彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
下関の方言 へ…の部
下関の方言 へ…の部
へぬるい
のろま。ぐずぐず。
へねる
ひねる。つねる。
へのこ
男の性器。
へのつっぱり
用を成さぬこと。全くダメなさま。
べべ
仔牛。
べべた
女性性器。
へぼ
下手。
役たたぬ。くだらぬ。
へま
失敗。
損失。
下手くそ。
へもそーろ
なんとも思わぬ。大丈夫。
へや
隠居部屋。
へり
そば。端。傍。
へる
屁を放つ。
べろ
舌。
へんくう
偏屈。変わり者。
へんじょう
屁理屈。文句。
へんちき
一種変わっているさま。
へんど
遍路。巡礼。
べんべこ
肩車。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
へぬるい
のろま。ぐずぐず。
へねる
ひねる。つねる。
へのこ
男の性器。
へのつっぱり
用を成さぬこと。全くダメなさま。
べべ
仔牛。
べべた
女性性器。
へぼ
下手。
役たたぬ。くだらぬ。
へま
失敗。
損失。
下手くそ。
へもそーろ
なんとも思わぬ。大丈夫。
へや
隠居部屋。
へり
そば。端。傍。
へる
屁を放つ。
べろ
舌。
へんくう
偏屈。変わり者。
へんじょう
屁理屈。文句。
へんちき
一種変わっているさま。
へんど
遍路。巡礼。
べんべこ
肩車。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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- 下関の方言 は…の部 (2018/11/16)
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Posted on 2018/11/15 Thu. 11:43 [edit]
category: 下関弁辞典
TB: -- CM: 0
15
下関の方言 へ…の部
下関の方言 へ…の部
べす
胃から上がってくるガス。
げっぷ。
胃液。
べた
側。
へたくー
下手。下手くそ。
へたら
そしたら。
へたらながい
口下手なくせに長い話をすること。退屈な長談義。
冗長な文章。
いつまでも歌い続ける音痴の歌。
べたれ
みぞれ。
綿雪。
へちゃ
不美人。
へづる
削り取る。
分けて取る。
内緒で少しばかり取る。
着服。
へっちゃこっちゃ
あっちこっち。
へっぱった
…したとかしないとか。
へてから
そうしてから。
へともない
屁とも思わぬ。なんともない。
へな
まずいこと。つまらぬこと。
へなちょこ
腰抜け。臆病者。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
べす
胃から上がってくるガス。
げっぷ。
胃液。
べた
側。
へたくー
下手。下手くそ。
へたら
そしたら。
へたらながい
口下手なくせに長い話をすること。退屈な長談義。
冗長な文章。
いつまでも歌い続ける音痴の歌。
べたれ
みぞれ。
綿雪。
へちゃ
不美人。
へづる
削り取る。
分けて取る。
内緒で少しばかり取る。
着服。
へっちゃこっちゃ
あっちこっち。
へっぱった
…したとかしないとか。
へてから
そうしてから。
へともない
屁とも思わぬ。なんともない。
へな
まずいこと。つまらぬこと。
へなちょこ
腰抜け。臆病者。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/15 Thu. 11:40 [edit]
category: 下関弁辞典
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15
彦島第二尋常小学校
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Posted on 2018/11/15 Thu. 11:37 [edit]
category: ひこしま発展誌
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15
わが国で最初のシールド工法2
わが国で最初のシールド工法2
しかしその後も本州と九州を結ぶ連絡道建設を求める声は高まり、鉄道大臣内田信也が下関を訪れた昭和10年5月以降、海底鉄道敷設への対策が迅速に進められた。
まず鉄道省内に関門隧道技術委員会、ついで下関の鉄道改良事務所内に関門隧道工事事務所が設置され、コース二案のなかから、下関彦島弟子待と門司小森江を結ぶ路線が選ばれた。
待望の起工式は翌11年9月19日、門司側においておこなわれた。
ちなみに、関門連絡道はトンネルだけでなく、「架橋」あるいは「一大鉄橋を」などの構想も明治27年頃からたびたび論じられたが、結局戦時下では橋は敵に狙われやすいということで、トンネル設置に落ち着いた。
掘削はテムズ川のトンネル工事で威力を発揮したシールド工法が日本初の試みとして採用され、昭和16年7月にトンネル貫通、翌17年11月に下り線の公式運転が開始され、下関駅も細江町から竹崎町へと移転、祝賀会は東海林太郎らを招いて下関で行われた。
(冨田義弘)
図説「下関の歴史」より
しかしその後も本州と九州を結ぶ連絡道建設を求める声は高まり、鉄道大臣内田信也が下関を訪れた昭和10年5月以降、海底鉄道敷設への対策が迅速に進められた。
まず鉄道省内に関門隧道技術委員会、ついで下関の鉄道改良事務所内に関門隧道工事事務所が設置され、コース二案のなかから、下関彦島弟子待と門司小森江を結ぶ路線が選ばれた。
待望の起工式は翌11年9月19日、門司側においておこなわれた。
ちなみに、関門連絡道はトンネルだけでなく、「架橋」あるいは「一大鉄橋を」などの構想も明治27年頃からたびたび論じられたが、結局戦時下では橋は敵に狙われやすいということで、トンネル設置に落ち着いた。
掘削はテムズ川のトンネル工事で威力を発揮したシールド工法が日本初の試みとして採用され、昭和16年7月にトンネル貫通、翌17年11月に下り線の公式運転が開始され、下関駅も細江町から竹崎町へと移転、祝賀会は東海林太郎らを招いて下関で行われた。
(冨田義弘)
図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/15 Thu. 10:36 [edit]
category: 下関の歴史論文
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