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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島周辺図 

ひこしま発展誌より
彦島周辺図
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Posted on 2018/10/31 Wed. 11:34 [edit]

category: ひこしま発展誌

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下関の方言 ね…の部 

下関の方言 ね…の部

ねかぶ
 切り株。根元。

ねき
 そば。傍。

ねくじ
 子供が眠くなってグズグズとむずかること。

ねこげ
 ウブ毛。
 頭の毛の細く柔らかい人。

ねこばば
 騙して自分のものにしてしまうこと。

ねさまし
 寝起きのおやつ。

ねじける
 ねじれる。歪む。
 拗ねる。ひがむ。

ねしこい
 しつこい。執拗な。

ねじこむ
 詰問する。
 抗議する。

ねすぼけ
 布団は膨れたままだが寝床からこっそり抜け出て不在。

ねずみとり
 青大将。

冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/31 Wed. 11:14 [edit]

category: 下関弁辞典

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彦島発展誌録音テープ 

ひこしま発展誌より
彦島発展誌録音テープ
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Posted on 2018/10/31 Wed. 11:04 [edit]

category: ひこしま発展誌

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彦島とその開拓の歴史4 

彦島とその開拓の歴史4


浦は海士郷、江の浦、福浦、鯉の浦、宮の浦、伊佐の浦、桃の浦の七つでありまして、鯉の浦は西山の伊無田の浜、伊佐の浦は西山の伊佐武田の浜、それから桃の浦は福浦の裏側荒田寄りにあたります。

宮島は弥山という高い山があって、鬱蒼と樹木に覆われていますが、彦島は山が低くて最高峰のチョウノ山というのも、わずか113メートルに過ぎません。
そして各所に平地があって耕作に適し、また福浦開作を初め海岸に埋立地が取り巻いていまして、地元の産業にまことに好都合の土地があります。

このように相当の土地と開運の利便性という好条件を備えていまして、一衣帯水の下関、門司、小倉、やや離れて若松、戸畑、八幡の大都市を控えておるので、否が応でも膨張発展せざるをえない運命にあるのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2018/10/31 Wed. 11:00 [edit]

category: ひこしま発展誌

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下関の方言 ぬ…の部 

下関の方言 ぬ…の部

ぬいあげ
 肩あげ。子供用の着物。

ぬき
 壁の中の柱と柱を刺し通す厚手の板。

ぬくい
 暖かい。
 …しづらい。…しにくい。

ぬくもる
 暖まる。

ぬけ
 マヌケ。薄ぼんやり。

ぬしと
 盗人。泥棒。

ぬすくる
 塗る。
 擦り付ける。
 拭く。
 他人に転嫁する。

ぬすみどり
 盗人。
 結婚式も披露宴もせずにそっと嫁を迎えること。

ぬた
 ワケギと酢味噌で馬刀貝、あさり、イカなどを和えたもの。

ぬばす
 伸ばす。薄める。

ぬぶ
 伸びる。

ぬべる
 伸ばす。薄める。

ぬるい
 鈍い。マヌケ。グズグズする。

ぬるさく
 うすのろ。

ぬるしょぼけ
 ずぶ濡れ。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/31 Wed. 10:50 [edit]

category: 下関弁辞典

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維新に身を投じた豪商志士1 

維新に身を投じた豪商志士1

下関の明治維新を語るとき、白石正一郎の存在を抜きにして語ることはできない。

白石邸のあった赤間関の竹崎は、長府藩領のなかでの海への玄関として一部清末藩領となっており、白石家ははその清末藩の御用商人、また大年寄で、この地で荷受問屋を営んでいた。
小門の海に面して裏門が開かれていたことから、多くの志士たちが船で裏門から出入りしていた。

白石家は本来、四国越智一族の出で、何代か前に小倉から当地に移ってきたということで、屋号を小倉屋と称した。
幕末時の当主正一郎は文化九年3月7日、白石卯兵衞資陽の長男として生まれ、幼名龍之介で、正一郎、資興と称したが、のちに毛利家に興丸君が誕生したことから「興」の字をはばかって資風と改めた。

正一郎は人となり忠実で気概に富み、若年の頃より鈴木重胤に国学を学び、熱心な尊王家で。また和歌にも優れた文化人であった。
一方で商人としても広い視野を持ち、安政年間より薩摩との交易に尽力、西郷隆盛などの信頼も得て、薩摩藩の御用達も務めた。

(清永唯夫)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/31 Wed. 10:48 [edit]

category: 下関の歴史論文

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