彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
地域の史実と口碑伝説4
地域の史実と口碑伝説4
次に佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘について述べたいと思います。
佐々木小次郎は越前の国宇阪の庄、浄教寺村、佐々木源左衛門の子でありまして、幼少の頃から剣豪富田勢源について修行をし、ツバメ返しといって敵の足を払う独特の剣技を編み出しまして、名を巌流と呼ぶようになりました。
その時十七歳の少年でありましたが、この剣法はじつに恐るべきものでありました。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
次に佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘について述べたいと思います。
佐々木小次郎は越前の国宇阪の庄、浄教寺村、佐々木源左衛門の子でありまして、幼少の頃から剣豪富田勢源について修行をし、ツバメ返しといって敵の足を払う独特の剣技を編み出しまして、名を巌流と呼ぶようになりました。
その時十七歳の少年でありましたが、この剣法はじつに恐るべきものでありました。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2018/12/31 Mon. 11:45 [edit]
category: ひこしま発展誌
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豊関ことばについて 6
豊関ことばについて 6
「その本、買ったのかい」「うん借ったよ」
「これは、借りたんだろ」「いんにゃ、買うたんや」
これなどは、字に書けば納得いくものの、会話だけならどこまでも意志が通じない。
しかし、「買う」が「買った」と変化するだけではあまりにも単純すぎはしないだろうか。
ここはやはり「買う」は「こうた」と活用されてこそ言葉の味が出ようというものだ。
「行っチョル、見チョル、しチョル」
「ええっチャ、いけんっチャ、駄目っチャ」
これらの「チョル」と「チャ」は、下関だけの言葉でなく、山口県全域で使う。
それは前項の「軍隊で云々」の所でも書いた。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
「その本、買ったのかい」「うん借ったよ」
「これは、借りたんだろ」「いんにゃ、買うたんや」
これなどは、字に書けば納得いくものの、会話だけならどこまでも意志が通じない。
しかし、「買う」が「買った」と変化するだけではあまりにも単純すぎはしないだろうか。
ここはやはり「買う」は「こうた」と活用されてこそ言葉の味が出ようというものだ。
「行っチョル、見チョル、しチョル」
「ええっチャ、いけんっチャ、駄目っチャ」
これらの「チョル」と「チャ」は、下関だけの言葉でなく、山口県全域で使う。
それは前項の「軍隊で云々」の所でも書いた。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/12/31 Mon. 11:36 [edit]
category: 下関弁辞典
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地域の史実と口碑伝説3
地域の史実と口碑伝説3
《巌流島》
巌流島は昔の地形と変わっていますが、いまだに古い名残を留めておる懐かしいところであります。
この島はご存知のように佐々木巌流と宮本武蔵が決闘したところであまりにも有名であります。
巌流島は昔は舟島と申しまして、伝説によれば太古に穴戸、すなわち今の国道海底トンネル付近が門司と地続きでありまして、その間が大きな穴となって舟が通っていたということであります。
その穴の天井が落ちまして西に流れて、今の舟島ができたというのであります。
とにかく古い島で昔は小さいながらも丘が連なり、それに老松が青々と繁り、遠くから見てまことに美しい印象的な島でありました。
昔は大きい島であったのが潮流のために年々侵蝕されて、だんだん小さくなったということであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
《巌流島》
巌流島は昔の地形と変わっていますが、いまだに古い名残を留めておる懐かしいところであります。
この島はご存知のように佐々木巌流と宮本武蔵が決闘したところであまりにも有名であります。
巌流島は昔は舟島と申しまして、伝説によれば太古に穴戸、すなわち今の国道海底トンネル付近が門司と地続きでありまして、その間が大きな穴となって舟が通っていたということであります。
その穴の天井が落ちまして西に流れて、今の舟島ができたというのであります。
とにかく古い島で昔は小さいながらも丘が連なり、それに老松が青々と繁り、遠くから見てまことに美しい印象的な島でありました。
昔は大きい島であったのが潮流のために年々侵蝕されて、だんだん小さくなったということであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2018/12/30 Sun. 11:04 [edit]
category: ひこしま発展誌
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豊関ことばについて 5
豊関ことばについて 5
その二 下関弁の特徴
「下関に来て最初に腹が立ったのは、あいづちを打つのに『ああそうだ』と言わずに『アア、ソレソレ』と言われた時ですよ。まるで自分がからかわれているように思えてねぇ」
国鉄のSさんは遠い昔を思い出すような眼で私にこう言った。
何気なく口をついて出る言葉「アアソレカネ」とか「ソレソレ」とか「ホントデスカ」などは、聞きなれない人にとっては馬鹿にされているように聞こえるものらしい。
「行くホ」「どうするソ」などのように語尾に付ける「ホ」や「ソ」は、疑問、否定、肯定、いずれの場合にも使い分けるが、これはアクセントによって区分する。
「行くの、行かないの」と言う場合の「の」が、「ソ」「ホ」にあたる訳である。
「フン好き」という言葉も最近では死語になりつつあるが、下関らしいものの一つであろう。
この場合の「フン」は「とても」という意味である。
「フン好かん」となれば「大嫌い」。
「頭がワルイし、体はエライ」と言えば関東の人は驚くが、これなどは、頭痛はするし、体はだるい、という意味で愛嬌がある。
「壊れたラジオ、なおしとけよ」と言われて、
「ああ、洗濯物と一緒に、なおしたよ」と答えが返ってくれば、まるで通じていなかったことになる。
これは「修理しておけ」と言われて、「取り込んだ洗濯物と一緒に片付けた」と答えたからだ。
「背中をスッテやろうか」と親切に言って、
「スルんじゃなくて、流すんだろッ」と言われたことがある。
確かに「流す」が標準語になっているが、タオルに石鹸をなすりつけて「スッテ」から、湯で洗い「流す」から、「スル」という言葉もあやまりではない筈だ。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
その二 下関弁の特徴
「下関に来て最初に腹が立ったのは、あいづちを打つのに『ああそうだ』と言わずに『アア、ソレソレ』と言われた時ですよ。まるで自分がからかわれているように思えてねぇ」
国鉄のSさんは遠い昔を思い出すような眼で私にこう言った。
何気なく口をついて出る言葉「アアソレカネ」とか「ソレソレ」とか「ホントデスカ」などは、聞きなれない人にとっては馬鹿にされているように聞こえるものらしい。
「行くホ」「どうするソ」などのように語尾に付ける「ホ」や「ソ」は、疑問、否定、肯定、いずれの場合にも使い分けるが、これはアクセントによって区分する。
「行くの、行かないの」と言う場合の「の」が、「ソ」「ホ」にあたる訳である。
「フン好き」という言葉も最近では死語になりつつあるが、下関らしいものの一つであろう。
この場合の「フン」は「とても」という意味である。
「フン好かん」となれば「大嫌い」。
「頭がワルイし、体はエライ」と言えば関東の人は驚くが、これなどは、頭痛はするし、体はだるい、という意味で愛嬌がある。
「壊れたラジオ、なおしとけよ」と言われて、
「ああ、洗濯物と一緒に、なおしたよ」と答えが返ってくれば、まるで通じていなかったことになる。
これは「修理しておけ」と言われて、「取り込んだ洗濯物と一緒に片付けた」と答えたからだ。
「背中をスッテやろうか」と親切に言って、
「スルんじゃなくて、流すんだろッ」と言われたことがある。
確かに「流す」が標準語になっているが、タオルに石鹸をなすりつけて「スッテ」から、湯で洗い「流す」から、「スル」という言葉もあやまりではない筈だ。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/12/30 Sun. 10:57 [edit]
category: 下関弁辞典
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地域の史実と口碑伝説2
地域の史実と口碑伝説2
古い時代に遡りますと、源平壇之浦決戦に平知盛が彦島城を築いた場所が、地形から考えて、この江の浦一帯ではないかと推測されます。
また三菱造船所の沖合は潮流の関係で浅瀬になっておりました。
干潮のときは広々とした砂州が現れまして、これを沖の洲と申していまして貝拾いのできるところでありましたが、もはや今日では埋め立てられて昔の面影はまったくありません。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
古い時代に遡りますと、源平壇之浦決戦に平知盛が彦島城を築いた場所が、地形から考えて、この江の浦一帯ではないかと推測されます。
また三菱造船所の沖合は潮流の関係で浅瀬になっておりました。
干潮のときは広々とした砂州が現れまして、これを沖の洲と申していまして貝拾いのできるところでありましたが、もはや今日では埋め立てられて昔の面影はまったくありません。
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Posted on 2018/12/29 Sat. 10:01 [edit]
category: ひこしま発展誌
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