彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
下関の方言 ほ…の部
下関の方言 ほ…の部
ほたえる
ふざけて騒ぐ。
ほたに
大根や人参の丸煮。
ぐつぐつ煮詰めること。
ほたるぐさ
ツユクサ。
ほっかり
落胆。気落ち。
安心。安堵。
ほとくら
懐。
ほとばかす
ほとびらせる。
ほとぶる
ふやける。
ほとほり
世間の好奇な目。関心。
ほねがましい
小骨の多い魚。
理屈の多い人。
ほねなし
信念のない人。
ぼぼ
女性性器。
性交。
ほめく
ほてる。熱がある。
ほやけ
皮膚にできる赤や黒の斑点。
ほり
庭園の池。
ほりきり
掘割。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
ほたえる
ふざけて騒ぐ。
ほたに
大根や人参の丸煮。
ぐつぐつ煮詰めること。
ほたるぐさ
ツユクサ。
ほっかり
落胆。気落ち。
安心。安堵。
ほとくら
懐。
ほとばかす
ほとびらせる。
ほとぶる
ふやける。
ほとほり
世間の好奇な目。関心。
ほねがましい
小骨の多い魚。
理屈の多い人。
ほねなし
信念のない人。
ぼぼ
女性性器。
性交。
ほめく
ほてる。熱がある。
ほやけ
皮膚にできる赤や黒の斑点。
ほり
庭園の池。
ほりきり
掘割。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/17 Sat. 10:25 [edit]
category: 下関弁辞典
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17
大日本人造肥料
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Posted on 2018/11/17 Sat. 10:23 [edit]
category: ひこしま発展誌
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17
下関の方言 ほ…の部
下関の方言 ほ…の部
ほえかあ
ああそうか。そうかい。
ほか
前の庭。
玄関の前。
…しか。
ほぎとる
削り取る。
ほきゃー
…しか。…だけ。
ほぐ
穴を開ける。削る。
紙屑。
ぼくた
棒切れ。棍棒。
ほけ
湯気。水蒸気。吐く息。
ぼけさく
阿呆。ぼんやり。間抜け。
ぼさ
ダメなやつ。
ほし
瞳孔の白濁。
ほしい
惜しい。
残飯を干した物。
ほじくる
ほじる。いじる。さわる。
ほぜる
掘る。いじる。
人の粗探しをする。
ほたうす
大きな木を胴切りにしてくり抜いた臼。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
ほえかあ
ああそうか。そうかい。
ほか
前の庭。
玄関の前。
…しか。
ほぎとる
削り取る。
ほきゃー
…しか。…だけ。
ほぐ
穴を開ける。削る。
紙屑。
ぼくた
棒切れ。棍棒。
ほけ
湯気。水蒸気。吐く息。
ぼけさく
阿呆。ぼんやり。間抜け。
ぼさ
ダメなやつ。
ほし
瞳孔の白濁。
ほしい
惜しい。
残飯を干した物。
ほじくる
ほじる。いじる。さわる。
ほぜる
掘る。いじる。
人の粗探しをする。
ほたうす
大きな木を胴切りにしてくり抜いた臼。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/17 Sat. 09:50 [edit]
category: 下関弁辞典
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市街地焦土と化す1
市街地焦土と化す1
昭和16年7月1日付で「下関市報」が創刊された。
「風は空に鳴り、激浪は国々の岸を洗っている。大いなる歴史の誕生が、今その陣痛のさなかにあるのである…」で始まる発刊にあたっての松井信助市長のメッセージの内容は、その年の12月8日の太平洋戦争勃発を予測したかのように、緊張を帯びた書き出しとなっていた。
太平洋戦争の始まりからその終結までは、わずか3年8ヶ月の期間であるが、この期間、銃後を守る市民が戦地と同じような苦境に置かれるとは、誰も予想していなかった。
日本軍の敗戦が色濃くなった昭和19年末頃になると、どこからともなく本土決戦が叫ばれるようになり、日本のどこにいても、そこは戦地と変わりがなくなった。
(野村忠司)
図説「下関の歴史」より
昭和16年7月1日付で「下関市報」が創刊された。
「風は空に鳴り、激浪は国々の岸を洗っている。大いなる歴史の誕生が、今その陣痛のさなかにあるのである…」で始まる発刊にあたっての松井信助市長のメッセージの内容は、その年の12月8日の太平洋戦争勃発を予測したかのように、緊張を帯びた書き出しとなっていた。
太平洋戦争の始まりからその終結までは、わずか3年8ヶ月の期間であるが、この期間、銃後を守る市民が戦地と同じような苦境に置かれるとは、誰も予想していなかった。
日本軍の敗戦が色濃くなった昭和19年末頃になると、どこからともなく本土決戦が叫ばれるようになり、日本のどこにいても、そこは戦地と変わりがなくなった。
(野村忠司)
図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/17 Sat. 09:30 [edit]
category: 下関の歴史論文
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