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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

気さくな風情の市民の台所3 

気さくな風情の市民の台所3

これには市場関係者の地道な努力があったが、特にフク調理の安全性を徹底的に追及した結果である。

にぎわいを見せた唐戸市場であったが、戦時中は経済統制により市場としての機能が失われ、休場のやむなきに至った暗い時代もあった。

戦後は、いち早く市場機能の回復に努めたが、市場を取り巻く環境は厳しかった。
交通体系の変化と市場の狭隘が原因である。
昭和51年、唐戸青果市場が勝山に移転し、まもなく中央卸売市場へ、また同49年11月16日には唐戸魚市場のフク部門が、彦島南風泊市場へ移った。

そして21世紀、唐戸地区ウォーターフロント計画により、新しい唐戸市場が平成13年4月25日に完成。
以来、大勢の観光客や買い物客を迎えて、唐戸市場は毎日活況を呈している。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/04 Thu. 15:26 [edit]

category: 下関の歴史論文

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気さくな風情の市民の台所2 

気さくな風情の市民の台所2

この整備された市場は、しだいに関門の人々の台所として親しまれるようになり、発展していくのである。

青果部の卸問屋は108軒あり、組織づくりを行い、下関中央青果株式会社を設立。
また仲買人は蔬菜101人、果実33人で構成されていた。
港町下関では、明治末頃から山陽の浜でバナナの叩き売りが行われるようになり、一躍有名になった。
記録によるとバナナが初めて下関に荷揚げされたのは明治39年6月というが、それ以降、門司とともに関門港はバナナの移入地として全国に知られるようになった。

唐戸市場は、庶民の市場でもあった。
気軽に品定めをし、売り手と買い手の駆け引きが市場内のあちこちでみられ、活気に満ちていた。
鮮魚は瀬戸内や北浦の沿岸ものが主であったが、しだいにフクの取引が唐戸魚市場の目玉となり、有名になっていった。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/04 Thu. 15:24 [edit]

category: 下関の歴史論文

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04

下関の方言 た…の部 

下関の方言 た…の部

たがう
 くじく。捻挫。骨折。

たかごち
 東南の風。

たかる
 寄り集まる。群衆。

たき
 丈。
 身長。

たきおとし
 薪の燃えた熾。

たきもの
 薪。

たく
 煮る。
 焚く。

たくれる
 着物がずりあがっているさま。

たける
 叫ぶ。タッケルとも、

たご
 桶。水桶。

たごーた
 くじいた。捻挫した。

たこーらばち
 竹の皮で編んだ菅笠。

たしなむ
 大切にする。保存する。
 後回しにする。

たそば
 みぞそば。

冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/04 Thu. 15:01 [edit]

category: 下関弁辞典

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下関の方言 た…の部 

下関の方言 た…の部

だいこ
 大根。

だいこくさん
 カラスウリ。

だいしょ
 多少。少し。

たいしょう
 ご主人。ご亭主。親方。

たいそーな
 大変な。非常に。
 億劫。大儀な。

だいだい
 夏ミツカン。夏ダイダイ。酢ダイダイ。

だいだいず
 橙を絞って採った酢。

だいどこ
 台所。勝手口。

たいのまこ
 明太子。

たいへいらく
 好き勝手なこと。
 自慢話。

だいめん
 だいぶん。かなり。

たいよう
 大夫。神主。神官。

たう
 届く。達する。

たえがたい
 ありがとう。
 お気の毒な。
 すみません。
 我慢できない。

たえる
 なくなる。絶滅する。
 二の句が継げない。
 行き詰まる。
 落胆。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/04 Thu. 10:26 [edit]

category: 下関弁辞典

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気さくな風情の市民の台所1 

気さくな風情の市民の台所1

「大下関へ…今日華やかな門出、関彦合併、漁港起工、市場落成…市民興奮の坩堝」
昭和8年3月20日付の「馬関毎日新聞」下関版の記事見出しである。
下関にとって念願であった彦島との合併、下関漁港工事大修築の定礎式、そして西日本随一の規模を有する下関中央魚菜市場の落成式が相次いでおこなわれたわけであるから、下関中が興奮するのは当然であった。

下関中央魚菜市場はのちに唐戸市場と呼ばれるが、魚市場を取り上げてみると、その前身は明治41年につくられた阿弥陀寺魚市場である。
この市場は、あまりにも東端にあったため円滑に機能せず、取引の中心はしだいに唐戸に移行していった。
唐戸は明治29年に唐戸湾を埋め立ててできた土地であり、新興地特有のにぎわいを見せていた。
大正13年、唐戸の市有地に阿弥陀寺の魚市場が移転、その後、唐戸ー壇之浦に電車が開通した年と同じ昭和8年、前述の下関中央魚菜市場が、門司税関下関出張所の跡地に完成した。
総建設費は31万4586円、一号棟から五号棟まであり、青果部、バナナ部、鮮魚部、雑部の四部に分かれており、国道を挟んで海側が鮮魚部、向かいが青果部となっていた。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/04 Thu. 10:10 [edit]

category: 下関の歴史論文

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