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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

農業者の団体組織と生産進歩の過程3 

農業者の団体組織と生産進歩の過程3


耕作面積も次第に減少を続けて田三十町歩、畑が百十町歩となったのであります。
したがって農家も「一町歩百姓」が「四反百姓」となり、まだ減っていく恐れがあります。

このような耕作地の減少傾向に対処するため、昭和の初めから一部の農家は温室事業を取り入れて生産方式の改善を図りました。
この温室は昭和8年頃から盛んになり、露地栽培の野菜を温室栽培に切り替える農家が増えてきました。
ところが昭和12年の日中戦争以降、農産物は統制され米穀中心に切り替えられ、併せて供出制度が布かれて米麦も一定量以上は持つことができず、あとは全て供出しておった次第で、温室栽培も頭打ちになったのであります。

昭和20年8月の敗戦で食糧難が深刻化してきまして、農民も自分で作りながら食料に不自由しておったのでありますが、わが国民が共に苦しみを分け合うことは当然のことであるので、進んで供出に参加したのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/02/25 Mon. 12:53 [edit]

category: ひこしま発展誌

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小瀬戸の海ぼうず 

小瀬戸の海ぼうず


 関門海峡は、むかし二つに分かれておって、それぞれ、大瀬戸、小瀬戸と呼ばれたものじゃ。

 そのころ、小瀬戸の潮のながれは日本一はやかった。だが、どんなに早ようても、一日に何回かは、かならず流れが止まる。そのときを見はかろうて、漁師たちは舟をだした。


 ある、霧のふかい朝のこと。
 小瀬戸に近い浜辺の漁師が舟をだそうとすると、波うちぎわに大入道がすわっておった。
『うわあっ』
 漁師はびっくりして、ころげるように逃げかえった。そして、家の戸をぴたっと閉めて、しばらくがたがたとふるえておったが、おちついて考えてみると、大入道のようすが、どっかおかしかったことに気がついた。なんだか、もがき苦しんでおったようにも思える。
『もしも病気なら、よもや食いつきはすまい』

 漁師は、ひとりごとを言いながら浜辺にとってかえし、こわごわと大入道をのぞきこんだ。
『いったい、どうしたんじゃ。どこか、気分でもわるいんか』
『うん。頭のうしろに、なにやら刺さっちょるらしい。ゆんべから、痛うてやれん。すまんが、抜いてくれんか』
 大入道の声は、思うたよりも、ずっとずっとやさしかった。
『おまえさんがあんまり大きゅうて、わしにはなんも見えんが、背中にのぼってもええかいの』
『うん、ええけ』

 漁師が、おそるおそる大入道の背中によじのぼってみると、もり(さかなをつきさす鉄製の道具)が、頭に突き刺さっておった。
『これじゃあ、痛いはずじゃ。誰ぞの流したもりが、刺さったんじゃろう』
 力を込めて引き抜いてやると、大入道は、
『うーん』
とひと声うなって、気絶してしもうた。漁師は大急ぎで家にかえり、いろんな薬をもってきて、頭の手あてをしてやったんじゃと。

 しばらくたって大入道は、ようやく気がついた。そして、うれしそうに顔をあげて、ゆっくりと、こう言うた。
『わしは、この小瀬戸に住む海ぼうずで、むかしから、潮の流れを止める役目をつとめちょるが、傷がなおるまでは、それもできんじゃろう。ほいやけ、きょうから四、五日のあいだは、だれも舟を出さんよう、浜の衆に伝えてくれ』
 言いおわると大入道は、すうっと海に消えてしもうた。

 漁師は家にかえって、村の衆にそのことを伝えたが、誰も信じるものはなかった。それどころか、
『なにを寝ぼけたことを言いよる。潮は、むかしから、決まった時間にとまることになっちょるわい。それ、もうすぐ、その潮どきじゃ』
 と言うて、次々に舟をだして、漁にでかけたそうな。

 ところが、いつもの時間になっても、きょうに限って潮の流れは、いっこうに止まらん。どの舟も、どの舟も、日本一はやい小瀬戸の潮の流れに巻きこまれて、またたくまに海に沈んでしもうた。
 四、五日たつと、大入道の傷がなおったとみえて、いつものように、潮が止まりはじめた。だが浜の人たちは、
『舟が沈んだのは海ぼうずのせいじゃ。こんなおそろしいとこには居れん』
 と言うて、よその土地へ逃げていった。

 たったひとり残された漁師は、ときどき浜辺に遊びにくる大入道を話し相手にして、いつまでも、楽しく暮らしたという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
私が小学生の頃までは、彦島の老婆たちは『海士郷の海で泳いだら、海坊主に食われる』と、よく言ったものである。
これによく似た『海ヘビ』の話も残されているが、いずれも小瀬戸の急流で遊ぶことを戒めたものであろうか。
ともあれ、この話は、一度、海坊主とやらに会ってみたいと思わせる楽しい物語ではある。
この話について岩国短期大学学長・松岡利夫氏は『山口県の民話』(偕成社刊)で、『海ぼうずは海上にあらわれるという妖怪の一つです。北浦の漁師の間で話されており、海入道とも言っています。そして、海ぼうずが出てもなるべく見ないように、またものを言わないように、ものを言うとたちまち舟をひっくり返されてしまうと言われています。ところが、この本では海ぼうずが漁師に助けられるというふうで、全国的に見ても珍しい話です』と解説しておられる。
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Posted on 2019/02/25 Mon. 12:23 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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平家がに 

平家がに


源平合戦にまつわる伝説はたくさんあります。
これもその一つ。

壇の浦の漁師たちは、魚を釣るとき、かならず船板に正座して釣糸をたれます。
いつのころから、誰がはじめたのかわかりません。漁師たちは、正座しているほうが、釣りの勘がよくはたらくといいます。
また、こうしていれば、なんとなく心も落ち着くといいます。

もう一つは、平家の落人がこの壇の浦に住み着いて漁師をはじめましたが、以前宮中に住んでいたころの作法が身について、正座するようになったともいいます。

この海峡では、平家がにがとれます。中型のカニで、甲の長さ3センチ、脚をのばすと約15センチぐらいになります。
そして背の甲に、人の面ににた隆起があります。が、これが平家の武士たちのうらみの形相そっくりなので、平家がにといっています。

また海に消えていった官女の生まれ変わった姿といわれる10センチぐらいの美しいタイのことを小平家(こべけ)といって、毎年七、八月ごろになると、金色のうろこに白い斑点のあるこのタイが海峡にあらわれます。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/02/25 Mon. 12:03 [edit]

category: 下関の民話

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