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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

教育施設の変遷12 

教育施設の変遷12


学校以外に教育訓練の機関がございましたでしょうか。

他の教育訓練機関といたしましては、町立彦島青年訓練所というのがございました。
これは大正15年4月交付された、青年訓練所令によるものでありまして、同年6月第一青年訓練所を彦島尋常高等小学校のなかに、また第二青年訓練所を彦島第二尋常高等小学校のなかに設置するように知事の認可を得まして、その年の7月1日に入所生徒約240名を得まして開所するにいたったものであります。
その後は昭和5年3月に私立三菱青年訓練所が設立されたので、第二訓練所の方は廃止されまして、これを第一訓練所に合併されたのであります。

青年の組織に相当力を入れたようにうかがわれますが、その当時の青年団の活動について述べていただきとうございます。

これについてはなかなか面白いお話があるようでございしたが、ごく簡単に申し上げますと、彦島町の青年団が出来立たのは明治43年10月でございます。
それまでの「若衆宿」のような若い人の集まりは一応解散されまして、「彦島青年会」と組織を改めて創られたものであります。
さらに大正7年1月および10年2月に県訓令に基づいて組織や団則の変更を行ってまいりましたが、同年の11月には島内十一支部をひとつの組織に統合させ、団員の中から団長などを選出するようになりました。
しかし大正14年になりますと、再び団則を改めて団員以外から団長を選んで就任していただくようになったのであります。
団員の数は400名余りにも達しまして、青年の特性の涵養、知能の啓発、社会奉仕、生活改善、職業研究に関する事項をしっかりやられたようであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/02/03 Sun. 10:36 [edit]

category: ひこしま発展誌

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03

佛岩(ほとけいわ) 

佛岩(ほとけいわ)


 むかし、むかしのことじゃ。

 小戸の浜に『佛岩』ちゅう、位牌みたような石が立っちょった。
 源平合戦のころの話ちゅうことじゃ。

 平知盛さまの軍船は海士郷から出陣なされて、壇ノ浦で戦われたが、武運つたのうして小戸に押し流されてしまわれた。
 義経ちゅう男は、どねぇもこねぇもならん、どだい意地きたなあ奴で、どないなことがあろうと平家一門を全滅せにゃならん、ちゅうて深追いして来たそうな。
 そいで平家の武士たちは、小戸の瀬戸まで流されて来た時、ここをせんどちゅうて、次々に海に身を投げてしまわれた。うん、御裳川の先帝のみあとを追うたわけじゃな。

 そいでも死にきれんで、陸に泳ぎ着いた武士が何人か居って、そのお人らは寄り合うて一門の霊を慰めることをあれこれ詮議なされたらしい。
 そして、そこらにあった大けい根石を位牌の形に刻み込うで、表面に経を彫って、ねんごろに供養したちゅうことじゃ。
 それを平家一門の墓とせんやったのは、源氏の詮索を恐れてのことで、ほいじゃけぇ、みんなは『佛岩』ちゅうことだけで、一門の霊を弔ろうて来たんじゃろう。


 ワシらが、まだこまあころにゃあ、あねえな石やぁ、ようけあったい。ほいであの磯のことを『佛の瀬』とも言うて、あの瀬に船をこじ当てたり、木っ端になった漁師もようけ居って、みんながあの瀬にゃぁ気いつけぇょ、言うて恐れたもんじゃが。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
この話は、ある古老から聞いたものを、そのままの口調で書き写した。
この話の面白さは、源氏方の英雄、義経を悪者扱いしていることで、これほど憎々しく語りついだ例は、全国でも珍しいに違いない。
『仏岩』には、怪談めいた話が多く残されている。海士郷や小戸地区に伝えられたものであるが、それだけに、漁師にまつわる話しばかりであったようだ。それも、殆ど、すたれてしまって語られないのが惜しい。
今、古老の口から聞き出せるものといえば、『佛の瀬』と『小瀬戸の海坊主』くらいしかないようである。
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Posted on 2019/02/03 Sun. 10:23 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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下関の地名19 福浦 

ボロ吉奉公


 むかし、福浦の船宿に、宗吉という一人息子がいた。宗吉は大変ノロマで、何をしても人の五倍も十倍も時間を費やしたので、人びとは宗吉と呼ばすノロ吉と呼んでいた。
 しかし、ノロ吉はとても気のやさしい男で、ある日のこと、金比羅様に参詣して、その境内で傷ついたフクロウを見つけ、連れて帰り手厚く介抱した。やがてフクロウの傷は元通りに良くなったが、山に放してやっても、すぐにノロ吉のそばに戻ってきて、そのうち、とうとう船宿に居ついてしまった。

 そんなある日、西国の海賊が彦島を襲い、福浦を根城にして近海を荒らしはじめた。船宿の人びとは慌てふためいて下関へ避難したが、ノロマのノロ吉は逃げおくれた為、海賊に殺され、海に捨てられてしまった。

 何年かたって、海賊は退治され、人びとも戻って来たが、空き家となっていたノロ吉の家からフクロウが飛び出て来た。毎日、ノロ吉を探しまわっていたことに気づいた人びとは、その姿があまりいじらしいので、
『おぅ、おう可哀そうに、お前はたった一人で留守番しちょったんかい。ノロ吉はのぅ、下関からそのまま都へ奉公に行ったんじゃ、当分は帰って来れんじゃろう』
 と、フクロウに告げた。
 フクロウは首をかしげて『ホウ、ホウ』と、その話を聞いていたが、その日からどこともなく飛び去ってしまった。
 その夜から、彦島のあちこちで啼くフクロウの声は、『ノロキチホウコウ』と聞こえたが、人びとはフクロウのことを『ボロ吉奉公』と呼ぶようになったという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2019/02/03 Sun. 10:02 [edit]

category: 下関の地名

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