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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の方言 ち…の部 

下関の方言 ち…の部

ちーたあ
 少しは。
 たまには。

ちーっと
 少し。

ぢいぢいばば
 ミノムシ。

ちえねつ
 幼児が出す熱。

ちが
 血。

ぢか
 直接。

ぢかた
 農業部落。

ちがいない
 そうだ。その通り。

ちかまあり
 この近所。
 近道。

ちからもち
 初誕生の日に担がせる一升餅。

ちかんちかん
 こっぴどく。厳しく。

ちきり
 秤。竿ばかり。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/08 Mon. 09:28 [edit]

category: 下関弁辞典

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平家伝承のなかの花街3 

平家伝承のなかの花街3

以後も著名な紀行文に数多く登場、古川辰の「西遊雑記」の中にも
「相伝う、平氏没落の時に数名の官女せんかたなくも、身を遊君となし世をおくりし事なりとて、今に其遺風此里に残りて、客おば下座におらしめて遊女上座に居す。他国になき風俗というべし」
と、平家官女との因縁が語り伝えられており、かつては赤間神宮の先帝祭上臈参拝の主役でもあった。
いずれにしても北前船寄港によって下関が繁栄していくにつれて隆盛になっていったのであろう。
北前船が入ると、その船頭衆を稲荷町に案内するのが大問屋の主人の仕事であったという。

元禄時代には稲荷町の遊女87人とあり、天保9年の「赤間関人別帳」によると、稲荷町には遊郭が九軒あり、なかでも大阪屋が最も大きく、女郎23人、禿13人、三味線師匠7人の規模であった。
この大阪屋は、幕末時に若き志士たちの活動の舞台になったことでも知られている。

ともかく稲荷町は別格の意味を持って全国に知られていた。
その由緒ある地名が失われることを惜しみ、昭和61年4月「旧赤間関稲荷町跡」の町名顕彰碑が建立された。

(清永唯夫)


図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/08 Mon. 09:14 [edit]

category: 下関の歴史論文

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