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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島八幡宮にあるペトログラフ 

■彦島八幡宮にあるペトログラフ

 彦島八幡宮境内にベトログラフのある神霊石が、安置されたのは、昭和57年5月の事である。
  もともと境内にあるものが発見されたのではなく、運び込まれたものである。

◆不思議な庭石
山陽町のある家の庭でペトログラフの岩四個が見つかった。
  実は、下関造船所前の道路工事の折り、大きな岩十個が出土したので、庭石用にと貰い受け自宅に運んだ。
  ところが、原因不明の不幸な出来事が相次いでおこり、「もしやあの岩に何かあるのでは?」と調べてみると、ペトログラフが検出、解読された。
  そして、「泳ぐ岩」のかたわら、彦島八幡宮境内に安置され、いわば、下関造船所前から出土の岩が集合した事になる。

◆泳ぐ岩
 彦島江ノ浦町6丁目の三菱重工業(株)下関造船所のドックと巌流島の海底を、いつも移動している岩があり、進水式のたびにその岩が、泳いで来て邪魔をするので、「あの泳ぐ岩は何かの神霊(しんれい)の宿るものだ。祟り(たたり)のないよう引き上げてほしい。」という事になり、昭和57年4月に境内に安置された。


彦島八幡宮HPより
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Posted on 2018/06/19 Tue. 10:11 [edit]

category: 彦島あれこれ

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鹿児島工場 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
鹿児島工場
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Posted on 2018/06/19 Tue. 10:10 [edit]

category: 九州の鉄道

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小倉工場 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
小倉工場
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Posted on 2018/06/19 Tue. 10:08 [edit]

category: 九州の鉄道

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若松工場 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
若松工場
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Posted on 2018/06/19 Tue. 10:06 [edit]

category: 九州の鉄道

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12系客車 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
12系客車(昭和45年)
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Posted on 2018/06/19 Tue. 10:05 [edit]

category: 九州の鉄道

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DF50形ディーゼル機関車 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
DF50形ディーゼル機関車
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Posted on 2018/06/19 Tue. 10:02 [edit]

category: 九州の鉄道

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下関観光検定051 

【質問】

高杉晋作が奇兵隊を結成した場所は、下関の回船問屋・白石正一郎の家でした。
彼は奇兵隊にも入隊、家財をなげうって維新を支援しました。
さてこの回船問屋の屋号はなんといったでしょうか。

【答え】

小倉屋

【解説】

白石正一郎は回船業・小倉屋を営んで富を築いた豪商で、高杉晋作をはじめとする維新の志士たちを物心両面で支援しました。
奇兵隊は文久3年6月8日、この白石邸で結成され、白石正一郎も隊士となりました。
竹崎町に白石正一郎宅跡碑を昭和37年12月25日に建立。石碑の高さは140センチ。
約400人にも及ぶ志士たちがここを訪れ、海に面した裏門より舟で出入りしました。
坂本龍馬は文久2年3月土佐藩を脱藩し、最初に足を向けたのが下関で、4月1日頃に白石正一郎邸を訪問。
以後たびたび下関を訪問しています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:59 [edit]

category: 下関観光検定

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ED76形機関車 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:58 [edit]

category: 九州の鉄道

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特急さくら 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
特急さくら
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:56 [edit]

category: 九州の鉄道

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急行そてつ 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
急行そてつ
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:54 [edit]

category: 九州の鉄道

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423系電車 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
423系電車
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:53 [edit]

category: 九州の鉄道

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キハ58形 

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キハ58形
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:51 [edit]

category: 九州の鉄道

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特急みどり 

九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)
特急みどり
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:48 [edit]

category: 九州の鉄道

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彦島のけしき《老町》 

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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:44 [edit]

category: 彦島のけしき3

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六人武者 

六人武者


源平合戦で敗れたのち、平家再興を願っていました中島四郎太夫正則の子と、その家来は、小門王城山に隠れていましたが、その希望も消え、ついに海賊となって彦島の竹ノ子島を襲い、ここを占領してしまいました。
その時上陸したところを今でも“六人武者の江良”と呼び、この島を“鬼が島”ともいいました。

六人武者の海賊は次第に力を持ち、近くの土地や舟を襲うようになりました。
そこでとうとう攻め撃つことになり、九州豊前から兵百五十人、船六十三隻が福浦の江良に上陸しました。
福浦に“六十三隻江良”という地名が残っていますが、これはその時、船が着いたところをいいます。
また南風泊の“きかんが藻”という地名は、戦が始まる前、六人武者の様子を調べに来た豊前の兵が、一隻の漁船に、
「竹ノ子島に海賊はいるか」
と、たずねたところ、その漁師は後の祟りが恐ろしいので、何をたずねられても“聞かぬ、聞かぬ”というふうに首を振って答えなかったところからつけられたといわれます。

さて、いよいよ竹ノ子島の戦となりました。
百五十人対六人でしたが、六人の武者は、いろいろな戦法で敵を引っ掻き回し、さんざん懲らしめ、豊前側の死傷者はみるまに増えていきました。
“鶴の江良”“仁蔵の江良”という地名は、その時六人武者から殺された、鶴五郎、仁蔵の死んだ場所といわれます。
こうして総崩れした敵兵は、あわてふためいて田の首の岬まで逃れ、ようやく豊前方の助け舟に乗り、九州に逃げ帰りました。

六人武者は、これ以上追い討ちはしませんでしたが、この戦で勇敢に戦って死んだ、鶴五郎、仁蔵の首をこの地に埋め、手厚く供養しました。
“田の首”の地名はそこからきているといわれます。

その後、六人武者は、ひとまず王城山に引きあげましたが、今度の戦で、平家残党ということが知れたため、必ず大きな逆襲のあることを予想し、五人の家来は、それぞれ姿を変えて、遠くの地へ別れ別れに離れていき、四郎太夫の子だけが、この地に残り、のちついに漁師となって一生を送ったということです。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2018/06/19 Tue. 09:39 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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