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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

地域の史実と口碑伝説5 

地域の史実と口碑伝説5


一方、宮本武蔵は播磨の国の住人、新免無二斎の子であり二刀流を編み出した武芸者であります。
生まれつき剣道の天才であって十三歳のときから剣をもって勝負すること六十余度、その相手をほとんど打ち殺して一度も負けたことのないという、古来無双の猛者でありまして、後世彼を称して剣聖というのもまことに無理からぬことと思います。

六尺豊かな巨体で、いつも長い着物を裾引いて歩いていたということであります。
一生独身でありましたが、号を二天と称して学問もあり、かつ絵もはなはだ巧みでありました。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/01/02 Wed. 12:09 [edit]

category: ひこしま発展誌

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豊関ことばについて 8 

豊関ことばについて 8

その三 田ノ首ことば

年々失われつつある下関とその近郊のことばの中で、最も惜しいと思われるのは「田ノ首ことば」であろう。

田ノ首は彦島の南端にあって小倉の延命寺と対峙する半農半漁の小さな村であったが、今では林兼造船の第三工場があり、広大な宅地造成などによって大きく拓けようとしている。

もともとこの地は、平家の落人部落だと伝えられ、同じ彦島の中でも閉鎖的で、島内他地区との交流はほとんどなかった所である。
そして、生活圏も門司の大里や小倉、若松のそれに入っていたようで、田ノ首の農家の人たちは、つい三十年前までは、小舟で九州に向かって物売りに出かけていた。
その上、藩制時代のある時期には、彦島のうち田ノ首だけが豊前藩によって支配されていたふしもある。

そのせいかどうかは知らないが、田ノ首ことばには九州弁のニュアンスがあったと惜しむ人も居るくらいである。

私には、田ノ首ことばに九州弁のイメージはダブらないが、しかし、確かに変わった語感があって、それが失われてしまったのが、残念でならない。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2019/01/02 Wed. 12:02 [edit]

category: 下関弁辞典

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ロマンを秘めた決闘の島【巌流島】 

ロマンを秘めた決闘の島【巌流島】


唐戸から船に乗り潮風に吹かれて10分もすると「船島」に着きます。
島の形が船に似ているところから、この名が付きました。

島に上がると「龍神・地神」の碑が、祠の中に並んで建っています。
対岸は平家ゆかりの彦島で、たくさんの造船所があり、大小の船が見えます。

明治43年に建てられた「佐々木巌流之碑」がひっそりと建っており、悲運の剣客、巌流をしのぶかのように、誰が供えたのか、季節の花が一輪風にゆれていました。

この島は、別名巌流島として知られていますが、その由来は、慶長17年4月13日、世に名高い宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した所です。
闘いに敗れた小次郎の「巌流」という号をとって、それ以来「巌流島」と呼ぶようになりました。

ここから眺める関門橋は一段と美しく、その下をフェリーや外国船が往来する風景は絵のようです。

決闘のロマンを秘めた無人の島も、昭和55年に全島10万平方メートルの内、6千平方メートルが「巌流島憩いの広場」として、ひろく市民に開放され、いろいろなたのしい催しが行われています。

わずか700メートルの海峡の中に浮かぶ小さなこの島は、また最適な魚釣りの場所として多くの人々が釣りを楽しんでいます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/01/02 Wed. 11:39 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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