネズミは餅を食って、銀の糞をするんだ。これでおらも大金持ちじゃ」
 次の日の朝、目を覚ましてとなりの部屋をのぞくと、足の踏み場もないほど、たくさんの白ネズミがはいずりまわっていました。
「おう、たくさんの仲間をつれてきたな。ありがとうよ。もっともっと、銀の糞をしてくれよ」
 欲深じいさんはニコニコしながら、一匹の白ネズミの頭をなでました。
 するとネズミは「チュー」と鳴いて、たちまち、まっ黒なドブネズミになってしまったのです。
「ややっ、これはどうしたことじゃ!」
 ほかのネズミを捕まえると、みんな同じように「チュー」と鳴いて、ドブネズミに変わってしまいました。
 そして光っていた銀の糞も、まっ黒な本物の糞になって、欲深じいさんの家の中は糞だらけになってしまったと言う事です。


山口県の民話 福娘童話集より
http://hukumusume.com/douwa/index.html
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Posted on 2019/03/31 Sun. 12:09 [edit]

category: 山口むかし話

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鶴柿 鶴の恩返し 

鶴柿 鶴の恩返し


むかし、むかし、ある日のこと、鶴の親子が八代(やしろ)の里を空高く飛んでおりました。
八代の里は柿の木がおおいところ。
たわわに実ったおいしそうな柿の実をみて、子鶴は、たべたいとほしがりました。

けれども鶴は木の枝にとまることができません。
どうやって、もいだらいいだろうと、親鶴は柿の木をぐるりぐるりと飛んでおりました。

そこへ一羽のからすが飛んできて、うれた柿をおいしそうにたべはじめました。

これをみて親鶴は柿の木の下へ降りて行き
「からすさん、わたしたちにも一つうれた柿をもいでおくれでないかね」
と、たのみました。からすは
「もいでやってもええがの、お前さんはきりょうよしじゃ、よううれた柿じゃ着物がよごれるじゃろうから、まぁこれがよかろうて」
といって、まだかたい柿の実を鶴になげました。

「からすさん、子供がほしがりますので、もっとよくうれたのをおねがいします」とまた、ていねいにたのみました。
「それなりゃ、ちょっとまっちょけいや」
といったきり、からすは鶴にとってやろうともせず、自分だけよくうれた柿をたべ、種やへたを下へバラバラなげすてました。

いつまでたってもとってくれそうにありませんので、鶴はまたたのみました。すると、からすは腹をたてて
「そんなら、お前さんがのぼってすきなものをもぎんされ」
といったかと思うと、かたい柿の実を鶴にむかって投げつけました。

これを、じっとみていたお百姓さんは、ぬけぬけと柿をたべているからすを追いはらい、よくうれた柿を鶴にとってやりました。

鶴の親子はよろこんですっかりたべると
グルーガルー、グルーガルー
とお礼をいいながら飛んでゆきました。

それからしばらくたった、ある寒い日のこと、このお百姓さんの家に大そうどうがおこりました。
お百姓さんの子供が干柿をたべていて、柿の種をのどにつめてしまったのです。

すると、いつぞやの鶴が、お百姓さんのあわてたすがたをみて、わけをきくなり
「わたしがおたすけしましょう」と お百姓さんの家へ飛んで行きました。
そして鶴は、苦しんでいる子どもの口を開けさせると、その長いくちばしでなんなく柿の種をついばみ出してしまいました。

お百姓さん夫婦は大喜びで鶴にお礼をいい
「八代の柿ぁ うまいんじゃが、種が多くてしょうがない。種さえなけりゃ、八代の柿は周防一じゃが」といいました。

これからです。八代の柿は干柿にすると、どうしたわけか種がすっかりなくなってしまい、子どもが種をのどにつめる心配がなくなった、ということです。
こうして八代では、干した柿を干柿ともつるし柿ともいわず、鶴の恩返しと考えて、鶴柿(つるがき)というようになったそうです。

(熊毛郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載
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Posted on 2019/03/30 Sat. 11:25 [edit]

category: 山口むかし話

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彦島の年表18 

彦島の年表18

昭和五十五年 1980年

巌流島に憩いの広場を開設。


昭和五十六年 1981年

西山木材港の建設起工。


昭和五十七年 1982年

彦島ー大和町間の水門橋が全面改修。

向井小学校、向井町に開校。


昭和六十一年 1986年

ヒヨドリ彦島に大挙襲来農作物に被害。

福浦の日東合板が事業閉鎖。


昭和六十三年 1988年

林兼造船、事業不振のため廃業。

関彦橋、全面架け替え工事完了。

西山埠頭完成。


平成二年 1990年

彦島図書館、江の浦町に開設。


平成八年 1996年

巌流島が自然や歴史的環境に配慮した海岸整備をする「エココースト事業」地区として国から指定される。


平成十一年 1999年

下関第一高校、中等教育学校に内定、平成16年4月開校予定。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/03/29 Fri. 10:40 [edit]

category: 彦島の年表

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彦島の年表17 

彦島の年表17

昭和三十六年 1961年

老の山公園開設。


昭和三十七年 1962年

老の山に第一高校が開校。


昭和四十一年 1966年

福浦湾に木材港・貯木場完工。


昭和四十六年 1971年

彦島し尿処理場が操業開始。

彦島支所・公民館完成。


昭和四十九年 1974年

玄洋中学校吹奏楽部、全国優勝。

地方卸売市場、南風泊市場開設。


昭和五十年 1975年

彦島有料道路・彦島大橋完成。


昭和五十二年 1977年

彦島運動場が完成。


昭和五十五年 1980年

玄洋中学校、本村町に新築移転。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/03/28 Thu. 10:52 [edit]

category: 彦島の年表

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彦島の年表16 

彦島の年表16

昭和二十年 1945年

三菱重工業彦島造船所、戦後県下初の賃上げスト。


昭和二十二年 1947年

彦島中学校、江の浦町に開校。


昭和二十五年 1950年

彦島警察署設置。


昭和二十六年 1951年

西山小学校、迫町に開校。


昭和二十八年 1953年

本村小学校全焼。


昭和二十九年 1954年

関彦橋、コンクリート橋に架け替え工事完成。


昭和三十年 1955年

玄洋中学校、西山町に開校。


昭和三十二年 1957年

角倉小学校、角倉町に開校。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/03/27 Wed. 10:27 [edit]

category: 彦島の年表

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