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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島とその開拓の歴史27 

彦島とその開拓の歴史27


八幡宮とともに西楽寺縁起も彦島にとって因縁浅からぬものがあります。
先に平家の落武者、植田、岡野、百合野の三氏が彦島に逃れてきたときに、平家の守り仏である阿弥陀如来本尊を迫町のカナンドウのところに安置しておりましたが、建治二年一遍上人が九州巡礼の時に、その従者西楽法師が彦島に渡ってきまして、この本尊仏を拝して感激のあまり、とうとう彦島に留まることになりまして、本村の一郭に庵を建てて本尊像を移し西楽庵と名付けました。

これが今の西楽寺の起りでありまして、島民は親しく西楽法師の教示を受け、この寺を永く父祖の菩提寺としたのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2018/12/23 Sun. 11:47 [edit]

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あとがき 2 

あとがき 2

それまでの私は、彦島の古老達の昔語りを聞き集めてはノートするとき、いつも、その方言まる出しの語り口調を、私なりに消化したつもりで標準語による口語体に書き改めたものであった。
しかし、書き換える作業自体に、わけもなく、うしろめたいものを感じることがあって、それは一体、どこから来るのだろう、と私は時々自問自答していた。

その私も、やがては都会の空気に馴染むことになるが、「だからサア」とか「だからヨオ」という東京弁を聞くたびに、むしろ、ふるさとの下関弁の良さを探り始める回数が多くなってくるのであった。
だから、砂漠のような索漠とした都会生活に耐えられなくなると、ふらっと出かけて同郷の悪友達を訪ね、思いっきり下関弁を駆使した。

昔話や民話を集めるときに、老人の語り口調を尊重して、そのまま記録し始めたのもその頃からである。
つまり、私は下関という自分のふるさとを離れてみて、初めて自分のお国ことばの良さ、素晴らしさを知ったのであった。

あれから二十余年が経過して、今、こうして方言の数々をまとめてみると、伝説や民話を話してくれた古老達の死とともに、なつかしい下関ことばの大半が、すでに死語となっていることに気づいて愕然とせざるをえなかった。
方言は急速に、廃れつつあるのだ。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/12/23 Sun. 11:37 [edit]

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