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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

人口増加の趨勢について3 

人口増加の趨勢について3


昭和7年、かねてより政府の手によって彦島東部沖の「沖の洲」海面に進められていた十六万坪の埋め立てが完工するとともに、彦島と下関が運河渡しで行き来できるようになりました。
それまでは海士郷、伊崎間を船で往来していたのでありましたが、小戸海峡の潮流を止め彦島と伊崎、竹崎、大和町で囲み、東洋一の漁港が出来上がりました。
その上、本土・九州間を繋ぐところの鉄道海底トンネルが完成し、線路が大和町の中央を走るようになり、これと並行して下関駅の移転もありました。

このような埋立地の利用度の増加と共に、大漁港の出現によりまして、漁船の管理・造船・修理の必要上から、多くの造船所またはこれに関連の工場が幾多建設せられ、彦島は発展に発展を重ねたのであります。
しかし、彦島に上水道がなく工場誘致には、この水が問題でありますために、ついに彦島発展のためとして昭和8年3月、下関市と合併いたしました。
当時の戸数は4700戸、人口は21651人となりました。

現在、昭和32年10月1日調査では、戸数は10208戸、人口は44508人となりまして、産業経済共に下関市の心臓部として脈々と活動しておる次第であります。
人口も日に日に増加の一途をたどっております。

以上で私に与えられた人口増加の趨勢についてのお話を終わりたいと思います。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/02/21 Thu. 12:30 [edit]

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宗の御前 

宗の御前


竹崎町の光東寺の石段を上り山門をくぐって左側に石仏があります。
青黒くさびた様に見える九十センチばかりの円筒の石仏で、一般に「オチモヤサン」といわれています。

このお寺の古いことを記した書き物によりますと、いまから約七百数十年前の建長のころ、宗助という漁師がこの竹崎の浦に住んでいました。
宗助夫婦には、それは可愛い男の子が生まれましたが、お乳が不足がちで生まれながらにひ弱く、宗助夫婦は心配して夜も寝られません。
とうとう心配のあまり、近くの光東寺の薬師如来に、お乳がよく出るようにと願をかけました。

二十一日間お参りしたその満願の日、一心に祈っている宗助の耳に、
「豊前柳ヵ浦の松の根元に石仏があるから、それにお願いすれば必ず願いごとがかなう」
とのおつげがあった。

それを聞いた宗助は、さっそく遠く柳ヶ浦にかけつけ、おつげの場所にいってみると、まさしくその場所にあやしく光を放つ石仏がありました。
喜んだ宗助は、それを大事にかかえて下関に帰り、光東寺に納めて一心不乱に祈願をこめたところ、不思議に乳が吹くように出始め、その後子どもはすくすくと育ちました。

宗助は非常に喜び、この石仏のことを自分の名前の「助」をはぶいて「宗の御前」と呼びました。
それから乳の出ない人は、米のとぎ汁、出すぎて困る人は乳をしぼって石仏に供え、祈願したといいます。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/02/21 Thu. 12:15 [edit]

category: 下関の民話

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