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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

明神さん 

明神さん


 西山波高バス停の海寄りに『明神さん』と呼ばれる小さな祠が建っている。背後に大きな石を置き、何本かの老松が海風にゆれているが、明神さんのいわれについてはあまり知られていないようだ。


 むかし、伊予の商人が、風待ちで入港した南風泊の宿で、明神さんを信仰すればどんな願いごとでも叶う、という噂を聞いて、むしょうに欲しくなり、ある夜そっと明神さんを盗み出して小舟で海峡を渡り、門司の鼻にかくして、何食わぬ顔で宿に戻った。
翌朝、ようやく波風も静まったので、船は南風泊を出帆したが、門司の沖にさしかかった時、商人はふと思い出したように、
『そうじゃ。門司に嫁いじょるワシの妹は永いこと患ろうちょるらしい。一晩見舞うてからすぐあとを追うけえここで下船させてくれや』
 と言って船を下りた。そして門司に渡り、前夜ひそかに隠しておいた明神を取り出そうとしたところ、急に頭が割れるように痛くなり、おまけに、腹痛まで起こす始末。
『これは、おかしい』と、その夜は門司の宿に泊り、翌日、回復したので再び取りに行くと、また腹痛、頭痛が同時に襲ってきた。
 商人は驚いて『これは明神さんのたたりじゃろうかい』と大慌てで、御神体を海に放り投げ、痛む腹と頭をかかえながら小舟で周防灘へ漕ぎ出した。だが、何町も進まないうちに発狂して、近くの岩礁にぶつかって死んでしまった。

 だから、門司の鼻のことを、今でも明神の鼻と呼び、その沖には明神の瀬もあるという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
『明神』さんの祭礼は古くは十月二十四、五日の二日間であったが、現在は十月十五日に変わっている。
彦島八幡宮の祭礼が、甘酒を供えて『濁酒(どぶ)まつり』と呼ぶのに対して、『明神さん』は、『あめ湯』を作って供え、部落中にふるまうことから『あめ湯まつり』と呼ばれているようだ。
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Posted on 2019/02/23 Sat. 11:31 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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平家のいっぱい水 

平家のいっぱい水


四国屋島の戦いにひきつづいて、源氏、平氏さいごの一戦がだんのうらでくりひろげられました。

寿永四年三月二十四日、源氏側は九郎判官義経を総大将に武将たちを乗せた舟、およそ千艘は、満珠干珠の沖合いに、平家側は新中納言平知盛を総大将におよそ八百艘が彦島に陣取り、両軍は静かに舟をすすめます。

いよいよ最後の決戦です。
源氏の白旗、平家の赤旗はしだいに近づいてきます。
やがて海峡の真中にきたとき、ちょうど午前十時、両軍の舟からいっせいに矢が飛び交いました。
矢に当たって海に落ちるもの、舟を近づけ熊手を使ってひっかき落とすもの、敵、味方入り交じっての激戦です。

このころん.から潮の流れは平家側に有利になり、次第に源氏側は押され気味で、損害は大きくなりました。
しかし、源氏側には、ちゃんと計画がたててありました。
それは海峡の流れが、いまは源氏側に不利ですが、やがて逆に流れ出し、このときに一気に戦いの結着をつけようとしていたのです。
激戦は続いていました。海に落ちたものは、重たい兜を着ているので、泳ぐこともできず海の底へ沈んでいきました。

そうして戦っているうちに、潮の流れが変りはじめました。
源氏側はこのときとばかりに、ほら貝を吹き、かねを鳴らし、
「いまこそ、平家をたおせ。進め、進め」
と勇気をふるいおこし、勢いをもりかえして、平家の舟を追いかけました。

平家は、ここで源氏に負けると、もう逃げるところがありませんので、負けてはなるものかと最後の力をだして戦いましたが、流れが変ったので、舟を進めることができず、とうとう、源氏に負けてしまいました。

平家側のあるものは捕らえられ、または海に沈み、またあるものは傷を受けてようやく岸にたどりついたものもありました。
そのうちの一人、平家の武将は、肩と足に矢を受けて海に落ちましたが、岸に近いところだったので、命がけで泳ぎ、ようやく岸にたどりつきました。
そこは前田から少し御裳川に寄ったところで、その武将は、のどがからからに渇ききっていました。
ふと見ると、山すそから海岸線におりたところにわずかな水溜りがありました。
武将は痛む体を引きずって水場に近づき、手のひらにすくい水を飲みました。
武将にとっては命の水だったのでした。
夢中になって、また手のひらにすくい二度目に口にしたところ、思わずむせて吐き出してしまいました。
真水は塩水に変っていたのでした。


(注)
前田造船所の横に平家の一杯水という板柱がたっています。

このお話ににたもので「官女の水」というのがあります。
だんのうらの戦いに敗れた官女の一人は、連れにはぐれてしまい、迷いに迷って金比羅付近に身を隠すことができました。
しかしこの戦いで戦死した夫のことや、いままでの楽しい生活のことを思うと、ひとりでに涙がでて、毎晩のように泣き続けました。
そして一滴の水ものどに通らず、みるみるうちに痩せ、ついに涙がかれきった時、淋しく死んでいきました。
その後誰かが、官女の淋しい死を思ってお墓をたててやりました。
もちろん官女の名前もわかりませんので、お墓といっても大きな石を置いただけでしたが、どうしたことか、この石の前に水溜りができました。
その水は、湧き水でも、流れ水でもありません。
人々はこれを「官女の水」といっていましたが、ひょっとすると官女の流した涙かもしれません。

それから誰いうとなく、この水を目につけると必ず眼病が治るという噂がたち、おまいりする人もありました。
しかし、その石は道を広げる工事のさい、取り壊されて今はありません。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/02/23 Sat. 10:18 [edit]

category: 下関の民話

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