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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

神社の史実とその祭事7 

神社の史実とその祭事7


「サイ上がり」というのは、「さあ、上がり給う」というのがなまってまいりまして「サイ上がり」になり、今では「ワサー」と言うようになっております。
その起源につきましては、保元の乱に敗れた伊予の河野通次が、保元二年に彦島に落ちてきて再興を期すことになりました。
平治元年の10月に船で沖に出て魚を獲っていると、にわかに海上に紫の雲が棚引いて、海中から日輪のごとく光を放ったものがあるので、河野通次ならびに郎党き不思議に思い矛でこれを刺しました。
ところが矛の先には一枚の名鏡が刺さっており、鏡の裏に「河野八幡」という銘が打ってあったので、河野一族は非常に喜んで、これ以上の瑞兆はない、河野一族の守り本尊だと、すぐ近くにある小島に御神鏡をお祭り申し上げまして、三日三晩舞い踊ったということです。
その時の無名であった小島が「舞子島」ということになった、という言い伝えがあります。

この神事は、その時に通次が海中から御神体をお移し申し上げた様子を現したものであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/02/13 Wed. 11:11 [edit]

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下関の地名37 馬関 

馬関


馬関は「赤馬」のつぎに「関」を記したときに、「赤馬関」となり、「赤」を省略したときに「馬関」となったものです。
「あかま」の「ま」を「間」または「馬」とあてたものです。

馬関は「馬関まつり」などと俗称のように使われますが、『明治五年一月十二日、豊浦出張所開庁についての伺書』という文書には、「馬関支庁記録と、公式文書に登場しています。
明治時代の初めには豊浦県があり、県庁の下の組織に赤間関の地域を統括する支庁として、「馬関支庁」が置かれていたことを示しています。


「下関の地名」下関市教育委員会刊行より
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Posted on 2019/02/13 Wed. 10:32 [edit]

category: 下関の地名

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