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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の方言 そ…の部 

下関の方言 そ…の部

そばえる
 戯れる。
 雨が降り始める。

そびをかう
 誘いかける。

そびく
 引く。引きずる。

そら
 上の方。
 高いところ。

そりゃーそれ
 それはそうだ。その通り。

それいな
 そうですよ。

それかあ
 ああそうか。

それそれ
 そうそう。

それっちゃ
 そうだそうだ。

それべくそーろー
 そのまま。
 うやむや。

それべくそ
 少ないこと。

そろっと
 そっと。静かに。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/02 Tue. 10:58 [edit]

category: 下関弁辞典

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下関の民俗 民間治療法19 

民間治療法19


《盲腸炎》

フナかドジョウを三尾、梅干しまたは酢少々、麦飯茶碗一杯全部をよく混ぜ、よくたたき、すりつぶして、五時間くらい幹部に五日間貼り続ける。
(清末)

《痔疾》

ニンニクをつける。
(王司・彦島・内日)

ナスのヘタの黒焼きをつける。
(王司・彦島・内日)

イチジクの葉で患部をなでる。
(吉見)

卵を焼いて油をとり、肛門に差し込む。
(蓋井島)

ゲンノショウコを煎じて飲む。
(蓋井島)

風呂に入って温まり、指で何回も押さえる。
(彦島)

灸をすえる。
(彦島)

朝起きた直後の自分のツバを幹部につける。
(清末)

《かっけ》

麦粉、小豆を煮て食べる。

麦飯を食べる。

朝露を踏む。
(蓋井島)


「下関の民俗知識」中西輝麿著より
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Posted on 2018/10/02 Tue. 10:44 [edit]

category: 下関の民俗

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02

下関の方言 そ…の部 

下関の方言 そ…の部

そいたら
 そしたら。そうしたら。

そいで
 それで。それから。

そいでも
 それでも。

そいやけ
 だから。それだから。

そこまめ
 落花生。

そそぐ
 すすぐ。洗う。

そそくる
 繕う。修理する。

そぞらだち
 寒さに震えて立っているさま。

そっきょう
 せっかち。慌て者。

そっけない
 あっけない。
 冷淡な。

そない
 そんな。
 あんな。

そね
 山の尾根。

そねーに
 そんなに。そのように。

そのそ
 それ。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/02 Tue. 10:29 [edit]

category: 下関弁辞典

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下駄ばきぶらたん あとがき 

下駄ばきぶらたん あとがき

ある日ある時、ひとは、何の理由もなく、ただ、ぶらっと歩いてみたくなることがある。
それでいて、いざ出かけてみると、ひとは、どこへというあてもないことに気づくのだ。

そんな時、汽車やバスに乗ってみるのもいいだろう。
デパートや商店街でのウィンドショッピングも楽しいに違いない、
だが、たまに趣向を変えて市場の雑踏に紛れ込んだり、城壁のように連なる石垣の狭間を散策したり、お寺の山門に佇ってみると心安まることがある。

それは他でもない。
自分たちの住んでいる最も身近な土地を歩いているというという実感と、見覚えのある辻々に思わぬ風景を見出す喜びが味わえるからだ。

もともと山歩きの好きな話は、少年の頃から暇さえあれば、氣のむくまま足の向くままに、よく歩いた。
小さな丘から眺める海峡の白い軌跡、坂道を登り降りするたびに大きく小さく変化する対岸の企救山塊、峠を越えようとした途端に目に飛び込んできた水平線上の真っ赤な夕陽、それらの一つ一つに私は驚きの声を上げながら歩いた。

だから、この書は観光案内書ではなく、私自身の散歩の手引きのようなものである。

出版社の意向としては、地図と磁石と赤鉛筆を持って自由に歩いてみることのできるオリエンテーリングのような内容を期待したようであるが、車洪水の市街地散策は山野徘徊のようなわけにはゆかない。

私は十数年前に、新聞、機関紙、雑誌などに「ひとりぶらたん」「ゆめぐりぶらたん」「かんもんぶらたん」と、一連の紀行案内らしきものを連載した。
この書もそれにあやかって「下駄ばきぶらたん」としてみたが、あくまでも、ふらっと出かけて、のんびりぶらぶら歩いてみる、といった軽い気持ちに発している。

一応、「下関駅周辺」としたものの了円寺から入江口までを範囲内とし、旧山陽の浜、細江の船溜まり、萩本藩の新地会所跡、戦時中の新幹線たる弾丸列車計画用地(桜山)などは省いた。
また、ロッキード問題に比較されるシーメンス事件の裁判を担当した内田重成中尉の碑(桜山神社内)や、豊前田町出身で神田墓地に眠る山口孤剣なども素通りすることにした。
孤剣の墓にはこう刻んである。

孤剣君、本姓は福田、実名は義三、下関が産出したる最大最初の社会主義者、熱血熱涙、能文雄弁、大正九年九月二日歿す。
年三十八、十三回忌に際してこの墓を建つ。
堺利彦 識。

ところで、この稿を綴るにあたり多くの寺院や神社を訪ね、境内の石文や墓碑銘、辞世句などについて教えを乞うたが、満足な回答はほとんど得られなかった。
住職も神官もそれらの刻字を読めないのである。
また、辞世句を彫りつけた墓の存在てへさえも知らない僧侶にも何人かお会いした。
年代を経るごとに風化していく石文の文字くらいは、それが建つ境内の主が記録してしかるべきではないか、と私は何度も思った。

それから、光明寺、三連寺、妙蓮寺、了円寺などは、幕末攘夷戦の際に諸隊の屯所や血の争いなどで知られているが、それらを記した案内板がなく、些か寂しい。
これは、城下町長府にくらべて、やや片手落ちではないか、と思わずにはいられない。

さて、八月を終わる日、赤間関書房主と岸勤氏と私、それに中学二年になる私の長男を加えて、この書のコースを歩いてみた。

伊崎の旧道にシトミ戸の他にも唐様建築を施した民家が残っていたり、海から遠い了円寺近くに海触の跡を発見したりして楽しい半日であった。
その時、岸氏は、井上靖が小説「氷壁」を連載中に、毎朝、生沢朗の挿絵を見るのが楽しみで、配達を待ちかねて急いで新聞を開いたというが、そのような絵を私も書きたいものです、と言われた。

拙い文章に汗顔しつづけの私は思わず肝を冷やしたが、学期初めのご多忙と、運動会、文化祭などの準備に追われる中で、素晴らしい絵を描いてくださった。
ちなみに同氏は、下関商業高校の教諭でモダンアート協会の会員でもある。
ここに記して感謝の意としたい。

ところどころに配した概念図はその標題に関する周辺図だが、あまり詳しくは描いていない。
それは前述の通り、出版元の意向がオリエンテーリングの形を目指していたため、少しでもそれに近づきたいと思ったからである。
東西南北も明示せず、大きな通りや鉄道だけを中心にして、起伏も曲折も無い平面的な図で、その上、誰でも知っているようなデパートやスーパーなど以外のすべての店舗の名称を省いた。
つまり、読者諸賢は極めて判りにくい不親切な案内図によって散策させられそうだが、これはほんの一例にすぎず、何もこの通りに歩いて欲しいと言っているわけでは決して無い。

そぞろ歩きの散歩に、理屈はいるまい。
ともあれ、この書を企画された藤野幸平氏の意に沿いえたかどうか一抹の不安を抱きながらの欄筆をご寛恕願いたい。

昭和五十一年 秋分の日しるす   著者


冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2018/10/02 Tue. 10:07 [edit]

category: ぶらたん

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