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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

地域の史実と口碑伝説6 

地域の史実と口碑伝説6

さて、佐々木小次郎は長じて武者修行のため諸国を巡って小倉に着きました。
これを聞いた小笠原城主細川忠興はおおいに喜びまして、小次郎を剣道指南として優遇しました。
当時小次郎の高名を慕い近郷から集まった門弟が、じつに三千人を超すという状態になったのであります。

片や宮本武蔵も同じく諸国を遍歴しまして小倉を訪れたのであります。
そして、かつて父の無二斎の門弟であって、当時細川家の家老であった長岡興長の屋敷の逗留することになりました。

この時に武蔵は佐々木小次郎のことを聞きまして、これは良い相手だ、ひとつ勝負をしたい、と城主忠興に願い出ます。
なにしろ関ヶ原の戦い後の人心殺伐の時ではありますし、忠興も武芸奨励の考えもあってこれを承諾しました。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より


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Posted on 2019/01/03 Thu. 12:33 [edit]

category: ひこしま発展誌

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豊関ことばについて 9 

豊関ことばについて 9

非常にアクセントの強い言葉で、それでいて、どことなく、雅やかな響きがあった。
その上、田ノ首ことばによる老人たちの会話は、彦島に住んでいる者にさえも通じないことが多かった。

アクセント… その抑揚の激しさは、例えば、驚いた時に発する「オリョリョー」という感嘆詞の一種にも見ることが出来る。

この言葉は、北浦地方に土地の名を折り込んで
「矢玉タアタア、和久チューチュー、湯玉オリョリョー、小串ナッチュマアエエ」
という言葉遊びがあるので、湯玉やその近辺でも使われているはずだが、田ノ首の「オリョリョー」には、まるでソプラノ歌手によるアリアのような響きがあった。

この抑揚ぶりを文字で表現するのは極めてむずかしい。
一字ごとに説明すれば「オォ」と少し下がって「リョ」とやや上がり、次の「リョー」は犬があくびをするように驚きを強調して高く突き放してしまう言い方であった。

今、田ノ首ことばは、殆ど滅びてしまった。
七十歳以上の老人を集めて何時間も好き勝手なことを喋らせれば、案外、なつかしいアクセントの数々と、田ノ首方言が出てくるかもしれないが、テレビによる影響もあって、標準語に慣れてしまった現在では、それもむずかしい話ではないだろうか。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2019/01/03 Thu. 12:14 [edit]

category: 下関弁辞典

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橋で結ばれる【竹ノ子島】 

橋で結ばれる【竹ノ子島】


彦島は橋によって結ばれ、陸続きになっていますが、竹ノ子島とも西山の西部から橋で結ばれており、地名からくる島のイメージが薄らいでいます。

竹ノ子島は、地名からして、竹ノ子がたくさん自生するのだろうと思いがちのかたもおられますが、彦島在住の郷土史家冨田義弘さんによると、家の周囲に「小竹の生垣」を張りめぐらした家が多く、このことから地名がつけられたのだろう、ということです。

竹ノ子島に残る伝承は豊富です。
その一つに、嘉永二年、吉田松陰が藩命によって海防巡視をしており、島に造られた台場を視察しています。
「南風泊から小舟に乗り移り竹ノ子島に渡り一ノ台、二ノ台、六ノ台を視る。
…この島の戸数は23軒、石高六石五斗…」と記しています。
六ノ台跡には、明治43年に潮流信号所が建てられ、今日まで「台場ケ鼻通航潮流信号所」として役目を果たしています。

現在、竹ノ子島の町名は、彦島竹ノ子島町で世帯数は82世帯。

竹ノ子島の変化に富んだ海岸線をゆっくり散策されるのはいかがでしょう。
六連島、北浦海岸、小倉北区日明の眺望もできます。
バスは竹ノ子島行きでどうぞ。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/01/03 Thu. 11:54 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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