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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

了円寺と高杉療養地跡 


了円寺と高杉療養地跡

国道脇の人道を歩くのはあまり楽しいものではない。
「桜山神社」の標柱のそばの書道具店とお茶屋の間に入ってみよう。
静かな小路がつづく。
かつて小瀬戸の海がこの辺りまで入り込んでいた頃、人々はこの狭い道を行き来していた。
右手は石垣の上に古い家々が並び、左手は道よりも下に家が建っていたりして旧八幡町に似た風情がある。

屋根が足元にうずくまっているような錯覚を起こしながら、のんびり歩いて行くと、横断歩道橋のそばに出ることになるが構わず右へ折れて小路を辿ることにしよう。
やがて、いやでも国道に出てしまう。
そのあたりからが了円寺坂で、その名の寺院は坂の登りかけた途中に堂々とした山門を据えて白塀と石垣の曲線が美しい。

本堂、方丈、庫裡、鐘楼とすべて揃っていて、大きなイチョウの木が二本、桜も墓地のネムノキも共に大きい。
しかし、幕末に志士たちが屯所としていた面影は何もなく、また、それを記した立て札さえもないのはやはり寂しい。
同じことは西の光明寺でもいえるが。

ところで、了円寺の明治時代の住職、丘道徹は私財を投じて、代用感化院薫育寮を二十数年間経営していたが、これは大正元年に山口市にある「山口県立育成学校」に改組移管された。
すなわち丘住職はこの方面のパイオニアという訳である。

境内を出て横手のゆるい石段のある坂を下ると、途中に「了円寺参道」と書かれた碑が雑草に埋もれていた。
ということは参道は山門をくぐらずにその左手を登っていたことになる。
そういえば、了円寺の山門は長府毛利家の勝山御殿から移したものだという話を聞いたことがある。

さて下駄ばきぶらたんも、下関駅周辺という制約があれば、この辺りから引き返すべきであろう。
了円寺坂を登ってしまうと、金比羅、武久、幡生と先は広くつい帰りそびれてしまう恐れがある。
とりあえず、厳島さんの信号まで戻って神社手前の小路を左に入ろう。

まっすぐに進むと山陽本線の狭く低いガードをくぐることになり更に左に折れて坂道を登ると左手住宅の玄関先に「高杉東行療養之地」の碑が建っていて鉄扉の中に花立が一本と晋作の詩碑がある。
高杉は短い生涯に何百という詩歌を書き、旅日記なども事細かに書き残しており、平和な時代に生きていれば文人としてその名を高めたかもしれない。

落花斜 日恨無窮 自愧残骸泣晩風
休怪移家華表下 暮朝欲佛廟前紅

落花斜日恨み窮まりなし
自ら愧ず残骸晩風に泣く
怪しむをやめよ家を華表の下に移すを
暮朝廟前の紅をはらわんと欲す

この詩は慶応二年の作で「桜山七絶」と題し「時に予、家を桜山の下に移す」と副書きがしてある。
病気療養のため白石家からここに移ってきた頃の感傷だ。ちなみに華表とは鳥居のことである。

高杉はここで度重なる入牢と回天義挙などによりボロボロに痛めた体を休めながら、国を憂い、多くの死者たちのことを思って悩み苦しんだ。
そして秋から冬へかけて日に日に衰えてゆく体力を気力はどうすることも出来ず、やがて新地の林邸に移って死期を迎えることになるのです。

己惚れて 世は済ましけり 歳の暮 東行

ところで、この療養地のすぐ上に赤鳥居の「立石稲荷」があり、本当はここで静養したんだという説もかなり広く信じられている。
そういえば拝殿の前の花立に彫られた定紋は高杉家のものと類似しているし、ここからなら招魂社の森も手に取るように近い。

お稲荷さんの上の平坦地は住宅地になっているが、戦前には桜山競馬場といって草競馬ファンにとって懐かしい場所。
この住宅地の突き当たりは河野学園で、幼稚園から女子短大までの各層の賑やかな声が聞かれる。
その少し手前を右に折れると正面に神田小学校があり、前の坂道を東にくだると厳島神社の横に出ることになる。
しかし、坂を下りきったあたりから左に折れて、適当な小路を右に入り細い坂道をぐんぐん登るとやがて下りとなって山手町から関西通りへ出ることができる。


冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:25 [edit]

category: ぶらたん

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錦橋 

炭鉱 有限から無限へより
錦橋(大正11年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:24 [edit]

category: 炭鉱

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新川橋 

炭鉱 有限から無限へより
新川橋
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:22 [edit]

category: 炭鉱

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みどり橋 

炭鉱 有限から無限へより
みどり橋(大正15年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:20 [edit]

category: 炭鉱

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寿橋 

炭鉱 有限から無限へより
寿橋(昭和13年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:18 [edit]

category: 炭鉱

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樋ノ口橋 

炭鉱 有限から無限へより
樋ノ口橋(大正11年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:16 [edit]

category: 炭鉱

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宇部市街図 

炭鉱 有限から無限へより
宇部市街図(大正11年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:13 [edit]

category: 炭鉱

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下関観光検定093 

【質問】

忌宮神社の境内に、相撲資料館があります。
これは下関ゆかりの元関取が、忌宮神社の境内社である荒熊稲荷神社の奉納相撲に参拝していることが縁で設立されたものですが、その関取とは誰でしょうか。

【答え】

魁傑

【解説】

魁傑は岩国市生まれ。県立中央工業高校から日本大学へ進学しましたが、中退し各界に足を踏み入れました。
最高位は大関で、現在は放駒部屋の親方として活躍中です。
荒熊稲荷神社の奉納相撲は「長府の三日相撲」として知られ、毎年放駒部屋一行が参拝してにぎわいをみせています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:10 [edit]

category: 下関観光検定

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数方庭 

海峡の町有情より(昭和53年刊)
数方庭(大正15年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:09 [edit]

category: 海峡の町有情

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先帝祭 

海峡の町有情より(昭和53年刊)
先帝祭
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:07 [edit]

category: 海峡の町有情

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稲荷町 

海峡の町有情より(昭和53年刊)
稲荷町
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:05 [edit]

category: 海峡の町有情

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先帝祭 

海峡の町有情より(昭和53年刊)
先帝祭(昭和53年)
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:04 [edit]

category: 海峡の町有情

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呉服屋菊新 

海峡の町有情より(昭和53年刊)
呉服屋菊新
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Posted on 2018/07/31 Tue. 10:02 [edit]

category: 海峡の町有情

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彦島のけしき《彦島大橋》 

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Posted on 2018/07/31 Tue. 09:59 [edit]

category: 彦島のけしき3

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うり子姫 

うり子姫


 むかしむかし、あるところに、子どものいないおじいさんとおばあさんが住んでいました。

 ある日の事、おばあさんが川へ洗濯に行くと、ドンブラコ、ドンブラコと大きなうりが流れてきます。
「おやおや、何て大きなうりでしょう。家へ持って帰って、おじいさんと二人で食ベましょう」
 おばあさんはうりを拾い上げると、家へ持って帰りました。
 うりが大好物なおじいさんは、おばあさんが持って帰ったうりを見て大喜びです。
「こんなに大きなうりは、初めて見た。・・・よし、わしが切ってやろう」
 おじいさんが包丁(ほうちょう)を振り上げると、うりはひとりでにパカッと割れて、中から可愛らしい女の子が飛び出してきました。
「おや?」
「まあ!」
 子どものいないおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
 うりから生まれた子どもなので、名前を『うり子姫』と名づけました。

 赤ちゃんの頃から可愛い子でしたが、うり子姫は大きくなるにつれてますます可愛らしくなり、やがて成長すると『けしの花』の様な美しい娘になりました。
 そのあまりの美しさに、お殿さまがお嫁にほしいと言ってくるほどです。
 うり子姫は機(はた)をおるのがとても上手で、毎日楽しそうに機おりをしながら、おじいさんとおばあさんが帰って来るのを待っていました。

 ある日の事、うり子姫がいつもの様に一人で機をおっていると、やさしそうな声で戸をたたく者がありました。
「もしもし、可愛いうり子姫や。この戸を、開けておくれ。お前の上手な機おりを、見せてほしいのさ」
 けれども、うり子姫は戸を開けずに言いました。
「いいえ。
 戸を開ける事は、出来ません。
 もしかすると、あまのじゃくという悪者が来るかもしれないから、誰が来ても決して戸を開けてはいけないと、おじいさんに言われているのです」
 するとその声は、もっとやさしい声で言いました。
「おやおや、あのあまのじゃくが、こんなにやさしい声を出すものかね。大丈夫だから、開けておくれ」
「・・・でも、戸を開ける事は出来ません」
「それなら、ほんの少しだけ開けておくれよ。ほんの少し、指が入るだけでいいからさ」
「・・・それなら、指が入るだけ」
 うり子姫は、ほんの少しだけ戸を開けました。
 するとその声が、またやさしい声で言います。
「ありがとう、お前は良い子だね。
 でも、もう少しおまけしておくれよ。
 ほんのもう少し、この手が入るだけでいいからさ」
「それなら、手が入るだけ」
 うり子姫は、また少し戸を開けました。
「お前は、本当に良い子だね。
 でも、もう少しおまけしておくれよ。
 ほんのもう少し、この頭が入るだけでいいからさ」
「それなら、頭が入るだけ」
 うり子姫がまた少し戸を開けると、戸のすきまから頭を突き出したあまのじゃくが、するりと家の中へ入って来ました。
「けっけけけ。
 お前は、バカな娘だ。
 じいさんとの約束を破って、おれさまを家に入れるなんて」
 あまのじゃくはうり子姫の着物をはぎ取ると、うり子姫を裏山の柿の木にしばりつけました。
 それからあまのじゃくはうり子姫の着物を着て、うり子姫に化けて機おりを始めました。

 間もなく、おじいさんとおばあさんが帰って来ました。
「うり子姫や、さびしかったろう」
 するとあまのじゃくが、うり子姫の声をまねて答えました。
「ええ、とってもさびしかったわ」
 その時、家の前が騒がしくなりました。
 うり子姫をお嫁にもらう為に、お殿さまのカゴが迎えに来たのです。
「うり子姫や、お殿さまのお迎えが来たよ。これでお前は、何不自由なく幸せになれるよ」
 おじいさんとおばあさんはとても喜んで、うり子姫に化けたあまのじゃくをカゴに乗せました。

 カゴの行列はお城へ向かって、裏山の道を登って行きました。
 すると柿の木のてっペんで、カラスがこんな声で鳴き出しました。
♪カー、カー、カー、カー、かわいそう。
♪うり子姫は、木の上で。
♪おカゴの中は、あまのじゃく。
「おやっ?」
 みんなはそれを聞いて、うり子姫がしばりつけられている柿の木を見上げました。
「まずい、逃げよう」
 うり子姫に化けたあまのじゃくはカゴから逃げようとしましたが、お殿さまの家来に捕まって首をはねられてしまいました。

 こうして本物のうり子姫がカゴに乗ってお城へ行き、お殿さまのお嫁さんになって幸せに暮らしたのです。


山口県の民話 福娘童話集より
http://hukumusume.com/douwa/index.html
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Posted on 2018/07/31 Tue. 09:54 [edit]

category: 山口むかし話

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