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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

青年の自主的修養の時代2 

青年の自主的修養の時代2


その後お寺の会合も止み、部落の元老的有力者の住家の一室が与えられ、付近の青年が毎夜相会して寝起きをしたものであります。
これを「泊まり宿」と称しておったのであります。
「泊まり宿」では長幼の序を正しくし。掟を乱した行為については反省させるため。その青年に応じた作業を課して実行せしめておったのであります。
このように正しい掟が守られているので、青年相互の挨拶も正しく、一般に行儀作法も立派でありました。

青年は家業を終えて夕食後は、自宅に居たり他へ外出することなく、必ずこの「泊まり宿」に集合し、先輩青年の指導で読書や謡曲の練習、盆踊りの三味線・太鼓・音頭等の稽古、夜警・討論会・意見発表会・県道の補修等、修養や公共のことにも行動をしておったのであります。
このように青年自体が自らの修養に励み、相互共同の連帯感を持っていたために、全然不良化の状態がみられなかったのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/02/16 Sat. 10:21 [edit]

category: ひこしま発展誌

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俎の瀬 

俎の瀬


 田ノ首の浜に『生板の瀬』と書いて『マナイタの瀬』と読む珍しい地名がある。

 むかし、マナイタの瀬は、海賊どもの処刑場であった。
 捕らえられて来た船頭や、村びとたちのうち、海賊どもに逆らうものは、皆ここで首を打ち落とされて、近くの大池に捨てられた。

 ある日も、若い船頭がとらえられたが、釣った魚を奪い返そうとしたため、この瀬に引き据えられた。
 いざ首を斬られようとした時、若い船頭はポロポロ涙を流して、
『わしゃあ、命は少しも惜しゅうはない。殺されることは、もう、とうに覚悟しちょりますが、ただ一つだけ、その前に一目でもええから母親に会わしちゃあくれんものじゃろうか』
 と、海賊頭を伏し拝んだ。
『お前の母親というのは、いま何歳になるのか』
『もう八十歳になります。永いこと中風で寝たきりで、わしゃあ漁が忙しゅうて、日頃は母親は面倒を見るものもおりません。今、このまま殺されてしまえば、母親は空腹に苦しみながら狂い死ぬことじゃろう思います。もし、お慈悲で、一目だけでも会わして貰えりゃあ、苦しみを与えずに、ひと思いに殺して参ろうと思います。それが、 せめてもの親孝行ちゅうもんでしょう。どうか、ちょっとでええですけえ、家まで帰らしちゃ貰えんじゃろうか』
 若い船頭は、涙ながらに一心に頼んだ。すると海賊頭はハラハラと涙を流して、ゆっくり縄をほどき、蝿の声よりももっと細い声で言った。
『早く帰れ。そして、もうここには、二度とそのツラを見せるな』

 船頭は、とっさに口をついた出まかせで命を助けられ、大喜びで村に帰り、このことを村中に自慢して歩いた。
 それを聞いた一人の若者が、
『海賊に頭をさげたたぁ、何とだらしがない。俺が行って退治してやろう。ついでに、金銀財宝も分捕ってやる。よう見ちょれ』
 と、田ノ首の浜へ出かけて行った。しかし、またたくまに掴まってしまい。抵抗したかどでマナイタの瀬に引き据えられた。
 その時、若者は、逃げ帰った船頭の出まかせを思い出した。
『私には、八十歳になる中風の母親がいます。これを残しては、死んでも死にきれません。何とか一目会って親孝行してから死にたいと思います』
 すると、海賊頭も子分たちもゲラゲラ笑いだした。そして、一人の男が背後にまわり、
『俎上の鯉はブツブツ言わぬものじゃ』
 と言って、刀を振りおろした。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より


(注)
田ノ首地区には、深田堤、段地堤、神田堤、雁谷迫堤などの大池があって、海賊たちは処刑した者の胴を池に投げ込み、首は近くの田に埋めた、という伝説がある。
『田の首』という地名がそこから来た、と今なお信じている人も多い。
『マナイタの瀬』は現存する地名であるが、これを俎上の鯉というオチをつけて語り継いだところが、なかなか面白い。
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Posted on 2019/02/16 Sat. 09:43 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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火の山 

火の山


火の山の高さは264メートル、ここからのろしをあげると、かなり遠くまで、その煙がみえるはずです。
火の山の地名は、大昔火山が爆発して火を吹き上げたという説もありますが、異国から攻められたとき、すぐさま都へ知らせるため、この山の頂上から火をたき、のろしをあげて合図にしたからといわれています。

火の山から埴生の火の山、厚狭の日の峯山、小野田の番屋ヵ辻、宇部の宇部岬、吉敷郡東岐波の日野山、秋穂の火の山、というぐあいにのろしによる合図が都まで山づたいに知らせていきました。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/02/16 Sat. 09:24 [edit]

category: 下関の民話

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