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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

旧配水場記念碑 

ひこしま発展誌より
旧配水場記念碑(昭和10年)
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Posted on 2018/11/21 Wed. 12:29 [edit]

category: ひこしま発展誌

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下関の方言 ま…の部 

下関の方言 ま…の部


 時間。
 もう一度。
 運。

まー
 まあ。
 しないだろう。
 しないよ。

まーが
 ないであろうが。

まーす
 回す。

まーで
 ないだろうよ。

まーま
 カタツムリ。

まーり
 周り。近所。

まいまいこ
 カタツムリ。

まう
 よく働く。
 順調。
 目が回る。

まえがしら
 前髪。額。

まえがみ
 丁稚。奉公人。

冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/21 Wed. 12:26 [edit]

category: 下関弁辞典

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戦災を免れたのちの不幸な火災2 

戦災を免れたのちの不幸な火災2

ともあれ火勢は、東方向は国道2号、西方面は忌宮神社の高台、南方向は壇具川がひとつの防火壁となって鎮火。
特に南方向の壇具川の場合は、火災時における川の効果が見事に証明されたわけで、それと同時に、長府地区がこの時点で未だ水道設備がなかったことが、被害を大きくしてしまった要因であったことも明らかになった。

いうまでもなく火災の問題は、江戸時代の方がより深刻であったに違いない。
長府藩では宝永3年3月、府中・赤間関。清末などの防火の法を定め、享保15年8月には、赤間関付近居住の藩士及び農民に対して消防担当の区域を定め、出火時には直ちに協力することを命じ、さらに安永7年3月、長府および清末における消火の法を通告するなど火事への対処が見られるが、長府城下では、消火用の水として壇具川が重視されていたことも伝えられている。

(清永唯夫)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/21 Wed. 12:15 [edit]

category: 下関の歴史論文

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