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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の地名3 南風泊 

「南風泊」の由来


 西山海岸に続く渡瀬(わたらせ)と、竹ノ子島とに囲まれた湾を"南風泊(はえどまり)"といいますが、ここは帆船が就航していた時代、いわゆる下関港へ入港するには逆風となった"南風(はえ)"を避けるために、風待ちをしていた場所で、地名もこれに由釆してつけられました。
 長久保赤水の弟子だった古川辰は、『西遊雑記』の中で「田のくび引島の入船をば蠅止りとも碇入らずの湊とも称してよき船かかりの所なり」と、書いています。


「下関の地名」下関市教育委員会刊行より
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Posted on 2019/01/05 Sat. 12:33 [edit]

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地域の史実と口碑伝説8 

地域の史実と口碑伝説8


そのころ小倉の城下では、武蔵が小次郎に恐れをなして逃げ出したと噂されていたので、長岡興長は武蔵に急使を立て、島に渡り小次郎と勝負するよう催促をしたのであります。

武蔵はようやく木剣を持って舟に乗り島に渡りました。
待ちくたびれていた佐々木小次郎は、備前長光の三尺余の大刀抜き鞘を海中に投げ捨てました。
この時武蔵は「小次郎殿は早や負けだ。勝つものなら何故に鞘を捨てる」と言いましたが、その声の終わらぬうちに小次郎は武蔵の眉間を真向に切りつけました。
と、同時に武蔵の木剣は電光石火の早業で小次郎の頭に打ち下ろされたのであります。

武蔵は小次郎の太刀の切っ先で鉢巻を切り落とされたのでありますが、小次郎は脳天を打ち砕かれ息絶えました。
武蔵は検視の役人に一礼して、早々に下関に引き上げたのであります。

これが有名な巌流島の決闘でありまして、佐々木小次郎を弔うために、後の人が舟島を巌流島と呼ぶようになったのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/01/05 Sat. 12:21 [edit]

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