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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

教育施設の変遷6 

教育施設の変遷6


第二小学校のことについても少しお願いいたします。

この彦島第二尋常小学校は、彦島尋常高等小学校の校舎新築と時を同じくして、彦島杉田の土地に敷地2637坪土地を選び、明治39年9月に工事にとりかかり、翌40年10月に224坪の校舎が落成したものであります。
これはいうまでもなく、就学児童の激増および教育普及の理念を考え合わせた結果、どうしても一校を新設する必要を痛感したからにほかならないわけであります。
開校式は明治40年11月15日、この校舎に江の浦、弟子待、田の首、福浦の尋常四年以下の児童を収容したわけであります。
彦島の産業の発達するにつれまして、本校の通学区域内にも大小の会社・工場が続々と設置されまして、戸数も急激に増加してまいりました。
このため第二尋常小学校もたちまち狭隘を告げる結果となって、ついに大正10年9月に塩谷に3200余坪の土地を選定して、校舎を移転増築するための敷地の地ならし工事に取り掛かり、翌大正11年から建設工事を始めました。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/01/28 Mon. 11:36 [edit]

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下関の地名23 弟子待 

弟子待


彦島の南東にある“弟子待(でしまつ)”の地名の発祥は、俗説に宮本武蔵と佐々木小次郎が舟島で決闘したとき、小次郎が弟子たちを待機させた場所だから…というのがありますが、菅原道真が寛平四年に完成したといわれる『類聚国史』には、
「淳和天皇天長七年五月以来長門外島一処為勅旨田」という記述があり、『防長地名淵艦』という書物では、これを解説し、
「“外島”とあるのは、実は“引島”のことで、外と引との草書体が良く似ているので間違ったものである。また、“勅旨”はテシと読むので、もともと勅旨町だったものを“弟子待”と誤って使うようになったのだ…」
としています。


「下関の地名」下関市教育委員会刊行より
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Posted on 2019/01/28 Mon. 10:50 [edit]

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