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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の方言 む…の部 

下関の方言 む…の部

むさい
 長持ちがする。

むさぶりつく
 うるさくつきまとう。

むしけ
 癇癪。

むしょ
 墓地。

むしん
 頼みごと。お願い。

むせる
 蒸しあがる。
 喉に詰まる。

むなおち
 鳩尾。

むねがわるい
 胸くそが悪い。腹が立ってならぬ。

むりい
 無理に。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/30 Fri. 10:47 [edit]

category: 下関弁辞典

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30

彦島村信用金庫本所 

ひこしま発展誌より
彦島村信用金庫本所(大正6年)
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Posted on 2018/11/30 Fri. 10:43 [edit]

category: ひこしま発展誌

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30

旧長府藩家老宅に咲くハスの花2 

旧長府藩家老宅に咲くハスの花2

その後文久3年8月18日の京都政変によって長州藩が汚名を被ると、冤罪を晴らすべく大阪にあって諸藩への陳情周旋に努めるが、幕府に監視護送され帰藩。
高杉晋作の功山寺挙兵による内訌戦の前後処理、功山寺潜居の三条実美らの筑前渡海にも尽力した。
翌慶応2年の小倉戦争においては大隊長として活躍、次いで加判役に任じられて藩政を掌握した。

維新後は、豊浦藩副執政となって藩政改革を実施。
さらに豊浦藩大参事となり、公議人として上京し新政施行に参与するが、明治4年1月にこれを辞し、同8年5月30日、この長府邸で病没。
享年53歳であった。

(清永唯夫)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/30 Fri. 10:34 [edit]

category: 下関の歴史論文

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30

彦島村信用組合発祥の地 

ひこしま発展誌より
彦島村信用組合発祥の地
(現大阪酸素)
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Posted on 2018/11/29 Thu. 10:05 [edit]

category: ひこしま発展誌

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29

関彦信用金庫 

ひこしま発展誌より
関彦信用金庫本所(昭和24年)
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Posted on 2018/11/29 Thu. 10:00 [edit]

category: ひこしま発展誌

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29

下関の方言 む…の部 

下関の方言 む…の部

むいに
 むげに。

むえる
 暑い。蒸し暑い。

むかう
 反抗する。手向かいする。

むかぜ
 ムカデ。

むかば
 前歯。

むがむほう
 無茶苦茶。

むき
 好み。
 希望。
 本気。
 立腹。

むぎこ
 麦の粉。

むぎめしのき
 馬酔木。

むくばる
 痛みによって腫れる。鈍痛。

むごい
 ひどい。残酷な。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/29 Thu. 09:56 [edit]

category: 下関弁辞典

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29

旧長府藩家老宅に咲くハスの花1 

旧長府藩家老宅に咲くハスの花1

城下町長府を観光資源とする下関市が、平成元年に9億2000万円で購入して整備し、同5年5月に正式な開園を見た「長府庭園」は、敷地面積約3万800平方メートルのうち、約7000平方メートルが庭園部分でなかには約1100平方メートルの池もあり、木造入母屋造二階建て約225平方メートルの書院や茶室を備えるなど、本格的な回遊式日本庭園である。

この屋敷は、下関を発祥の地とする大洋漁業株式会社の初代社長中部幾次郎が昭和4年に購入。
以来、中部家の人たちが住んで、地元では中部邸の名で知られてきたが、もともとは長府藩の家老職西家の屋敷であった。

特に幕末期の当主の西運長は、長府藩史に大きな足跡をとどめる人物である。
運長は文政6年、萩本藩寄組士児玉縫殿邦行の三男として生まれ、長府藩家老職西義定の養子となって家督を継いだ。

そして幕末の激動期を迎え、下関攘夷戦の直前に海防掛を命じられ、海峡防備の任にあたり敢闘。
さらに江戸藩邸の改革にも成果を上げて、藩主から右馬氶の名を賜ったが、憚る所あってみずからは小豊後を名乗った。

(清永唯夫)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/29 Thu. 09:42 [edit]

category: 下関の歴史論文

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29

下関の方言 み…の部 

下関の方言 み…の部

みなあみな
 皆がみんな。全部が全部。

みにならん
 落ち着いてできない。
 何を食べているかわからない。
 美味しくない。

みば
 見栄え。

みみ
 針の穴。

みみをふく
 内緒話。
 そっと知らせておく。

みみたぼ
 耳朶。

みみど
 針の穴。

みみのす
 耳の穴。

みやがらす
 宴会などで最後の一人になるまで残って飲んでいる人。

みやこぐさ
 ゲンノショウコ。

みやす
 めやす。目処。

みやすい
 やさしい。たやすい。

みやわす
 やめる。中止する。

みんがほとけ
 見ぬうちが花。

みんこう
 見ないまま。

みんごと
 見ないように。目につかないように。

みんまに
 見ないうちに。

みんものきよし
 見ぬものきよし。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/28 Wed. 11:39 [edit]

category: 下関弁辞典

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28

さよなら路面電車3 

さよなら路面電車3

電車利用者数は、昭和19年に1381万7187人の戦前最高数を記録、戦後は同33年に2470万3793人を記録しピークを迎えた。
しかし昭和40年代に入ってからは利用者数は減少の一途をたどり、経営状態も次第に悪化していった。
モータリゼーションが進行し、低速運行の電車は、利用者が少なくなっていったと考えられる。

山陽電軌では、経営の立て直しをはかるため、昭和44年10月に比較的利用者の少ない唐戸ー長府間、下関駅ー彦島口の路線を廃止、翌年からは、運転手のみのワンマン電車を運行させるなどの方策を取ったが、黒字経営への妙手とはなり得なかった。

そしてついに昭和46年2月6日、路面電車は全面撤退することになり、下関駅前を午後10時40分に出発した東駅行きが最終便となった。
こうして、市民の足として長く親しまれた路面電車は、45年間の歴史に幕を閉じたのである。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/28 Wed. 11:31 [edit]

category: 下関の歴史論文

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28

彦島とその開拓の歴史7 

彦島とその開拓の歴史7


彦島の開拓者である河野一族や平家の残党は、ひとかどの武将でありましたが、いずれも落ち武者で農業と漁業により安住したのであります。
ゆえにその生活は、むしろ消極的でありました。
離れ島のことでもあり、外部との交渉は甚だ稀であったことはやむを得ません。
それが同族結婚で親族が増え、また分家が分家を生むというありさまで、彦島は同姓がすこぶる多いということでもよく知られています。

しかし風俗習慣は、他と比較してとくにとりたててあげるほど変わってはおりません。
というのは、いくら外部との交渉が少ないとは申しながら、目の当たりに下関市があり、また福浦港などは昔から諸国の船舶が出入りしていまして、世情の変化をここから吸収していたので、決して片田舎や山奥のようではなかったと思われます。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2018/11/27 Tue. 09:25 [edit]

category: ひこしま発展誌

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27

下関の方言 み…の部 

下関の方言 み…の部

みそ
 べそ。

みそおけ
 出不精者が珍しく外出すること。
 田舎者の都会見物。

みそくそ
 悪口。コテンパン。

みそしる
 濃霧。

みたい
 …のように。…のような。

みたて
 葬式。
 診断。

みたもない
 みっともない。恥ずかしい。
 見たくない。
 二度と見たくない。

みちをあける
 花嫁の挨拶回り。
 花婿の挨拶回り。

みちがあいた
 花嫁や入り婿の挨拶回りが済んだ。

みてくれ
 外観。格好。

みてる
 なくなる。終わる。

みと
 田の水口。

みど
 溝。
 針の穴。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/27 Tue. 09:23 [edit]

category: 下関弁辞典

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27

さよなら路面電車2 

さよなら路面電車2

昭和7年9月には鳥居前ー長府駅前間が開通、その翌年には10月に壇之浦ー唐戸間が連絡され、市街電車としての体裁を整えた。
また同13年11月には唐戸ー細江間も開通して、市民の足として電車は重宝され、大いに利用された。
電車から伸びたポールが架線からはずれて立ち往生することもあったが、出発合図のチンチンと鳴る号令から「チンチン電車」の愛称で呼ばれ、市民に親しまれた。

路線は東駅を起点に西細江までの唐戸線、幡生線、長府駅前と西細江までの長関線があり、のちに大和線が加わった。

戦後も路線拡張が行われ、西細江ー下関駅間、下関駅ー彦島口間の運行がかいしされ、営業路線の延べキロ数は17.7キロに達した。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/27 Tue. 09:10 [edit]

category: 下関の歴史論文

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27

延縄漁の準備 

ひこしま発展誌より
延縄漁の準備
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Posted on 2018/11/26 Mon. 10:15 [edit]

category: ひこしま発展誌

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26

下関の方言 み…の部 

下関の方言 み…の部


 見なさい。
 試してごらん。

みい
 見なさい。
 試してごらん。
 竹かごの一種。

みいな
 みんな。全部。

みお
 船の航行に適した海の水路。

みけん
 家柄。家名。

みして
 見せて。

みしる
 むしる。むしり取る。

みしろ
 むしろ。

みす
 簾。

みずがあわん
 離婚。

みせえ
 見せなさい。
 貸せ。

みせぶらかす
 見せびらかす。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/11/26 Mon. 10:12 [edit]

category: 下関弁辞典

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さよなら路面電車1 

さよなら路面電車1

大正15年12月、山陽電軌株式会社によって、市街電車が初めて長府松原ー壇之浦間の5.4kmを走行した。
このときの電車は、日本車輌の製作したもので、当時の購入金額は7,000円、40人乗りの電車8輌が購入された。
車輌は山陽本線で長府駅まで輸送され、そこからは大型の牛車に乗せて、松原の車庫まで、三日がかりで運ばれたという。

当時、下関ー長府間の交通機関としては、土井、中林のふたつの乗合自動車が走っていた。
運賃は40銭から50銭であったが、新説の電車は1区4銭、全線4区16銭という格安の料金で、電車の珍しさとも相まって、多数の乗客を獲得した。

その後の路線の拡張をみると、昭和3年4月に長府松原ー鳥居前間が開通、同年12月には長州鉄道が敷設していた幡生ー東下関駅の路線を買収し、さらに翌4年には東駅ー唐戸間が開通して、幡生ー唐戸間が全通した。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/26 Mon. 09:59 [edit]

category: 下関の歴史論文

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