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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

維新に身を投じた豪商志士1 

維新に身を投じた豪商志士1

下関の明治維新を語るとき、白石正一郎の存在を抜きにして語ることはできない。

白石邸のあった赤間関の竹崎は、長府藩領のなかでの海への玄関として一部清末藩領となっており、白石家ははその清末藩の御用商人、また大年寄で、この地で荷受問屋を営んでいた。
小門の海に面して裏門が開かれていたことから、多くの志士たちが船で裏門から出入りしていた。

白石家は本来、四国越智一族の出で、何代か前に小倉から当地に移ってきたということで、屋号を小倉屋と称した。
幕末時の当主正一郎は文化九年3月7日、白石卯兵衞資陽の長男として生まれ、幼名龍之介で、正一郎、資興と称したが、のちに毛利家に興丸君が誕生したことから「興」の字をはばかって資風と改めた。

正一郎は人となり忠実で気概に富み、若年の頃より鈴木重胤に国学を学び、熱心な尊王家で。また和歌にも優れた文化人であった。
一方で商人としても広い視野を持ち、安政年間より薩摩との交易に尽力、西郷隆盛などの信頼も得て、薩摩藩の御用達も務めた。

(清永唯夫)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/31 Wed. 10:48 [edit]

category: 下関の歴史論文

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下関の方言 に…の部 

下関の方言 に…の部

にのう
 荷負う。

にばり
 荷縄。

にゃ
 …しなさいよ。

にゃー
 …には。
 …しなければ。
 …しなさい。

にやす
 殴る。どやす。打つ。叩く。

にゅーやみ
 つわり。

によい
 匂い。香り。

にわ
 土間。
 庭園。

にわばき
 安物の下駄。

にわりこむ
 うずくまる。

にわりもの
 不満足なもの。不良品。

にわる
 腐る。傷む。
 しぼむ。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/30 Tue. 10:05 [edit]

category: 下関弁辞典

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彦島とその開拓の歴史3 

彦島とその開拓の歴史3


次に彦島の地形でありますが、地質は相当古いようであります。
しかし小戸海峡や西山の宮の原の地質ができたのは、比較的新しい時代のようであります。

彦島は本島と竹の子島、六連島の三島と、はなはだ小さいものの巌流島と舞子島を引き連れて成り立っております。
この彦島の存在は、下関と門司の両港の生命であります。
つまり彦島があってこそ関門港が成り立っているのであります。
このことから彦島がいかに地の利を得ているかということが頷けるのであります。

本島の面積は当時約8.3平方キロメートル、周囲は俗に言う七里弱、六連島は周囲約一里、竹の子島は約八丁でありますが、最近は埋め立てのため多少の変化があったことは申すまでもありません。

「安芸の宮島回れば七里、浦は七浦、七恵比寿」という唄がありますが、彦島もちゃんと七浦がそろっているのが面白いではありませんか。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2018/10/30 Tue. 09:57 [edit]

category: ひこしま発展誌

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下関の方言 に…の部 

下関の方言 に…の部

にぎらす
 賄賂。

にぎり
 ケチ。けちんぼ。
 シワイとも、

にぎりぎんたま
 ケチ。けちんぼ。
 懐手。
 つらい仕事は他人にさせて自分は常に怠けている人。

にくじ
 皮肉。嫌味。憎まれ口。
 嫌がらせ。
 いたずら。悪さ。
 あいにく。

にくたし
 煮詰まる。

にくたらしい
 憎らしい。可愛げがない。

にくたれぐち
 憎まれ口。

にじゅむ
 にじむ。

にっちも
 どうにも手の施しようがない。

にっちん
 二つに分ける。

になあ
 荷縄。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2018/10/30 Tue. 09:11 [edit]

category: 下関弁辞典

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青春の船出3 

青春の船出3

その後「下田踏海」事件を起こし、萩で幽閉の日々を過ごしていた松陰は、安政6年幕府の命を受けて江戸に送還され、10月27日三十歳にしてその生涯を閉じた。
この松陰の志を松下村塾の門弟である高杉晋作が継いで、当地でいわゆる「維新回天」の挙に出たのは、5年後の元治元年12月のこと、松陰の遺志がここで激しく発火し、やがて明治維新へと連なっていった。

(前田博司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/30 Tue. 08:56 [edit]

category: 下関の歴史論文

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