12 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 02

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

教育施設の変遷8 

教育施設の変遷8


大正10年に教育費の節減と、教育内容を統一するという意味合いのもとに、彦島町議会の決議を経まして山口県知事の認可を受け、簡易小学校の名称を廃しまして、大正11年の7月1日から彦島尋常高等小学校六連島分教場と改称されたわけであります。

それと同じように、竹の子島にもやはり分教場があったように聞いておりますが。

これもまた歴史が古うございまして、前に述べましたが、明治7年に竹の子島小学校として創設されたものでございます。
明治19年4月1日に志磨小学校の仮教場として改称されまして、さらに同25年には竹の子島分校と改称され、同年5月1日に新校舎が落成し移転開校したものでございます。
その後は、尋常科三年までの児童を収容するとともに、裁縫科を設置したものであります。
ずっと後になりまして、明治34年には校舎や屋内体操場をそれぞれ増築いたしましたが、昭和2年にこの分校は廃止されて彦島尋常高等小学校に併合されたわけであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
関連記事

Posted on 2019/01/30 Wed. 10:46 [edit]

category: ひこしま発展誌

TB: --    CM: 0

30

下関の地名26 巌流島 

巌流島


宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした島とされる“巌流島(がんりゅうじま)”は、昔、島の形が舟のようだったことから“舟島(ふなしま)”と呼ばれていました。
“巌流”というのは、この島で、宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎の号“巌流”からきています。

『西遊雑記』の中では、
「岩龍島といふは昔舟島と称せしを、宮本武蔵之助といひし刀術者と佐々木岩龍武芸の論をして、この島において刀術のしあいをして、岩龍、宮本のために打殺さる。ゆかりの者ありて岩龍が墓を建てしより土人、岩龍島と云」
と記述しています。

この島は、約十万平方メートルの広さがあり、下関市によって護岸や、多目的広場などの整備が行われています。


「下関の地名」下関市教育委員会刊行より
関連記事

Posted on 2019/01/30 Wed. 10:30 [edit]

category: 下関の地名

TB: --    CM: 0

30