彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
下関の方言 ね…の部
下関の方言 ね…の部
ねぶる
舐める。味わう。
眠る。
ねぼすけ
よく眠る人。
ねほりはほり
一から十まで繰り返し尋ねる。
ねま
寝床。寝室。
ねらむ
睨む。
ねりべえ
土塀。
ねる
カビが出る。
ねん
お大事に。
ねんがける
心がける。
ねんがら
子供の遊びの一つで木釘の相撲。
ねんごう
自尊心の強い人。
ねんだい
寝るのをやめた。
ねんね
寝る。
まだまだ子供だ。
ねんねこ
赤ん坊を背負う帯付きの着物。
ねんまに
まだ寝ないうちに。
ねんまま
寝ずに。
ねんよ
寝ないよ。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
ねぶる
舐める。味わう。
眠る。
ねぼすけ
よく眠る人。
ねほりはほり
一から十まで繰り返し尋ねる。
ねま
寝床。寝室。
ねらむ
睨む。
ねりべえ
土塀。
ねる
カビが出る。
ねん
お大事に。
ねんがける
心がける。
ねんがら
子供の遊びの一つで木釘の相撲。
ねんごう
自尊心の強い人。
ねんだい
寝るのをやめた。
ねんね
寝る。
まだまだ子供だ。
ねんねこ
赤ん坊を背負う帯付きの着物。
ねんまに
まだ寝ないうちに。
ねんまま
寝ずに。
ねんよ
寝ないよ。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
- 関連記事
-
- 下関の方言 の…の部 (2018/11/02)
- 下関の方言 ね…の部 (2018/11/01)
- 下関の方言 ね…の部 (2018/11/01)
Posted on 2018/11/01 Thu. 10:13 [edit]
category: 下関弁辞典
TB: -- CM: 0
01
彦島
- 関連記事
-
- 六連島東海岸 (2018/11/02)
- 彦島 (2018/11/01)
- 彦島周辺図 (2018/10/31)
Posted on 2018/11/01 Thu. 10:11 [edit]
category: ひこしま発展誌
TB: -- CM: 0
01
下関の方言 ね…の部
下関の方言 ね…の部
ねせがね
遊ばせておく金。
ねせごえ
堆肥。
ねせる
醗酵させる。
ねたろー
よく寝る人。寝坊。
ねちこい
しつこい。執拗な。
ねちょる
寝ている。
ねつい
丁寧。
念入り。
真面目。
ねと
根元。
橋のたもと。
ねば
真綿。
蜘蛛の巣。
ねばい
執拗な。
馬鹿丁寧。
ねばる
腐り始める。
ねぶか
ネギ。
ねぶたい
眠い。
ねぶらす
賄賂。
ねぶりぎ
ねむの木。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
ねせがね
遊ばせておく金。
ねせごえ
堆肥。
ねせる
醗酵させる。
ねたろー
よく寝る人。寝坊。
ねちこい
しつこい。執拗な。
ねちょる
寝ている。
ねつい
丁寧。
念入り。
真面目。
ねと
根元。
橋のたもと。
ねば
真綿。
蜘蛛の巣。
ねばい
執拗な。
馬鹿丁寧。
ねばる
腐り始める。
ねぶか
ネギ。
ねぶたい
眠い。
ねぶらす
賄賂。
ねぶりぎ
ねむの木。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
- 関連記事
-
- 下関の方言 ね…の部 (2018/11/01)
- 下関の方言 ね…の部 (2018/11/01)
- 下関の方言 ね…の部 (2018/10/31)
Posted on 2018/11/01 Thu. 09:14 [edit]
category: 下関弁辞典
TB: -- CM: 0
01
維新に身を投じた豪商志士2
維新に身を投じた豪商志士2
その功績をたどれば、文久三年四月、急進派中山忠光卿の下関滞在の折にはよく世話をし、同年五月の下関攘夷戦には家をあげて参戦した。
高杉晋作の奇兵隊結成にも屋敷を提供、みずからも弟廉作とともに入隊し、以後物心両面にわたって惜しみなく奇兵隊を援助した。
さらに元治元年三月、政変により西下した三条実美ら七卿が来関した際には七卿を世話、そのうち錦小路頼徳卿は病んで同年四月二十五日に白石邸で逝去している。
このように、幕末維新時に白石邸を訪れ、正一郎の援助を受けた人物は、前記の公家、長州藩士にとどまらず、西郷隆盛、大久保利通、平野国臣、坂本龍馬ら、その数は400人に及ぶ。
いわば諸国の志士にとって最も頼れる宿であり、情報センターでもあったのである。
(清永唯夫)
図説「下関の歴史」より
その功績をたどれば、文久三年四月、急進派中山忠光卿の下関滞在の折にはよく世話をし、同年五月の下関攘夷戦には家をあげて参戦した。
高杉晋作の奇兵隊結成にも屋敷を提供、みずからも弟廉作とともに入隊し、以後物心両面にわたって惜しみなく奇兵隊を援助した。
さらに元治元年三月、政変により西下した三条実美ら七卿が来関した際には七卿を世話、そのうち錦小路頼徳卿は病んで同年四月二十五日に白石邸で逝去している。
このように、幕末維新時に白石邸を訪れ、正一郎の援助を受けた人物は、前記の公家、長州藩士にとどまらず、西郷隆盛、大久保利通、平野国臣、坂本龍馬ら、その数は400人に及ぶ。
いわば諸国の志士にとって最も頼れる宿であり、情報センターでもあったのである。
(清永唯夫)
図説「下関の歴史」より
- 関連記事
-
- 維新に身を投じた豪商志士3 (2018/11/02)
- 維新に身を投じた豪商志士2 (2018/11/01)
- 維新に身を投じた豪商志士1 (2018/10/31)
Posted on 2018/11/01 Thu. 09:12 [edit]
category: 下関の歴史論文
TB: -- CM: 0
01
| h o m e |